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夢世  作者: 花 圭介
98/119

夢世98

 不動の決意の筈だった……。

 心を掻き毟る辛辣な言葉が投げつけられても、この身を限りない苦痛で満たされたとしても、心は揺るがない、そんな決意の筈だった。

「……なぜ……なぜなんですか? なぜ貴方は、そんなにも似つかわしくない、儚げな言葉を口にしたのですか? 貴方は、いつだって気丈に振る舞ってきたじゃないですか! 僕にそんな言葉……1度だって、使ったことなかったじゃないですか! それをなぜ今……」

 かけられた言葉は、その人の口から、最も耳にしたくない『惰弱な言葉』だった。

 ……人間に興味を抱いた理由が彼だった。人間を知りたいと思った理由が彼だった。人間を愛した理由が彼だった。精悍でいて寛容な人間。彼はまさに、ネボにとって理想そのものだった……。

 ネボは、その言葉を発した彼を許さず、怒りを浴びせ続けるべきだと考えた。彼に浅はかな言葉を口にしてしまったと、後悔させるために……。

 だが、責め立てる言葉を吐き出せたのはそこまでだった。『なぜ』と問いながら、ネボはその言葉を選び発した彼の胸中を理解してしまったから……。

 彼は、敢えてその言葉を口にしたのだ。ネボが最も嫌悪する言葉を……。

 その言葉を選ぶことで、自分への想いを断ち切らせるために……。

 それは、別れの言葉と同義だった。

 それを知ったとき、ネボの強固なはずの決意は、こともなげに、根こそぎ刈り取られてしまっていた。

 ネボはその場でがっくりと膝を落とし、泣き崩れる。

「……俺にはもう、これしかない。これ以外に求める物がないんだ。……今まで、ありがとう」

 その場に突っ伏してしまったネボの傍に立ち、それでも真っ直ぐに前を向いたまま、隼人は揺るがない想いを言葉へと変える。

 今まで通り、愚直な人となりが感じられる、そんな澱みない声だった。ただ最後に加えられた感謝の言葉には、自分を形作るしがらみを越えた、柔らかな響きがあった……。



 周囲に散らばっていたデブリが、徐々にネボの前に集まっていく……。

 抱えていた分厚い本を開き、そこに書かれた文字を目で追いつつ、ネボが詠唱を始めたからだ。

 ネボの独唱に合わせて、デブリは優雅に舞うように、一段一段、階段を形成する。その階段は、その先の金色の扉への道をなぞるように組み上がっていった……。

「あの扉の向こうに、貴方の目的の人がいます。……自分の予言の能力に抗って、貴方をあの方に会わせないようにと試みましたが……。残念ながら僕の能力は、6層の守護者たる力を有していました。……今更語る言葉は何もありません。貴方は思った通りの人でした。あなたの選択は、僕には受け入れがたいものですが、今はただ、貴方の望みが叶う事だけを祈っています。……きっと、貴方はその目的を果たしてしまうのでしょう」

