夢世94
「分かってましたよ! ええ! 勿論! そりゃ、2度ある事は3度あるって、昔から言いますからね! ……でもね、もしかしたらって思っちゃうのも、また人間の心理ってもんでしょ! 分かっていたって、頭にくるのは頭にくるんです! 運営は、いったい何がしたいんですかね! 俺にはちぃーっとも分かりませんよ!」
一輝が怒りのはけ口を見つけられずに、誰に話しかけるでもなく喚いている。両親との再会を果たしたカリンとの別れを笑顔で終え、祈る気持ちで開いた宝箱は、やはり空っぽだった……。
壁を背に座り込むような格好で失神してしまったネルガルの体は、今では仰向けとなり、高い天井と正対している。
ネルガルが失神した後、程なくその背にあった壁が忽然と姿を消したため、支えを失った上体が、床へと転がったのだ。
新たに生まれた空間の中央には、白く輝く台座が置かれ、その上に、際立って自己主張の強い宝箱が鎮座していた……。
スポットライトが当たっているのではないかと錯覚する程に、存在感を示すその宝箱を見過ごすことはできない。吸い寄せられるように俺達は、その周りへと集まった。
その宝箱に最初に手を伸ばしたのは、もちろん一輝だった。
その指先は、今までとは異なり、がさつに奪い去ろうと乱暴に転移するのではなく、厳かにいただく姿勢を示していた。
ゆっくりと、恐る恐る伸ばされていく右手は、小刻みに震えてさえいるようだった。
宝箱に触れた右手は、優しくその外枠をなぞり、上蓋の縁へと辿り着く。
そこへ遅れてやってきた左手が、宝箱の側面に添えられる。
一拍の間を置いて、その口内を覗かせる宝箱は、一言も発せず無言のままだった……。
今思えば、そのとき訪れた無音の時間は、口を開いたまま黙りこくる宝箱の心中を示唆していたのかも知れない……。
その時間はほんの瞬刻であったが、確実にその広間に内在していた絶望感やら虚無感やらの負の想いを一切合切引き寄せ、宝箱の周囲を暗く塗り潰した。
心の端に追いやったはずの宝箱に対する皆の意識も、宝箱の口が開くと同時に、急速にその場に集約され、その場のトーンを更に陰鬱とさせた……そんな感じだった。
きっと心のどこかで、皆、宝箱の中身がないであろうことを確信していたのだろう……。
宝箱に集まったどす黒い大気は、その口内を埋め尽くし、覗き込んだ時には全てを無に帰していた。
「そう腐るな、一輝。どんなに喚き散らそうが、空の宝箱が満たされる事はない。諦めろ。……それに、これは悪い結果ではないと俺は思っている……」
内心勘付いていた結果を素直に受け容れられず、子供のように不満を垂れ流す一輝に向かって、俺はそう声をかけた。
「悪い結果じゃない? 宝箱なのに宝が入ってないんですよ? それも3度も! それのどこをどう見たら、悪い結果じゃないって言えるんですか?」
あたり構わず愚痴を吐き出すことで、心の暴発を辛うじて食い止めていた一輝だったが、俺の言葉によって、その臨界点を超えてしまったらしい……。
珍しく俺に対して鋭い眼差しで食ってかかってきた。
「一輝……このバベルの塔でイレギュラーな事は、どこから始まっていると思う?」
一輝の態度に驚きはあったが戸惑いはなかった。むしろ滅多に見ない一輝の態度が新鮮で、逆に心が穏やかに整っていくように感じられた。
「イレギュラーな事? …… 1層目のボスの宝箱が、空っぽだったことじゃないですか?」
一輝は心の所在をどこへ持っていけば良いのか分からないまま、俺のことを見つめ続けた。
「最初に起こったイレギュラーな事は、バベルの塔に入った直後、洋輝が1層で3つの宝玉を見つけた事だ」
「!」
「お前も言ってたよな、レアアイテムを発見する時は、それなりの達成感が得られる演出が必要だって。……例えば、造詣の深い、煌びやかな宝箱の中に入っているだとかな」
「! ……とするとあれは、それぞれの階層の宝箱に、1つずつ入っていたアイテムだったってことですか?」
「まだ断定はできないが、俺はそう思ってる」
「……一体誰が? 何のために?」
「さあな……。とにかく4層へ行ってみよう。4層に行けば、俺の考えが的外れかどうかは分かるからな。その先は、またそのとき考えよう」
俺は一輝の肩をポンポンと2度叩き、笑い掛けた。
「……しゃーないっすね。ここでうだうだ言っていたって、結果が変わるわけじゃない。前に進むしか、道は無いですからね」
