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夢世  作者: 花 圭介
99/120

夢世99

「……聡、お前はここで何をしている? やるべきことが山積している。こんな所で油を売っている時間はないはずだ」

 柊一秋は、息子へ向ける眼差しとは到底思えない冷ややかな目を浴びせた。

「……こんな所? あんたは、この場所をそんなふうに表現するのか?」

 聡の瞳が怒りに燃えている。

「……ここが何処であろうと、今の私に有益でない限り、それは全て不要なもの……正しい表現だ」

 聡から向けられる怒りを感じ取れていないのか、能面さながらの表情のまま言葉が返される。

「ここは……毎日欠かさず手入れをして、あんたの帰りを待ちわびている母さんが住んでる家、あんたの家だ! あんたは、もうどれだけ家に帰っていないんだ?」

「……」

「昔からあんたは家を空けることが多かった……。家にいたとしても、ほとんど会話を交わすこともなく、いつも考えにふけってばかりだった……。だがあんたは、母さんが用意した食事はいつもきれいに平らげて、母さんが準備した服を着て、職場に向かっていたんだ。……母さんはそれを見て、いつも満足そうに笑ってたよ。……俺は不満だったが、こんな夫婦のあり方も、あっても良いのかなと思ったもんだ」

 聡は、懐かしそうに再現された部屋を見渡す。

「……だが、久々に実家に戻ってみれば、静まり返ったこの部屋の食卓で、声も出さずに涙を流し続ける母さんがいたんだ。俺に気付くと、取り繕おうと、慌てて涙を拭いて笑顔を作っていたが……そんなもん構わず、俺は母さんを問い詰めてたよ。原因は、間違いなくあんただと思ったからな!」

 指先を突きつけ、聡が声を震わせる。

「……お前が干渉すべき話ではない。お前はただ、私の言う事をきいていればいいんだ。すぐに仕事に戻れ!」

「もう俺には関係ない! あんたの利己的な野望を叶える場と成り果てたこの夢に興味はない! 俺はあんたの駒になるために生まれてきたわけじゃない!」 

 互いに譲る気配もなく、鋭い目つきで睨み合う。

「……私に逆らってどうなる? 何ができる? このアナザーワールドは私の思念を『宿り木』としている。私の思いのままだ。お前が不要だと分かれば、今すぐにでも排除することができる。そうなれば、お前は2度とこのアナザーワールドへ入ることはできない……。さらに言えば、お前の場合、体は休眠状態を維持させている。……夢見ることも、目覚めることもなく、暗闇の世界がお前の居場所となるだろう」

「……分かっているさ。あんたの虚言を信じ、言われるがまま従ってしまった俺の責任だ。俺にあんたを止める術はない……。俺に限らず、この夢を見ている者は皆、あんたの思念に依存することで存在できている……。誰もあんたに危害を加えることはできないさ」

「ならば、無意味な事はやめることだな」

「確かに塔矢、それに夢を見ている俺や亜花梨、美希はあんたに手出しはできない。だが……そこにいる修平は違う」

「?」

「修平は、夢を見ていない」

「……夢を見ていない、だと……そいつは……」

「そうだ、修平は『移住者』さ。つい先日、現世とのしがらみが断ち切られた存在だよ。だからあんたは、修平を排除できない。排除する先となる現世との繋がりが無いんだからな。付け加えるなら、このアナザーワールドにも依存していない……。それは、あんたが1番よく知っているだろ? 現世で命を失った者が、アナザーワールドで生きている不可解な現象。あんたは『移住者』という未知の存在を恐れて、排除しようと躍起になっていたからな。だが未だに、その存在の拠り所すら見つけ出せていない……。これがどういう意味だかわかるだろ? つまりあんたもまた、修平には手出しできない。修平は、あんたの天敵だ」

「お前は、そいつに一体何をやらせるつもりなんだ?」

「あんたの私物と化したこの夢を終わらせてもらうのさ。そして、当初の目的通り、自由な交流ができる開かれた夢の世界を創る……」

「そんなこと、この私が許すとでも思っているのか?」

 柊一秋が、白衣のポケットに手を伸ばす。

「無駄だ。この部屋は、俺のテリトリー。例えあんたが、そのポケットに仕込んだものを発動させたとしても、この中では効果は無い……。あんたが構築したアナザーワールドのシステムを利用して、創り上げた特別な空間だ。あんたの力ですら無効化される。……負担を軽減させるため、システム権限を強化したのが、仇となったな」

 柊一秋のその動きを見逃さず、聡は直様牽制する。

「……分からないようだから教えといてやるよ。ここは『バベルの塔』の最上階だ。あんたが5層まで造っておきながら、放棄した続きの層さ」

「バカな……5層から上へは、上がれる筈がない」

「そうさ、あんたの部下が、もしも命令通り『三竦みの宝玉』を処分してしまっていたなら、上層を造ったところで、此処へは上がれなかった」

「……もしも……だと」

 柊一秋の顔色が変わる。

「あんたは変わってしまった。夢の世界を提供することで人々に安らぎを与え、心のよりどころとなる神の存在を意識させることで、その精神を崇高なものへと昇華させる……。そんな導き手となるのだと、その意義を皆に熱く語っていた頃と……。あんたは、いつからか自身をまるで『神』そのもののように位置付け、人々をそのための踏み台として、扱いはじめた。反発が起こるのも無理は無い。忠実だった部下であっても、その所業を見過ごすわけにはいかなかった……。結果、『三竦みの宝玉』は処分されることなく、イベントとしての効力が発動されない地中に隠されることとなった……。いつの日かあんたが心を入れ替えてくれることを願ってな」

