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夜行性だから

作者: 月 影丸

夜の商店街は閑散としていた。

明日はクリスマスイブだというのにイルミネーションは姿を消し、空いている店はなく、街灯と家々の明かりだけが虚しく道路を照らしていた。


私、渡利千鶴(わたりちづる)は家路を急いだ。



マスクをしているとはいえ、非常に危険だ。




なぜならば、半年前から流行っているN−ウィルスは夜行性だからだ。



日が落ちると感染力が増加し、人から人へと簡単に移り渡ってしまう。2、3日の潜伏期間の後に感染すると発熱し、体の内外に発疹が現れ、体内のあらゆる機能が低下し、最悪の場合は死に至るそうだ。感染者の飛沫などを介し経口感染するらしい。空気感染の事例はないものの、夜間のウィルスの感染力は凄まじく、マスクなどで防いでいても感染者と数時間一緒に過ごしただけで感染してしまうという。致死率は世界でおよそ3%、日本で1.2%だそうだ。世界でも日本でも死亡率は年代が上がるほど高くなり、持病を抱えているほうが高くなる。

ワクチンはまだ開発途中で、アメリカで治験が開始したというニュースを先日見たばかりだ。


ウィルスの天敵は紫外線らしく、日が昇ると同時に感染力を弱めるらしい。紫外線の元であれば、感染者と接触しても感染しにくいという報告が上がっている。


このことがわかったのは2ヶ月前のことで、それ以降は全世界で夜間の外出が徹底的に制限された。日本も例外ではなく、首相の強いリーダーシップの元、緊急事態宣言の中に夜間外出禁止令が盛り込まれた。今では日が落ちると日本の経済活動は息を潜める。

終電が17時になったのは1ヶ月前のことで、その生活にも随分と慣れたものだ。



現在、感染事例は家庭内感染が大多数であり、新規感染者数は日に日に減少している。こんな生活とはもうすぐおさらばになるはずである。



最近発売された、玄関先で紫外線を照射させる装置が飛ぶように売れているそうで、実家では父と母がどうにか購入にありつけたそうだ。20万もするそうで、社会人になってたかが数年の一人暮らしの私には到底手が届かない。しかも、偽物も出回っているそうだ。実家が買ったものは正規品なのだろうか。後で電話で確認してみよう。母さんは昔から騙されやすくて心配である。





そもそも今は18時。私がなぜこんなに遅く外を出歩いているのか。


私はとある出版社に勤めており、今日は休暇日だった。一日電子本や新聞記事などとにらめっこし、今流行っているウィルスについての知見を得ていた。将来は有名編集者として活躍したいと夢を見ていたりする。そのためには様々な知識が必要なのだ。


日が落ちる少し前、スマホが鳴った。担当している作家であるkazu先生が、どうしても急ぎでチェックしてほしい原稿があるというのだ。

ここで先生について軽く触れておくと、彼は最近売れ始めた小説家で、私が担当する雑誌で連載を持っているのだ。私の3つ上で、見た目もよく、この前も他の雑誌で写真付きでインタビュー記事が出ていた。物腰も柔らかくいつもニコニコと優しく微笑んでいる彼が、私は大好きだったりする。彼の紡ぎ出す小説は少年少女たちの心情を繊細に表現しているものが多く、読んでいて甘酸っぱい気持ちになれる。彼がまだ駆け出しの頃、正確に言うと担当になってから私は彼の熱烈なファンなのだ。そして、ファンであると同時に、恋人でもある。バレると色々と面倒なので勤務先には内緒にしているけれども。一年前から向こうの告白で付き合い始め、ウィルスが認知される前は彼の家で半同棲のような状態だった。しかし、ウィルスが広がり始めたところで互いの身を案じて同棲を解消し、2ヶ月前の緊急事態宣言からは日が落ちてから会うことはなかった。濃厚接触者になるのを避けるために日中であってもスキンシップなどはしていない。

そして二日前の昼間、彼の自宅兼仕事場で打ち合わせをしていた時、指輪とともにプロポーズをされた。君のいない生活に耐えられない、絶対に幸せにするからと顔を真っ赤にして言われ、私はその場で受け入れた。受け入れないなどあり得なかった。



少々話しすぎてしまったけれど、結論から言えば私は彼に対して甘々であり、急な呼び出しでもつい応じてしまうのである。とはいえ、普段は彼の方から私に原稿を届けてくれることが多かったけれど。



私は急いで自宅から一駅先の彼の家まで原稿を取りに行った。電車は混み合ってしまうので徒歩で。



彼はマンションの玄関先から顔だけを覗かせた。大きなマスクのせいで目元しか見えなかったけれど、色濃いクマがあったので一心不乱に原稿を書き綴っていたのだろう。彼は、遅くなってしまうから君の家でチェックしてほしい、と言って茶色の革の手袋をつけた手で原稿の入った薄い茶封筒を渡してきた。中には写真も入っているそうで、封筒を揺するとカツカツという音がした。