一輝はため込んだ空気を一気に吐き出すと、寂しげな笑顔を見せた。解が得られたわけではないが、少し気持ちの整理がついたようだった。
仲間達が俺に倣い、一輝の肩や背中を叩いてから前へと進んでいく……。
一輝は、最後尾から皆の後について前へと足を踏み出した。
4層もまた、10の階層で成り立っている。ただ、今までと異なるのは、1階毎に中ボスが存在し、そいつらを倒さないことには、先へは進めないことだ。各階の中ボスは、歴史上の名だたる人物達で、そこへの道程を阻む雑魚どもは、そのボスの影響を大きく受けている。中ボスが戦国武将であるならば、鎧武者の一団が、行手を邪魔するといった調子だ。
1階は『源義経』、2階は『ユリウス・カエサル』、3階は『項羽』、4階は『ジャンヌダルク』、5階は『ルイ16世』……といった具合に、誰もが1度は耳にしたことのある面々が、中ボスとなっているのだが、単純に有名だからと選定されたわけではない。
この人選には意味がある。
名を連ねた誰もが、不運な最期を遂げているのだ。
これは人間が、如何に醜く、さもしい存在であるかをプレイヤーに刷り込むためだ。
彼らは討ち取られる間際、各々の恨みつらみを吐き出して散っていく……。
源義経であれば、自分を信じてくれなかった兄、頼朝への怨み。カエサルであれば、自身を裏切ったブルータスへの怒りの言葉が、紡がれることになるのだ。
その悲痛な叫びは、耳を塞ぎたくなるほど痛々しく、労しい。
まるで自分達が、本当の加害者だと錯覚してしまうほどに……。
「おや? 人間よ、どうしたというのだ? 此処は4層の最上階『太陽の間』、審判を受けられる聖域であるぞ。 何をそんなに浮かない顔をしておるのじゃ?」
長く伸びた金色の髪を細い指先で掻き上げながら、女神シャマシュが哀れむ声で問いかける。
「……いえ、なんでもありません。ただ疲れが溜まっているだけです。少し休めば、回復します」
俺は俯き加減だった顔を上げて、神シャマシュの視線を受けると、そう答えた。
俺達は、各階の亡霊を一致団結して速やかに屠り、一刻、いや1秒でも早くと逃げるようにして、最上階までやってきていた。
それは浴びせられる亡霊達の言葉に、自身を見失わないようにするためにとった、最大限の自己防衛反応でしかなかった。
自分達とは対照的に、生気に満ち溢れたその女神は、ネットの情報通り、好戦的な神ではないらしい……。心の疲労につけ込み、精神攻撃で先制されたならば、多くのパーティが苦戦を強いられる事は必至だったに違いないからだ。
「そうか、ならば、しばらく休憩の後、本題に入ることとしよう」
シャマシュは温かな微笑みを浮かべると、人数分のソファーを出現させ、俺達に寛ぐように促した。
「……では、シャマシュ様。お言葉に甘えさせていただきます」
俺は素直にシャマシュの言葉に従い、ソファーに腰を下ろした。その様子を見て、仲間達も次々と席についていく……。
シャマシュは、俺達と同型のソファーに坐すると肘掛に肘を乗せ、上方に伸ばされた前腕の先に、ササユリの如く咲いた指先で、自身の顔を支えた。
その一連の秀麗な振舞いに、俺は思わず見惚れてしまった。
「んっ! んんっ!」
そこへ、俺の二の腕を小突きながら、咳払いをする遥の視線が突き刺さる。
「ハッハッハ! 結構! 結構! 青春と呼べる時は限られている。恋愛を重ね心を育てる事は、良いことじゃ!」
シャマシュは、俺と遥を交互に見比べると、豪快に笑った。
「そんなんじゃ、ありません!」
遥はソファーが後方にずれる程の勢いで立ち上がると、シャマシュに激しく抗議した。だが急な行動に驚く仲間の視線が、自身に集まっていることに気が付くと、消え入りそうに座り直した。
「まずは、心を落ち着かせる事が先決じゃな……。先ほどは決まり事でな。そち達に何があったかを知らない体で、会話をする決まりとなっておったのじゃが……。わしの名を知っているところを見ると、その必要はないじゃろ。この4層は、精神的なダメージが蓄積される層。十分に心を癒してから話をしようではないか」
シャマシュは、太陽神らしく晴れやかな笑顔を見せた。
その笑顔は、ガチガチに固まった心の警戒を意外なほどあっさりと溶かしていった……。
俺達はしばしの間、旧知の友の家で過ごしているかのように、太陽神シャマシュと共に、他愛もない雑談を交し、心に負ったダメージを回復させていった……。