 想いが届かなかったその者の様子が思い出されたのか、聡が寂しげに笑みを浮かべた。

「さあ、雑談はここ迄だ。あんたには、このアナザーワールドから手を引いてもらう」

 聡の目が、チラリと修平へと向けられる。

 それに合わせて修平は、刀身が黒煙を纏うように不気味に揺らめく、幅広のジャックナイフを構えた。

「待て! 私とこのアナザーワールドは言わば一心同体、私に危害が加われば、この夢の世界自体、維持できなくなるぞ!」

「分かっているさ。あんたをコアとしたこのアナザーワールドは、あんたの精神と共に崩壊する……。だが、崩壊したなら、また新たな夢の世界を創り出せば良いだけの話だ」

「……聡、お前もただではすまないのだぞ」

「そうだな、俺も修平や塔矢と同様に肉体には戻れない身だ。行き場を失った俺の精神は、あんた諸共消滅することになるだろうな……いやその前に、あんたを『神』と崇める部下達によって抹殺されるか……。今頃、俺の体の前に群がって、始末するかどうか争議しているところだろう」

 聡は思い浮かべたその光景が、滑稽だったためか、不敵に口元をほころばせる。

「ちょっと! ちょっと、待って下さい! 私、そんな話聞いてませんよ! 私はただ、悪い人をこのアナザーワールドから追い出すだけだって聞いていたから……」

 自分を置き去りにして、思わぬ方向に展開されていく話に割り込んで、美希が声を上げる。

「悪いな、美希。もしも本当のことを伝えていたら、君は協力してくれなかっただろう?」

 塔矢が申し訳なさげな表情で声をかける。

「当然です! ……だって……その人を追い出したら、塔矢君達は……」

 美希は、急激な状況の変化を飲み下せず、頭を混乱させながらも、仲間に訪れるこの先の暗闇だけは、はっきりと知覚してしまった。こみ上げる感情の波に、心が押し潰され、その先を言葉にすることができない……。

「ありがとう。その気持ちだけで、俺は十分だ。馬鹿げた理由で生み出され、生まれた意義を見出せず消えていく……。俺のような者を、もう産み出させたくないんだ。分かってほしい」

 塔矢は、美希を慈しむような穏やかな眼差しで包み込む。

「……嫌です。……嫌ですよ! 皆さんだって、そうですよね?」

 塔矢の眼差しを直視できず、美希は仲間達を振り返る。

「俺の望みは、柊一秋を止めること……。それさえ叶えられるのであれば、他に望む事は何も無い」

 聡は、美希から向けられる懇願の目を跳ね返すように、きっぱりと言い放つ。

「……俺はもう十分もがいた。やれる事はやった。……ただそれが、思い描いた未来へ繋がる事はなかったというだけ……。柊一秋を止めることで、多くの人々の尊厳を守れる。その役目を果たせる立場の1人となれただけで、幕引きとしては納得できる。……強いて言うなら……雄彦、聴こえているか? 俺はお前と一緒に、もう1度だけ心震えるバトルがしたかったよ!」

 片手で暗視ゴーグルとマスクを取り外し、修平がその表情に軽く笑みを湛えた。

「……そんな、そんなの間違ってるよね?」

 美希は縋るように、まだ沈黙している最後の1人に視線を送る。

「……私は、塔矢さん達とは立場が違います。このアナザーワールドが無くなったとしても、美希さんと同じように、現世に戻ることができる。……だから、腐りゆく夢が終わり、新たな夢が作られるのなら、何の文句もありません。……考え方は皆違う。自分だけの尺度で答えを決めつけることは、正しくないと思います。現世で命を繋いだとしても、それが必ずしも幸福とは結びつかないのですから……」

 視線を向けられた亜花梨は、力強い眼差しで美希の考えを否定する。

「そんな……」

 美希はもう1度だけ周囲を見回し、仲間の瞳を確認する。

 そして、各々の目に力強い決意の光が宿っていると知ると、その場に尻餅をつくように崩れ落ちた……。

「……修平、始めてくれ」

 塔矢の無情な視線が、再び柊一秋へと突き刺さる。

 柊一秋は限られた空間とはいえ、逃げる素振りはおろか、文句の1つも口にすることはなかった。塔矢の瞳を真っ直ぐ睨み返す、ただそれだけだ。

 それは、用意周到に練られた計画から逃れられる術は無い、と諦めたからではない。柊一秋の口元に、四肢に、いつの間にか無数の細い糸が絡みつき、その自由を奪っていたためだ。

 修平は静かに歩を進め、柊一秋の前へ立つと、躊躇なく、澱みなく、右手に握られたジャックナイフをその胸へと突き立てた。

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