手にできなかったもの、溢れるほど手にしているもの
「じゃあ廻、元気でね。たまに遊びに行っても良いかな?」
「もちろんです。楓佳もきっと、喜びます」
創造主の力によって神から人間へと姿を変えた廻に、命は柔らかな笑みを向けた。
人間になった廻は獣神の証と言っても過言ではない獣耳と尻尾を失くしていて、代わりに人間の耳を手に入れていた。その他に容姿で変わった点は無いが、神として与えられた力も失ったので、命は天界にいながら自分のオーラを完全に抑えている。
「それじゃ、いってらっしゃい」
「命様、今まで本当にありがとうございました。返しきれない程の愛情を頂いたというのに、こんな形になってしまい……それでもこんな俺を許してくださり、ありがとうございます」
「…………」
「命様?」
廻が命への感謝の思いを伝えると、命は何故か笑った顔のまま固まってしまい、廻はその様子を心配するように尋ねた。
「廻……神子ちゃんとの子供が出来たら、大事にするんだよ」
「…………はい……?」
命はどこか冷たい笑顔を廻に向けると、そんな突拍子もないことを口にした。何故か飛躍しすぎたことを言い出した命に廻は首を傾げたが、楓佳との子供が出来れば当然大事にする気はあるのでとりあえず頷いておいた。
「それでは命様、行ってまいります」
「うん。バイバイ」
廻は最後の最後に新たな疑問を残したまま、命の力で炎乱へと向かった。そして命は小さく手を振りながら哀愁漂う笑顔を見せた。
炎乱へと旅立った廻のいた場所は不自然に空き、僅かに残った廻の匂いが物悲しさを感じさせていた。
「あらまぁ……何してんだか。デグネフってば血まみれじゃん」
「……申し訳ありません」
廻を見送った命はすぐさまデグネフに近づくと、握りしめすぎて血が滴っていたデグネフの手を優しくつかんだ。早速デグネフの傷を治癒した命にデグネフは消え入りそうな声で謝罪した。
手を染めた血を拭き取ると命は眉を下げつつデグネフの頭を撫でた。
「デグネフは真面目さんだなぁ……そこが良いところだけど、そんなに気にしなくていいんだよ?」
「……はい」
デグネフは廻との別れを迎えたばかりの命のために何もできない自分を責めていた。そして命はそれを見透かしていたのだ。今回の件でデグネフに非なんて一つもなく、命の励ましが正論だった。とは言っても、デグネフが気にするか気にしないかは別問題だ。
デグネフを励まし終えた命は何やら疲れた様子を見せると、ハクヲの毛並みにダイブして静まり返ってしまった。急に自分の体毛に顔を埋められたハクヲは困惑しつつも、命がこうしてハクヲに癒しを求めるのはよくあることだったので何も聞かずにじっとした。
「おい、どうした?」
「んーー……自己嫌悪中」
「自己嫌悪?」
だがハクヲの代わりに珍しく尋ねたのは武尽だった。武尽の質問に反応した命の答えは首を傾げざるを得ないもので、静由は疑問を口にした。
「なぁ、お前。吾輩たちに何か隠しているだろう?」
そんな命を怪訝そうに見据えた武尽はそう追求した。武尽は先刻から命の様子がどこかおかしいことに気づいていて、そのことがずっと気になっていたのだ。
「……武尽って馬鹿なのにそういうことには敏感だよね」
「茶化すな」
普段なら怒りにまかせて話がズレるところだったが、今回の武尽は本気らしく命の煽りにも反応しなかった。
命は真剣な表情の武尽を目の当たりにし、困ったように笑うとハクヲに身を任せたまま口を開いた。
「はぁ…………むかーし昔あるところに、一人の少年がいました」
「命様?」
急に何故か、昔話を読み聞かせるように語りだした命に神々は不思議そうな表情を向けた。だがこの流れで全く関係のない話をするとも思えず、神々は黙って命の話を聞くことにした。
「その少年はお父さんとお母さんの三人家族でしたが、とても一緒に暮らしているとは言い難い環境下にいました。お父さんとお母さんの夫婦仲は壊れていて、家でも顔を合わせることがほとんど無かったのです。そしてもう好きでもない相手との子供である少年にも、両親は愛情を与えませんでした。両親が少年に与えたのは寝泊まりする場所と、毎月決まった金額のお金だけ。話もせず、名前も呼ばず、少年の存在に反応さえしない。そんな両親は少年が学校でいじめられていることも当然知らず……いや、気づいていたのに無視してたのかな?」