 まだ頬に涙の伝った跡を残しながら、ネボは隼人を愛おしそうに見つめていた。

「ネボ、お前との日々は『安らぎ』だった……。俺の心の大切な一部だ」

 隼人は、ネボの眼差しを感じながらも、視線を合わせることはせず、変わらぬ声音で語ると、ネボの横をすり抜け、階段を上っていく……。

 ネボは振り返り、その後ろ姿を寸刻だけ目に留めると、向き直り、藍色の空を眺めた。

 所々穴の開いた水玉模様の空が目に映る。

「あっ! ……悪かったね、君達。7層への扉は、この階段の上にある。彼に続いて行くといい」

 空の穴を観たことで、塔矢達の存在を思い出したネボが、彼等に先を促す。

 塔矢以外は状況が飲み込めていないのか、解せない表情を浮かべつつも、隼人の背中を追い、階段を上がっていく。

 階段はまっすぐ金色の扉まで伸びており、その距離は、扉の大きさがいまいち把握できなくなるほど続いていた……。

 列の最後尾から階段を上っていた美希が、およそ中間地点に当たるあたりで階下を見下ろすと、もうそこには、ネボの姿はなかった。

 何とも言えない寂しさに似た感情が胸に流れ込んできたが、向き直ると、仲間との距離を詰めるために足早に階段を駆け上った。

 やがて扉前の少しひらけた場所に、皆が辿り着く。

「この扉の先に奴がいる。心の準備はいいか?」

 扉の取っ手に手をかけたのは、塔矢だった。塔矢は皆を振り返り、その反応を確認する。

 皆は、当然だと言わんばかりに頷きだけで答えた。

 それを皮切りに、塔矢が扉を押し開いていく……。

 隙間が広がるにつれて、射し込むオレンジ色の光が勢いを増し、やがて、その場を埋め尽くさんと荒れ狂い、雪崩れ込んだ。

 豹変した光に目を焼かれまいと、咄嗟に皆が瞼を強く閉じる。

 瞬刻の静けさの後、反射的に拒絶してしまった目前の景色を確かめるため、皆が恐る恐る目を開く……。

 そこには、暴れまわる光は既になく、穏やかな空気が辺りを漂っていた。予想外の長閑さに身を包まれ、逆に心の警戒心が掻き立てられる。

 だが目に映る扉の先は、心の動揺とは裏腹に、その抱いた感覚に相違ない、ありふれた住居の一室だった。

「此処は?」

 今まで歩んできた道程と、あまりにもかけ離れたロケーションに、美希が呆気にとられた表情で呟く。

「何かのバグか?」

 塔矢も美希と同様に、不可解な状況を受け入れられず、隼人に尋ねる。

「いや……これでいいんだ」

 それに対し、隼人は動揺なく答えた。

 するとその部屋の中央、蜃気楼のように空間に歪みが生じ始める……。

 その歪みは球状に膨張し、人一人が入れるほどの大きさに定まると、甲高い破裂音を響かせ、弾けた。

「……どういうことだ」

 球体が消し飛んだ跡地には、1人の男が立っていた。

 少し長めの赤茶けた髪を左右に振り分け、眼光の鋭い視線を辺り構わず飛ばしている。

 白衣に身を包んでいるため、正確な体型を知ることはできないが、頬のこけた面から連想される華奢な姿態で、まず間違いないだろう。

 年齢は、肌艶の悪さと力強い眼光とのギャップにより、判断が難しい。

 以前このアナザーワールドで、脳内に直接流された映像を知る者は、その人物が、そのとき演説を行った者と同一人物であると気付くまで、少々時間を要したかもしれない。

 夢の中で投影された映像など、如何様にも加工出来るという、此処での『常識』に染められてしまった者ならば、そう驚きはしないだろうが……。

「柊一秋。……ようやくお前に会うことができた」

 塔矢は、柊の眼光に負けないくらいの鋭い目つきで睨み付けながら、距離を詰めていく。

「……誰だね、君は?」

 自分の名を呼ぶ塔矢へ視線を向けるも、自身がいる場所への興味の方が先に立つのか、柊はまた周囲に目を走らせる。

「……やはり貴方は、興味を失った者には露ほども関心が無いようだな」

 塔矢は、柊が見せた反応があまりにも想像通りだったためか、呆れ顔と共に乾いた笑い声を漏らした。

「ん? どういう意味かね?」

 柊は、相変わらずそっぽを向いたままで返事をする。

「……俺は貴方によってこのアナザーワールドに産み落とされた『擬似人間』さ。人々から集めた記憶や感情を擦り込み、状況の変化で人間の思考がどのように変化するかを調べるために作られた、言わばシミュレーション道具だよ。ただ俺の場合……システムの不具合によって、擦り込まれた記憶のリセットが出来なくなってしまった……。案の定、利用価値無しとして処分されそうになったが……命からがら逃げ出して現在に至るってところだ。……俺には10も離れた弟がいてな。……とても甘えん坊なんだよ。……フフフッ、何かあるとすぐに俺に泣きついてきてな。可愛いもんさ……勿論、俺の頭の中にしか存在していないがな……。もう、終わりにしたいんだ! 虚しい俺を失くしたいんだよ!」

 話をするにつれて、溢れ出た涙を拭うこともせず、最後には塔矢は叫んでいた。

「……俺が直接手を下してやりたいところだが。……残念ながら、俺にはその資格がない。まあ、貴方の行く末を眺められるだけでも、まだマシと思うしかないな……」

 心の叫びを訴えても、何ら表情を変えることのない、柊のその様子を見た塔矢は、諦めたように大きく息をつく……。

「あんたは、俺の事も忘れちまってるんじゃないだろうな?」

 そこへ塔矢の肩を軽く叩き、隼人が前へ進み出る。

「……」

 柊は先程までとは異なり、発せられた声に反応して、視線をフルプレートメイルの男に注いだ。

「ハハハッ、無頓着のあんたでも、流石に息子の声は分かるか!」

 そう言うと、隼人は徐に兜を外し、それを小脇に抱えた。

 兜の下から出てきたのは、自らを隼人と名乗る、柊聡の顔だった。

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