演劇のクライマックスを台無しにしてしまった話
演劇のクライマックスを台無しにしてしまった話
本日は第八十回 鎌藤高校文化祭の開催日。そして、我ら演劇部にとっては一年間の集大成の日でもあるのだ。
特に自分を含めた三年生はこれが高校最後のステージとなる。三年間で培った全てを出し切るつもりでやらねば。
今年は文化祭のメインイベントであるステージ発表のトリを演劇部が務める事になった。失敗は許されない。
何度も何度も台本を確認しつつ、本番を待つ。
「おい、お前緊張してるんじゃないのか?」
部長の酒井がからかってきた。
「そういうお前も顔がこわばってるよ」
酒井は本日の演目で主役である勇者を務め、自分は悪の親玉である魔王を演じる事になっている。どちらも重要な役であるためお互い緊張するのも無理はないだろう。
演劇の内容は、魔王に村を襲われ唯一の生き残りとなった勇者が、修行を重ね強くなった末に魔王を倒すというオリジナルストーリーだ。
自分は高校生にもなってこんな子供じみた物語など演じたくなかったが、この手ような話が今の流行らしい。自分以外の部員全員がこの物語に賛成していた。
吹奏楽部の発表が終わった。満員御礼の体育館から拍手が沸き起こる。ついに自分たちの出番だ。
いよいよ……か。
思い返せばこの三年間、様々なことがあった。いい思い出も悪い思い出も走馬灯のように脳裏を駆ける。
これが最後かと寂しさを噛みしめつつ、舞台へと臨んだ。
物語は順調に進んでいった。酒井は主人公ゆえ一番出番が多いのだが、過去のどの練習よりも生き生きと演じられている。
最初はチープだと思っていたストーリーも、こうしてみると悪くない。演者ひとりひとりの気持ちがこもっているお陰だろう。
物語も終盤に突入する。ついに自分の出番だ。意外な事に緊張は無かった。
王冠を被り剣を持ち、床まで垂れている重厚なマントを身にまとった魔王は舞台へと足を踏み入れる。
自分の登場に気付いた観客の視線が一気にこちらへと向けられる。これだ。会場の全てを独り占めにできるこの瞬間が好きなのだ。
役に入り込んだ自分は、禍々しい声色で最初のセリフを発する。
「よくも我の僕たちを……! 許さん、貴様だけは許さんぞ!」
勇者に対して行った仕打ちをそっくり返されているのだけなのに、自分を顧みず怒りに身を任せている狂った姿を演じてみせる。
我ながら迫力のある演技ができたと感じる。会場には一気に緊張が走った。
次は、勇者との殺陣シーンだ。お互いの体をかすめるかどうかのギリギリで剣劇を行う。
本当に相手の命を奪おうとしているのではないかというほどの熱演に、観客は息をするのも忘れて見入っているようだ。
大激戦の末、勇者の剣を弾き飛ばした。丸腰となった勇者に剣を振り下ろす。勇者は断末魔をあげ仰向けに倒れ込んだ。
この時点では勇者が追い込まれてしまっているが、この物語は王道展開だ。
「情けないな。結局お前は五年前と同じように我に敗れるのだ」
魔王がこうは言っているものの、最終的には勇者が魔王を倒して幕は降りる。
その鍵となるのが、祖父から勇者へ渡された木箱だ。それは物語の最初の山場で登場していた。
村が魔王の手下に襲われている中、自らの死を悟った祖父は孫の勇者へ木箱を託す。
「これは我が村に伝わる秘宝じゃ。魔王はこれを狙っているようだが絶対に渡してはならん。これを持ってお前だけでも逃げなさい」
そう言って勇者を逃した祖父は、その直後にやられてしまった。
この悲しいシーンで渡された木箱は、観客の記憶に残っているはずだ。
当然、観客の皆は木箱の中身が気になっているだろう。先に言うと、その木箱に入っているのは魔法のペンダントだ。
取り出されたペンダントが勇者に反応し、強力な力を帯びて魔王を倒すという非常にご都合主義な展開となっている。
だが、会場には小さなお子様もちらほら居るようだし、このくらい分かりやすい話の方がかえって良かったのかも知れない。
「はっはっはっはっは!」
勇者を倒し手下たちの復讐を果たせたと、魔王である自分は高笑いをした。
「さて、それではお前が持っている秘宝をいただこうとするか」
倒れている勇者へゆっくりと近づく。
しかし、勇者は上半身を起こし、そのままよろよろと立ち上がった。
「馬鹿な!? なぜ立ち上がれるというのか!」