神々は物語の少年の悲惨な人生に悲痛な表情を浮かべた。だが途中から命はたどたどしい話し方になり、神々は僅かな違和感と疑念を持った。
「こほん。……少年がいじめられていることに気づいているのに無視していました。少年の左肩にはいじめによって出来た酷い火傷の跡がありました。それを少年が着替えている間に目の当たりにしたというのに何も言わなかったのが証拠です」
その瞬間、神々は確信した。この物語の主人公が命であることを。
命は自分の左肩に酷い火傷の跡があることを神々には話していない。だが、神々は知っていたのだ。命の左肩に、命が自ら消すのを拒んだ醜く爛れた辛い過去があることを。
それに気づいたのは静由だった。命が一〇〇〇〇年間眠り続けていた際、命の着ている大きすぎる白いシャツがズレてその左肩が露わになったのだ。
だが神々はそれをあえて指摘することは無く、命がそのことについて自分から話してくれるのを待つことにしたのだ。その時がようやく訪れたことに、神々は緊張した面持ちになった。
「そんな何の意味もない人生を送っていた少年に転機が訪れました。……突如世界が終わったのです」
そこから先は神々も知っている展開だ。だが命の語る物語はまだ終わりそうもなく、神々は自分たちの知らないことがまだあるのだろうか?と首を傾げた。
「少年は創造主となり、神という初めての家族を造りました。優しくて可愛らしい子供たちに囲まれて幸せな暮らしを手に入れた少年でしたが、気になっていることがありました。それは自分を蔑ろにしてきた両親の魂の転生先です。両親の魂は少年への愚行のせいで動物や虫に転生しました。それが全部で三回」
魂の輪廻転生というのは個人差がある。その証拠が命の両親の魂が転生した回数だ。命が創造主となってから一〇〇〇〇年以上の年月が経っているというのに、この回数ではあまりにも少ない。
つまり生物の魂は身体が死ねばすぐに転生する訳では無いのだ。前創造主のように一定の期間で多くの輪廻転生をする魂もあれば、命の両親のように数回だけの魂もある。
そして、両親の魂は命がただの人間だった頃の愚行が原因で、三度虫や動物に転生したという訳だ。その三回のうちの二回は命が永らく眠り続けていた際に起こったので、命は創造主の力でその事実を知ったのだ。
「少年が自分の力で両親の魂を調べていると、とんでもない事実を知ってしまいました。両親の魂は三度の輪廻転生全てで、番になっていたのです」
「「!」」
神々は驚きのあまり目を見開いて固まってしまった。「そんなことありえない」と言ってしまいたい気持ちを誰もが抱えたが、命が嘘をつくとも思えず神々は混乱したのだ。
そもそも別の二つの魂が何度も同じ時期、同じ世界で輪廻転生し出会うこと自体がありえない程の確立だというのに、更にその魂たちが常に番となって結ばれるなんて、天地がひっくり返ってもありえないような現象なのだ。
「魂の番と呼んでもいい程、両親の魂は惹かれ合っていたんだと少年は気づきました。でも少年は、仲睦まじい両親の姿なんて知りませんでした。いつも互いを無視していて、凍りついた関係。少年が知る両親はそれだけだったのです。なのに輪廻転生した後結ばれた両親の魂は、似ても似つかないほど互いに愛情を与えていて、命を散らすその時まで幸せに暮らしていました」
物語を紡ぐ命の表情は愁色に満ちていて、神々は胸を締め付けられるような感覚に陥った。命がただの人間だった頃には見ることが叶わなかった、思い合っている両親。自分に何の愛情も与えなかったその魂が、自分が知らないところで仲睦まじく幸せに暮らしている。それを知った時の命の気持ちを推し量ることなんて神々にはできなかった。
「そしてそんな両親の魂が三度目の輪廻転生をした世界はヒューズド。そこで少年は両親の魂が宿った虫を見つけたのです。両親の魂はそれまで培ってきた善行のおかげで美しいものになっていて、次に輪廻転生する時は神になってもおかしくない程に育っていました」
勘の良い神はそこで気づいてしまった。命が何を隠し、何を憂いていたのか。
「それを知った時の少年の心情はよく分かりません。ただ少年は両親の魂が宿った虫二匹の息の根を、一瞬で止めたのです」
物語の主人公である命でも、自分の気持ちを理解できていなかったのだ。どうして自らの手で殺してまで、その魂の輪廻転生を早めたのか。命に分かるのは断片的な事実と思いだけ。
命が彼らと血を分けていた頃、両親は不仲で愛情を与えてくれなかった。
