夢世96
「クソッ! やっぱりいたぜ、塔矢が宝玉を壁画にはめ込むのを見てた奴が……。間違いない、あいつは俺らの宝玉を使って、5層へ入りやがったんだ! まんまと出し抜かれたぜ!」
竜馬が、辺りにいるプレイヤーから得た内容を苦々しく吐き捨てる。
「どうにかして、塔矢君とコンタクトを取ることはできないかしら……」
望まぬ想定通りの情報を受け、遥が誰に問いかけるでもなく呟く……。
「テレフォンで呼び出したところで、出ることはないでしょうね。俺達の要件なんか、分かっているはずですから……。俺達ができることは、『バベルの塔』から出てきた瞬間を見逃さずに、捕まえることくらいでしょうね」
呟かれた問いに、一輝は首を振り、その望みが叶う可能性は低いだろうと推測する。
「塔矢お兄ちゃんを捕まえるの? なんで?」
目をまん丸にして、驚いた表情で洋輝が質問する。
「……表現が悪かったかな。 一輝の言う『捕まえる』ってことは……そうだな、簡単に言うと……できるだけ早く塔矢と会って、情報交換をしておくべきだって意味だよ。別々に行動していた時間が長かったからな。お互いの情報を今結び付けてやらないと、後々整理するのが難しくなるんだ。ほら、10個のピースのパズルを組み合わせるのは簡単だけど、100個のピースとなると難しくなるだろ? あれと同じさ。今なら少ないピースで情報をまとめられるんだ」
俺は少し大袈裟に笑い声を響かせてから、洋輝の頭を撫でつつ説明を加えた。もちろんその後、一輝を睨み付けることも忘れない。
「なるほどね! よく分かったよ、雄彦お兄ちゃん!」
とってつけたパズルピースの例えだったが、洋輝には感覚的にしっくりきたようだった。
「と、とにかく塔矢さんについては、出てくるのを待つとして……。塔矢さんトコのメンバー凄いですね……。修平さんやあの最強の女魔法使いは当然ですが、美希ちゃんや塔矢さんのレベルが、あそこまで上がっているとは思いませんでしたよ。……美希ちゃん、バトルの状況を見極めて、前線に向いたキャラクターになるか、後方支援に向いたキャラクターになるか、自分で的確に判断できてますし……塔矢さんも、相手の実力をしっかり把握した上で、最適な攻略方法を仲間に指示していますもんね」
一輝は、俺の視線で自身の失言に気付き、話を逸らすネタとして、塔矢達のパーティの批評をし始めたが、バトルを眺めるうちに、本当に感心してしまったようだ。
「……初めて見るが、あの剣士もなかなか面白い奴だぜ。敵の急所をほぼ一撃で斬り裂いてやがる。だが、あの戦い方は普通じゃねーな、ヒヒヒッ。急所を狙えるなら、敵の攻撃を食らっても構わないって殺り方だ。致命傷じゃなけりゃ、腕をもがれようが、脚を持ってかれようが、気にしねぇってよ。笑えるな、あいつにゃまるで『恐怖』って感情が見えない……。出てきたら1度、手合わせをしてもらうか」
竜馬が歪に笑う。
塔矢達は、俺達がそんな話をしている間にも休むことなく、攻略を進めていった……。最高到達階の記録更新は間断なく行われ、あれほど堅牢に攻略を阻んだモンスターも鳴りを潜めた。
「おいおいっ! 不味くねぇか? あいつら、この勢いで、頂上まで登り切っちまうつもりじゃねぇーか? だとしたら、塔矢に文句を言う暇もねぇーぞ!」
思い至った嫌な予感を口にしながら、竜馬が頭を両手で抱え込む。
「流石にそれは無いんじゃないですか? 進みが早いって言ったって、まだ5層ですよ。6層の10階、7層の10階と残ってるんですから……」
一輝がそんなことはあり得ないと否定しつつも、確かに早い進展具合に、浮かべた笑顔には、余裕が感じられなかった。
「……いや、7層は頂上階。そこに到達した時点で、クリアとなるかもしれない……。それに6層にしても、2層のように、クエストの進展具合で階を表す場合もあり得る……。6層がそういった層ならば、残りは、あと僅かだとも言える」
「えっ? まさか、そんな……。勘弁して下さいよ! 2人して、俺の反応を面白がって試してるんでしょ? そうでしょ?」
一輝の表情が憐れに歪む。
「……」
皆、芳しくない表情を浮かべただけで、次いで声を上げる者はいなかった。
そして遂に、前人未到の5層最上階に、塔矢達が辿り着く……。
そこには、5層の守護者『イシュタル』が待ち構えていた。
