第5章 パンドラ・パニックとなくした記憶
今回は流血表現はありませんので、ご安心ください。
「おい、聞いたか? 夏樹と影浦、付き合い始めたんだとよ」
「は? あのオタクと影浦が? 信じらんねー」
「影浦って日向のことが好きだと思ってた。女はわかんねーなあ」
クラスの話題は、それで持ちきりだった。誰かアイ●ッドかピストルを貸してくれ。アイ●ッドを貸してくれれば音楽を聴くし、ピストルがあったら今すぐ俺の頭を打ち抜く。
確かに夏樹は顔はいいが、クラスでもオープンオタクとして有名だった。それに、水穂よ、今まで俺にしてきた嫌がらせの数々はなんだったんだ。いや、水穂のことは好きでもなんでも無いんだが・・・・・・・。ええい、わからん。
「おーい、ホームルーム始めんぞー」
教室に入ってきたまるでやる気の無い教師の言葉で、俺の思考は中断された。まあ、いいか。これで俺も、安心して可憐な花を攻略していけるだろう。
雛菊と一緒にいない限り、超常的現象とは無縁だと思っていた。
少なくとも学校では、安心しきっていた。
事件は昼休み前の授業中に起きた。
「ねえ、なんか、すごい匂いしない?」
「うん。何かが焦げてるような・・・・・」
「! おい、あれ見ろ!!」
注意を促したのは、誰だっただろうか。
俺は窓の外の空を見て、絶句した。
巨大な蛇のような竜が、とぐろを緩く巻きながら、炎をまとい空からゆっくり学校のグラウンドに落ちてくるところだった。
「・・・・・・は?」
竜? 学校に?
教室は混乱状態になった。
写メを撮ろうとするヤツ、ただ唖然とするヤツ、外まで見に行こうとするヤツ。
「みんな、落ち着け! いったん席に戻ること!」
教師の言葉なんざ、誰も聞いちゃいねえ。俺も、気になったのでグラウンドに降りて、近くで見てみることにした。
今や巨大な竜は、地面に倒れ伏し、ヘビの丸焼きのようになっていた。生きてるのか?
グラウンドに降りると、竜の前に、見知った顔がいた。雛菊だった。
「よお。これ、お前が呼び出したのか?」
「日向か。そんなわけ無いだろう。こんな、混乱を招くようなことを、私はしない」
「そうだな。じゃあ、なんでだ?」
学校で非日常的な光景を目にするなんて、夢にも思わなかったぜ。
「時空にゆがみができはじめている」
おお、なんか雛菊が、SF的なことを言い出した。ふざけてはいないぜ。
「比較的狭い範囲に、前世が異世界の勇者やヒーラーや魔王だった者が集まったことで、この世界と異世界の境目が曖昧になり、時空に裂け目ができはじめている」
勇者は、夏樹らしい。水穂が朝、教えてくれた。ヒーラーは、その水穂だ。とすると・・・・・・。
「魔王まで近くにいるのか」
「そうだ。勇者に倒された魔王は、生まれ変わってこの世界にいる」
「それは誰だ?」
そこで、雛菊は、驚くべきことを言った。
「日向翔、あなただ」
「これから時空の裂け目はどんどん広がり、異世界の怪物達もこの世界に少しずつ出始めるだろう。この竜のように」
俺は、雛菊の解説は全然頭に入らなかった。
俺の前世が魔王だって? 俺にはカリスマ性も、世界征服を企んだ覚えもねえぞ。
俺の混乱をよそに、雛菊は人目のつかない木の陰に隠れ、指で何かを空中に書く仕草をした。竜の体から光の粒が出始め、光で竜が包まれると、静かに竜の体は向こうが見通せるように透明になり始め、やがてグラウンド上にはなにも無くなった。野次馬に徹していた生徒達や教師は、あっけにとられていた。
「これでよし、とはいかないな。大人数の一般人に見られたから」
雛菊と俺は、木陰で、人目につかないところにいた。聞くことが山ほどあったからである。
「俺の周りのヤツは、前世の記憶があるらしいが、俺は魔王だった記憶なんかねえぞ」
雛菊はまっすぐな目で俺を見て、
「それは私が、日向が魔王だったときの記憶を、思い出す前に封印したからだ」
「なんでそんなこと・・・・・・、いや、思い出したくはねえが・・・・・・」
「私はな、日向、この世界に転生で来たわけではないんだ」
のびをしながら、雛菊はなんでも無いことのように言った。緊張感に欠ける。
「異世界でタチの悪い山賊に会ってな、そいつは女を殺した後、私にまで致命傷を負わせた。山賊には呪いをかけて、その世界では殺したんだが、この世界に転生することが私にはなぜかわかった。神の託宣というやつだろうな。だから、魔法でこの世界の、この時代にやってきたんだ。その山賊がまた悪さをしないように」
「・・・・・・生まれ変わったわけじゃ無いから、魔法が使えるのか」
「そうだ。私はこの世界の人間じゃ元々無いんだよ」
そして雛菊は、まっすぐな目で、俺を見上げた。
「日向、魔王だったときの記憶が欲しいか?」
俺は数秒考えて、
「いらねえ。欲しくもねえ」
と答えた。自分のまさに黒歴史だったときの記憶なんて、誰がいるか。
「そうか・・・・・・・。わかった。だが、異世界では勇者の次にお前は強い存在だったんだ。緊急事態の時には、私は容赦なく封印を解くつもりだから、そのときは覚悟してくれ」
俺は苦笑した。選択権ねえじゃねえか。
「おーい、日向、なにしてんだ、そこで?」
夏樹が、遠くから俺に声をかけた。
「あ? クワガタ採りだよ。見てわかんねえのか」
「馬鹿じゃねえの。体育館で緊急集会あるんだとよ。もうみんな行ってるぞ」
「わかった。後から行く」
「遅れんなよー」
そう言って元勇者は、校舎の方へ戻っていった。
「わりぃ、雛菊、また今度・・・・・・」
俺が雛菊の方を見ると、そこには誰もいなかった。その代わり、紙切れが落ちていた。
『また、学校帰りに会おう。ゲームの中ボスの倒し方を教えてくれ』
俺は苦笑した。最強なのに、ゲームにはてこずってんだな。
勇者と、魔王と、ヒーラーと、魔術師。
一回、ダブルデートしてみたら、楽しいだろうか、とまるで緊張感の無いことを考えた。
だって、
俺の惚れた相手は、最強の魔術師様なのだから。
第5章<了>
次のエピローグでこの物語は終わりです。
お読みいただきありがとうございました。