でも輪廻転生した後は嘘のように魂で惹かれ合い、幸せに生を過ごしていた。
自分がいなければ、あの時も幸せに暮らしていたかもしれなかった。
そして両親の魂が神になれば、今度こそ自分を好きになってくれるかもしれないという淡い期待。
「少年が殺したことで輪廻転生した父親の魂は神に、母親の魂は聡明で美しい人間になりました。そして両親の魂は種族の垣根を超え、再度惹かれ合い、結ばれたのでした。めでたしめでたし」
「「…………」」
命からしてみれば手放しでめでたいと言えるような話ではない。神々は命にかけるべき言葉を見つけることが出来ず、命の自嘲じみた笑みを眺めることしかできなかった。
「……命ね、分かってるんだよ。命を産んだ人たちと、廻たちは違うって。ただ魂が同じだけの別人だって。なのに廻にあんなこと言って……酷い八つ当たりだよね」
「そんなことは……!」
「廻と神子ちゃんが、自分の子供を大事にしない訳がないのにね……」
命の自虐にデグネフは否定の言葉を伝えようとしたが、命の耳には入っていないようだった。
命の言うことは何も間違ってはいない。例え魂が同じだったとしても、前世来世の人格は今世のものと何の関係もない。魂が同じでも命の両親と廻たちとでは、人格や持っている能力など、何もかもが違うのだ。
だからあの言葉は廻に伝えるには不適切だった。それ自体は何も間違っていない。だが神々は命がそれによって自己嫌悪する必要などないと全員が思っていたのだ。
「命…………命には俺たちがいる。それじゃあ、駄目?」
口を開いたのは静由だった。命は確かに両親の魂に選ばれなかった。だが命には既に神々という家族がいる。それなのにどこか憂鬱気な表情を浮かべる命に、静由は嫉妬にも似た不満を抱いたのだ。
まるで親に構ってもらえずにいじけた子供のように。
「ダメな訳ないじゃん……命は皆のことが大好きなんだから。……でもね、静由。命にはもう二度と、お父さんとお母さんはできないんだよ。……何でもできる創造主でもね、親は造れないんだよ。結局誰だって、本当に欲しいものは、手に入らないものだよね」
「命様……」
そう、命には本当の親はもう二度と造ることが出来ない。例え子供という家族を造っても、それはどうあがいても親などにはなれないのだ。
創造主は何でもできるわけではない。できないことの方が少ないだけだ。その数少ない出来ないことに、親の存在があった。命という人格が産まれ、そして両親が愛情を与えなかった時点で、命は永遠に親を得る機会を失ったのだ。
「お前を産んだ奴らが愚かだったのはお前のせいじゃねぇよ。絶対に」
「……ふふっ、武尽はお父さんみたいでカッコいいなぁ」
武尽は察していた。命がただ親という存在を得られなかったことだけで、憂いを見せている訳ではないということを。
命は自分という存在のせいで、両親の仲が凍てついてしまったのではないかと感じていた。それをはっきりと全否定してくれた武尽に、命は涙を浮かべながら困ったように笑った。
その表情には自分を産んだ二人を思う様子など欠片もなかった。ただ、自分のために愛する子供が心を震わせるような言葉を紡いでくれたことが、ただただ嬉しく、ただただ愛しかったのだ。
「えへへっ……大丈夫だよ、みんな。ごめんね、命、もっと強い親になるから!」
「命様!私は命様がお父さんですごくすごく幸せです!」
「……ありがと、クラン」
命はあまりにも綺麗な涙を一筋だけ流すと何の含みも、裏表もない目一杯の笑顔を見せた。そんな命につられ、デグネフ、千歳、カルマ、カルナ、祈世も思わず嗚咽を漏らした。
そんな中、無邪気に嘘偽りのない思いを告げたクランに、命も神々も大いに救われた。クランが単純で嘘がつけないというのは周知の事実だ。そんなクランの肯定的な言葉は命の励みになり、上手く気持ちを伝えられずにいた神々にとっても大きな救いになったのだ。
命にはどうしても手にできなかった愛情がある。だが同時に両手から零れる程の、尊すぎる子供たちからの愛情を命は手にしている。
それだけで、もう何もいらないと思えるほどに。
命はそれを知り、小さく笑った。
第三章はこれで完結です。次回閑話を挟んだ後、新章に入ります。
次は明後日更新予定です。
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