意匠を凝らした装飾品が、所狭しと並べられた1室の中央に、これまた煌びやかな玉座が据えられている……。
その玉座には、透けるほどに白い体躯を預ける女神が、優雅に脚を組み座っていた。その光景は、まさに1枚の絵画のようであり、目にした者の心を奪い、思考を止めてしまう。
魅了されてしまった冒険者達は、ただその場に立ち尽くし、時が動き出すきっかけを、ひたすら待ち続けるしかなかった……。
「よくぞここまで辿り着いた。褒めて遣わすぞ人間」
その時を動かしたのは、やはりその女神であった。アフリカの楽器『カリンバ』に似た清爽な声色が、時の歯車をなめらかに回転させる。
そして女神イシュタルは、目前に並んだ塔矢達其々に目を呉れると、満足そうに口角を上げた。
「妾は長いこと来訪者もなく退屈しておった、早速、お主らのこれまでの冒険譚を語るが良い」
居丈高に命令する傲岸不遜な態度のはずなのだが、不思議と不快な心持ちとはならなかった。
それはその言葉を放った女神のありようと、羅列された言葉とが、これ以上ない位に合致して、しっくりとくるからだろう……。
「……語ることは、何もない」
答えたのは予想外の人物だった。フルプレートメイルに身を包んだその男は、女神イシュタルの座する玉座へと続く階段を徐に上がると、無愛想にそう答えた。
「なんじゃと? 妾に話すことは、何もないとお主は申したのか? ハッハッハ! 面白いことを言う。 度胸があることは良いことじゃ。だがな、それは時と場合を見極めてから行うべきじゃな。 妾に対してそれは逃れられぬ『死』を意味することとなるぞ。……まあ良い、今回は妾にとっても予想外の発言で逆に面白かった。 さあ、ここからは本番じゃ、妾を……」
「イシュタルよ、お前に語ることなど、何もないと言っている」
先ほどの語調よりも僅かに低く響いたその声音は、強圧的な威光を孕みながら膨張し、イシュタルの鼓膜を震わせた。
おもちゃの兵隊さながらに、矮小に見えていた男の姿が、今では見上げる程の巨躯へと変貌を遂げ、視界を遮る……。
それはイシュタルの力が脆弱だからでは決してない。この『バベルの塔』において、女神イシュタルの力は強大であり、『戦の神』とも呼ばれるほどの実力を有している。それ故の不遜な態度であり、言動である。イシュタル自身、その自負があるからこそ、そう振る舞ってきたのだ。
「……貴様は、いったい……」
本来ならば、忠告を無視して重ねて無礼を働くこのような輩は、問答無用で八裂きに処するところだ。躊躇などするはずもない。
だが、強者であるが故にイシュタルは、このフルプレートメイルの男からただならぬ気配を感じとり、警戒した。全身の感覚器が鋭敏に反応し、相手の力量だけではなく、その者が纏う『脅威』を嗅ぎ分けたのだ。
イシュタルは玉座から立ち上がると、視線を注ぎ続けながら、ゆっくりとその男の周りを歩き出した。
男は仁王立ちした状態のまま、そのイシュタルの行動を受け入れる。
ただ、面ぽおから覗かせる眼差しは、鋭く臨戦態勢を保っていた。
イシュタルは再度男と正対すると、その瞳をしばらく見つめ続けた……。
「そう言うことか……」
イシュタルの目は、瞳のさらに奥にある『脅威』の理由にまで届いたようだ。
「貴様と事を構えたところで、妾には何の得も無さそうじゃの。なぜ貴様が、こんな所におるのかは知らんが、ただの『気晴らし』であることを願うばかりじゃ……」
そう言うと、イシュタルは気怠げに玉座に座り直す。
「興が削がれた。妾はもう、貴様達に用はない。先へ進みたければ、進めば良い」
視線を玉座の横、チェストの上に置かれた葡萄に似た何某かのフルーツへ移すと、それを細い指先で摘み上げ、口へと運ぶ。
小さく可愛らしい唇が果実を咥え、房から引き外すとつるりと口内へと送っていく。その光景が繰り返される中、塔矢達は順にイシュタルの脇を擦り抜け、先へと進んで行く……。
イシュタルは塔矢達に目もくれず、手にしたフルーツを平らげると、桃色のフルーツを次のターゲットと定めて掴み取る。
塔矢達の列の最後尾にいた美希が、イシュタルの脇を抜ける際、ちらと視線を送ると、イシュタルはそのフルーツに勢いよく噛み付いていた。
その表情は、そのフルーツの酸味のためか渋い表情へと変化していた。