ふと、家事を手伝ってから帰ろうかと考えた。彼は一旦小説を書き始めると生活力が著しく落ちてしまうのだ。正直、この2ヶ月心配でしょうがなかった。昼間に打ち合わせをする時は換気に気をつけながら少々世話を焼いてはいたけれど、少しやつれたのを気にしていた。

もう直に結婚するのだし、いっその事このまま朝まで過ごしてもいいのではと考え、思い切って彼に提案した。彼の家には私の部屋着など生活用品は一式揃っていることもそれを後押しした。


しかし、彼はいつもの柔らかい笑顔を浮かべたまま、それをやんわりと断った。まだ書きたいものがあり、一人になりたいのだと言う。


私は少しばかり気落ちしながらもどうにか自宅マンションに到着した。

玄関の外で上着を脱ぎ、ウィルス除去効果のあるスプレーをかけ、手指をアルコール消毒し、部屋着に着替え直してから部屋に入った。本当はシャワーを浴びたかったけれど、彼の原稿を早く読みたかったのだ。



茶封筒を開け、数枚ほどの薄い原稿を取り出した。同封されている写真は小さい水色の封筒に入っていた。




「"きみへ"、、?」

私は真っ白な表紙の中央に書かれたタイトルを読み上げて首を傾げた。

先生の連載物とは違うタイトルだったのだ。新しい作品でも思いついたのだろうか。


私はワクワクしながら原稿をめくった。






「千鶴さん、どうか許してほしい。」





書き出しの部分で、私の胸は大きく高鳴った。

これはどういうことなのだろうか。

私は先を読み進めた。




千鶴さん。僕は君との約束を守れないかもしれない。


なぜならば、




私はこの先を読んで原稿を落としてしまった。


そして急いで水色の小封筒を開けた。




その中の写真に写っていたのは、赤い発疹に埋め尽くされた彼の左腕だった。写真はスマホで撮られ自宅で印刷したようで、日付は今日の昼前のものだった。




原稿の内容はこうだった。



あの日、私にプロポーズした彼は喜びを小説にしたくて、自宅に帰るなりすぐに執筆活動に入ったらしい。そして、丸一日一心不乱に書き続けたそうだ。

そして泥のように眠り、熱っぽさで目が覚めて全身の発疹に気づいたらしい。そして、この未知のウィルスへの恐怖心をこうして言葉にしたためたのだという。本来は病院に行くのが最優先なのだろうけれど、物書きとしての血がそれを拒否したそうだ。この写真を撮影して印刷し、小説に添付してもらおうと考えたらしい。



そこまで読んで私は慌てて冷蔵庫から未開封のスポーツドリンクを取り出し、部屋着の上からコートを羽織り、キーケースを握りしめた。

そして階段を駆け降り、駐輪場からシルバーの自転車を引っ張り出して夜道に繰り出した。長く使っていなかったからか車輪の空気が少し抜けているらしく、漕ぐ毎にガタンガタンと振動し、カゴの中のスポーツドリンクが小刻みに揺れる。このまま走ればパンクしてしまうだろうけれど、そんなことは気にならない。私は大好きな人の元へ急いだ。