「この、じいちゃんに貰った木箱が致命傷を避けてくれたのさ」
いよいよ物語もクライマックスだ。
「その箱はまさか!? 我に寄越せ!」
このセリフを言った瞬間、自分はある重大な事を思い出す。大変まずい事になってしまった。
勇者が木箱の蓋に手を掛ける。
ちょっと待て。その木箱を開けないでくれ。
今その中に入っているのは魔法のペンダントなどではないのだ。
その木箱の中に入っているのはーー。
今日の舞台前に一度、自分と酒井はクライマックスシーンを練習しようとしていた。
そこで自分は、緊張しているであろう酒井の気持ちを少しでも和らげるため、木箱の中身をすり替えていたのだ。
今朝、部室の小道具箱からたまたま見つけた物を入れておいた。蓋を開けてこれを見れば酒井も笑って緊張が解けるはずだ。
しかし、いざ練習をしようとしたその時、酒井がクラスメイトに呼ばれる。
話を聞くと酒井のクラスでやっているカフェが、予想より繁盛しているため人手が足らないと言うのだ。
ただ、こちらも大事な大事な舞台の前なのである。こんな時に部長を連れて行こうなど言語道断だ。
けれども、人の良い酒井はちょっとだけ手伝ってくる、と自分のクラスへと行ってしまった。
そのせいで結局、クライマックスシーンの練習はできないまま本番を迎えてしまった。木箱の中身も戻さずにーー。
「や、やめろ! その箱を開けるんじゃない! 秘宝の力が解放されてしまう!」
魔王のセリフを叫ぶ。まるで演技ではないほどの迫力だろう。
それもそのはずだ。魔王としてではなく素の自分で叫んでいるのだ。魔王の気持ちと同じくらいその箱を開けられたくはない。
しかし、それを迫真の演技だと思っている酒井は躊躇なく箱を開けた。
「…………!?」
酒井は眼前の光景に言葉を失ってしまった。そこにはあるはずの物が無く、無いはずの物があるのだから。
会場が静まり返る。一秒、一秒と時間は過ぎていく。
舞台袖が騒ぎ出した。他の部員も何かしらのアクシデントが起きたのだと気付いたらしい。
自分達が作り上げてきた物が、三年間の集大成が、自分のしょうもないいたずらで終わってしまうのか。
スーっと血の気が引いていき、軽い目眩を起こす。
もはやアドリブで自分が進めていった方が良いのか。しかし、気が動転してしまい中々言葉が出てこない。
すると、酒井が腹を決めたように言った。
「じいちゃん、ありがとう」
それは台本通りのセリフだった。驚くべき事に、酒井はこのまま舞台を続行するつもりらしい。
「そ、それはまさか……!」
酒井に呼応するように自分の口からセリフが飛び出す。しかし、自分はこのまま物語を進めてはいけない事を知っている。
酒井は木箱からソレを取り出す。そして、会場の視線を集めるようにソレを頭上へと掲げた。
「ああ。これは、じいちゃんが俺に託してくれた最高の贈り物なんだ!」
酒井が掲げている物、それは魔法のペンダントではなくーー、白いブリーフであった。
会場全体が言葉を失った。観客はその逆三角形の白い布に目を丸くしている。
それもそうであろう。散々もったいぶった挙げ句が白ブリーフって。
これでは祖父が、死の間際に孫へブリーフを託したクレイジーじじいになってしまう。
そして、これのどこが最高の贈り物だというのか。勇者の感性もバグっている事になる。
そもそも村の秘宝という設定だったはずだ。純白のブリーフを秘宝と崇めているイカれた村など斬新過ぎる。
「やめろ! それの力を解放するな! そのままそれを寄越せ!」
かく言う自分が演じる魔王もまた、ブリーフの魅力に取り憑かれている一人になってしまった。
ブリーフの力を解放とは一体何のことなのか。自分で言っていてわけが分からない。
たかがブリーフ一枚のためにひとつの村を破壊したのだ。魔王はよっぽどのブリーフ収集家という事になってしまう。
襲いかかってきた魔王に、酒井は掲げていたブリーフを振りかざす。それを見て自分は腕で目を隠し眩しいような動作をとる。
「くっ! その光はまさか! こちらに近付けるな、やめろ!」
もちろんブリーフが光るわけがない。本来入っていたはずのペンダントには光るギミックが付いていたのだが、こちらにおわすはタネも仕掛けもないブリーフ様なのだ。汚れのない白でいらっしゃる。
ただしかし、こちらに近付けるなという発言に関してだけは心から同意できた。ブリーフを向けられていい気持ちはしないのだから。
そのままブリーフをこちらに近づけてくる酒井。
「や、やめるんだ! そんな物、近づけてくるな!」
もはや魔王だろうが自分だろうが一文字も違わない。演じているからではなく本当に嫌なのだ。
「じいちゃんや村の人が残してくれた想い、今お前にぶつける!」
酒井はそう叫ぶと、眼前にブリーフを突きつけてきた。
……これはシンプルにきつい。不快感のみで魔王を倒そうとする勇者など前代未聞だろう。
「ぐわああああああ!!! 体が焼けてゆく!!!」
……魔王はとんでもない体質だ。自分で叫んでいてそう思う。
ブリーフなんて大体が綿で作られているだろう。とすると、魔王は体から発火するレベルのとんでもない綿アレルギーという事になってしまう。
「おのれ! おのれぇぇぇえええええ!!!」
この苦痛の叫びは勇者に対してなのか、それとも綿アレルギーに産んだ親に対してなのか。
舞台が暗転し、綿アレルギーの脆弱魔王は舞台袖へと捌けた。
こうして舞台上には勇者である酒井ただ一人となった。そっと袖から見守る。
自分達が青春を捧げてきた三年間の集大成であるブリーフ茶番劇は、いよいよ最後のシーンを迎えるーー。
「じいちゃん、村のみんな……俺、やったよ」
酒井は感慨深くセリフを口にする。胸にブリーフを抱きかかえながら。
すると、どこからか声が聞こえてくる。
「よく魔王を倒してくれた。お前は強くなったよ」
「……この声は、じいちゃん!? 一体どこから?」
みんなお察しの通り、ブリーフからである。
村の秘宝に想いが伝わり、亡くなった祖父と会話ができるようになったのだ。
本来ならば感動できるシーンであるはずだ。一番気合を入れて作った場面でもある。
しかし、ハンカチ無しでは見られないシーンが一転、ブリーフ無しでは見られないシーンへと変貌してしまった。
「それを肌身離さず身に着けているといい。そうすればワシもずっとお前のそばで見守っていられるのじゃよ」
シナリオ通りならば、ここで勇者が祖父へ感謝の言葉を告げ、涙を流しながらペンダントを身につけ幕は降りる。
だが、今回は話が違う。ペンダントではなくブリーフだ。ここで身に着けて良いわけがないのだ。
酒井は神妙な面持ちでブリーフを足元まで下げる。
……嘘だろ!? やめろ酒井。お前は自分が何をしようとしているのか分かっているのか。
酒井は右足を上げ穴に通す。
待て! 今日はお前の家族も観にきてくれているんだろ? 肉親の前でそんな醜態を晒す必要はないんだ。
右足に続き、左足も穴に通した。
酒井、今日の劇を撮りたいからってお前の父親は最新型のビデオカメラを新調したらしいじゃないか。嬉しそうに語っていたお前の顔を思い出すと切ないよ。
酒井は水泳選手の飛び込みのように前屈みになって、スタートのブザーを今か今かと待っているようだった。
早まるな酒井。これからお前のする事は、父親のビデオカメラに最高品質で録画されるんだぞ? 思い直すなら今しかないんだ。
だが、そんな自分の思いは届かず、酒井は意を決したように顔を上げた。その瞳には涙が溜まっている。
涙が頬を伝うと同時に大きく息を吸い込むと、まるで自爆の呪文のように最後のセリフをささやいた。
「……じいちゃん、ありがとう」
その声とともにブリーフを一気に引き上げる。純白のブリーフが千切れんばかりに伸びている。
……はたして、これは本当に祖父の望んだ結末だったのか。なぜ孫にこんな物を身に付けろと言ったのか。
そもそもブリーフは下着なのだから肌身離さず身に付ける物ではないのだ。死してなおクレイジーじじいであった。
劇が終わりゆっくりと幕が降りる。舞台の真ん中でブリーフを履きこなしている酒井は、仁王立ちでじっと天井を見つめていた。
観客からは冷ややかな目で見られ、拍手はまばらだ。
ダメだ。見ていられない。これはもはや劇ではない。
そういう類のプレイだ。公衆の面前で泣きながらブリーフを履くという公開羞恥プレイなのだ。
見る人が見れば、いじめと捉えられるかもしれない。
また別の人が見れば、酒井の事を己の性癖をシナリオにぶち込んだ変態ボーイだと思うかもしれない。
どっちにしても酒井はまともな評価を得られないのだ。三年間頑張った結果がこれだ。あまりにいたたまれない。
酒井、すまない。涙を流しながら心の中で何度も謝った。