私はここ数日のことを思い出していた。

彼はもともと人見知りで出不精なので基本的に家にいる。仕事の資料集めの時には嬉々として出かけるけれど、ここ数ヶ月はウィルスのこともあり、それもなかった。


買い物は私が打ち合わせの度にしていたので、本当に外に出ていないはずだ。



つまり、彼の感染源は間違いなく私なのだ。




私のせいで彼は感染したのだ。



目の前が涙で見えなくなりそうだった。


もちろん私も夜には外に出ていないし、ここ2ヶ月は日が落ちてからは誰とも会っていない。それでもウィルスは私達に迫り来ており、私を媒介として彼に牙を剥いたのだ。



彼は書きたいものがあると言っていた。

きっと自分の心境を書き綴り続け、これからも病院に行く気もないのだろう。


下手をすれば命に関わる。



こんな危険なことをして!と一発殴ってやりたかった。それと同時に私も殴られたかった。


昼間会うなら大丈夫だろうと高をくくっていた自分を殴り飛ばしてほしかった。





私はガタンガタンと鳴る自転車を必死に漕ぎながら、どうにか彼のマンションにたどり着いた。



206号室まで向かい、呼び鈴を押した。



反応はない。



もう一度呼び鈴を押し、ドアを叩いた。




反応はない。



ダメ元でドアノブを回したけれど開かない。



私は慌ててキーケースから合鍵を取り出し、急いで中へ駆け込んだ。



その一番奥にある書斎の机に、突っ伏している彼がいた。



私は急いで彼を抱きとめた。


燃えるように熱く、息苦しそうにしていた。


「和彦さん!!!」


私は無我夢中で彼の名を呼び、肩を揺すった。


「ちづる、さん?」

彼は意識を取り戻したらしく、うなされるように私の名前を呼んだ。



「バカなんですか?!早く救急車を呼ばないと!!」

「ごめん。どうにかなるかなって、」

「なりません!貴方の小説は好きです。でも、それよりも好きなのは貴方自身なんです!!」

「ありがとう。ごめんね。」



私は持ってきたスポーツドリンクを彼の口に流し込むと、急いで保健所に連絡した。そして、向こうの指示の下救急車を手配した。



こうしてkazu先生、和彦さんは一命を取り留め、順調に回復した。





◇◆◇


「先生。何度言えばわかってもらえるんでしょうか?」

ちづるさんは冷ややかな目線を僕に向けた。それですら彼女の魅力の一つである。今にも手にした原稿の束をくしゃりと握りしめそうである。


「いいですか?この小説には問題点だらけです。まず一つ、ウィルスに夜行性なんてありえません。」

「うーん、なかなか斬新かなって思ったんだけどな。」

「本当にそうだったら私達はこんなに苦労してないんですから。いいですよね、紫外線で弱くなるんだったら。」

彼女は小さくため息をついた。

「でしょ?」

僕はいつものようにニコニコとしながらそう答えた。彼女は反論するのをやめたようで、右手の人差し指と中指を立てた。

「2つ目です。いつから私達は恋人になったんでしょうか?」

「え?違うの?」

僕はとぼけてみせた。こうすると彼女は左眉をピクリと動かす。それがまた可愛らしいのだ。ほら、やっぱりそうなった。

「違います!!私は先生の作品は大好きですけど、それとこれとは話は別です!」

顔を真っ赤にして反論する彼女がたまらなく可愛い。今すぐにでも抱きしめたいけれど、それができないのがもどかしい。

「こんなに一途なのに?」

「一途なのも見た目がいいのも認めます。でも、こうやって人のことを勝手に小説に登場させて、あれやこれやさせるのは許せないんです!」

「えー。だめ?」

「だめです。私、裏方が良くて編集部に入ったのに。先生の小説を読んだ私の友人達から、毎日のように冷やかしのメールが来るんですよ?!こんなの読まれたら、"先生といつから同棲なんて始めたの?"って言われるに決まってるじゃないですか!ふざけんなですよ!」

彼女はガタンと両手を机につけ、ものすごい音を立てて席から立ち上がった。

「えー。」

まぁまぁ、座ってよ、と僕は彼女を席につかせた。可愛い顔が見えないんだからと思いながら。

「だいたい、ちづるを千鶴にしたくらいじゃなにも伏せられてないんですからね!たとえ名字を変えたとしても!中身もほぼ私ですし!」

「だって、君がモデルだからね。」

そう言えばまた彼女が反応してくれると思った。

「はぁ。。でも、、、その、、」

でも、彼女の反応はいまいち煮え切らないものだった。いつもの彼女らしくない。

「何?」

心配になってきた。やっぱりこの前のあれがよくなかったのだろうか。

彼女は意を決したかのようにまっすぐこちらを見つめてきた。

「もしも、今回の小説と同じ状況になったとしたら、辛いです。」

「ちづるさん?」

僕は目を見開いた。彼女が顔を真っ赤にしていたのだ。怒りからではなく、それはまるで、、



「だから、お受けします。」

「え、」

「だから、お受けするって言ってるんです!こ、この前のプロポーズ。」



予想外の言葉に頭がフリーズした。嘘じゃないよな、と古典的ではあるけれど頬をつねってみた。痛い。

「ほ、本当に?!まだ付き合ってもないのに?!」


そう、僕たちは付き合ってはいない。作家と担当としては十分とも言える時を過ごしたけれども。

「恋人としてではないですけど、もう4年の付き合いですから。貴方の人となりは十分わかってます。貴方もそうでしょう?」

「それはもちろん。だからプロポーズしたんだ。」

さっきの小説のようにはいかなかった。あれは言わばこの世界での僕の理想だった。


「ですが!!その、もう一度言ってほしいんです。"リモート"じゃなくて、直接。会えるようになったら。」

その言葉を聞いた瞬間、彼女の映る画面が歪んだ。

「って、画面越しでもわかるくらい鼻水垂らして泣かないでくださいよ!ほら、ちゃんと拭いてください!」

彼女の声がスピーカー越しに聞こえる。

あぁ、直接じゃないのが本当にもどかしい。

僕は手を伸ばしてティッシュを取り、涙を拭い鼻をかんだ。

「ありがとう。ごめんね。」

僕はそう言いながら画面越しの彼女を愛おしく見つめた。




他の作品もよろしくお願いします。

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