シャマシュは、面白いことに、人間界に興味津々で、中でも芸能界のスキャンダルが大好物だった。
同様に好物だった遥との会話は弾みに弾み、玄関先で繰り広げられる井戸端会議さながらの様相を呈した。
その分野に限って言えば、ともすると俺よりも精通しているのではないかと思えるほどだった。
「おっと、すまない。話に夢中になり過ぎて、本業を忘れてしまうところだった……。お主達は、各層で宝を手に入れているはずじゃが……。それに間違いはないか?」
女神シャマシュは、申し訳なさげに愛想笑いを浮かべ謝罪した後、どことなく不安げに、俺達に問いかけた。
「……各層での宝箱には、何も入っていませんでした」
俺は仲間達と視線を交わし、容認を取り付けた後、正直に答えた。
「……そうか、それは残念だ」
女神シャマシュは、本当に心の底から残念そうに静かに呟く……。
「ただ、此処へ来る途中で、これらを手に入れたのですが……。シャマシュ様、これが何かお分かりになりませんか?」
俺は辛そうに俯くシャマシュの前に、1層3階の床下で手に入れた3つの宝玉を差し出した。
「これじゃっ! これっ! なんじゃ、人が悪いのー、持っておるではないか! ハハハッ! これでお主らに降りかかる災いを振り払う事ができるぞ! 良かった! 良かった! 本当に良かった!」
女神シャマシュは、暗く沈んだ表情を一変させ、破顔すると嬉しそうに言葉を連ねた。
「実はこれは、1層の3階の床下に埋めてあった物です。うちのパーティには、偶然鼻の効く仲間がいたため、見つける事ができましたが……。そうでなければ、それらを見つける事は、ほぼ不可能だったでしょう。これではゲームとして成り立ちません。……この『バベルの塔』で、一体何が起きているのか、シャマシュ様は、ご存知ありませんか?」
俺は、安堵の表情を見せる女神シャマシュに問いかける。
「……そうであったか。……さすると運営はまだ、方針を変えてはおらぬということじゃな……」
シャマシュの顔からは笑顔が消え、艶やかな緋色の唇からポツリと言葉をこぼした。そして一拍の時をおいて語り始める……。
「この『バベルの塔』は、アナザーワールドにおいて、他のアトラクションとは一線を画す。最高責任者の意向が、大きく反映されたアトラクションとなっている……」
「最高責任者?」
「勿論、柊一秋のことじゃ。当初、この『バベルの塔』は、神への信仰心を高めるために建てられた。誰もが最上階へ着く頃には、神とは敬い崇める唯一無二の存在である、と洗脳される算段をした上でな。元々このアナザーワールドに関わる開発者達の殆どは、柊によって集められた人々。神に対する信仰心の厚い者達であったため、その考えは受け入れられ、順調に建設が進められた。旧約聖書では、神の怒りに触れ、人間は頂上に辿り着く事はできなかったが、信仰心を培った人間は、神に近づけるというコンセプトが、特に開発者達の心を打ったらしい……。だが、最後の最後に柊は、最上階は人間の到達できる場所であってはならない、と方針転換を行い、頂上へ辿り着くために必要な3つの宝玉を処分するよう、部下に命じたのだと耳にしている……」
「それで、宝箱が空っぽになってしまったというわけか……」
俺はちらと一輝に視線を移したが、一輝はただただ困ったような表情を浮かべるだけだった。宝箱が空であった理由は分かったが、その内容が、何とも釈然としなかったためだろう。
「……だがお主達のお陰で、運営の中に、この『バベルの塔』の頂上階に、人間を到達させたいと考える者がいた事が分かった。今でもそれを望んでいるかは分からないが、命令に背き、3つの宝玉を処分せずに隠した者がいた。運営の中に、柊の方針転換を快く思わなかった者がいたという証拠ではある」
女神シャマシュも、一輝同様に複雑な表情を見せたが、次の瞬間には、前向きに捉えようとする姿勢をとった。
「我の後ろに壁画がある。その壁画に3つの窪みが見えるじゃろ。お主らが集めた宝玉をそれぞれあるべき場所に納めるのじゃ。なに、難しい事ではない。その輝きに合った場所へ、感じるがままに納めれば良い。後は我に任せよ」
シャマシュは後ろを振り返ることなく、俺達の顔を順に確認しながら説明を終えると、最後に笑顔を付け加えた。
言われた通り、感じるがままに宝玉を壁画の窪みへと納めると、俺達は準備ができたことをシャマシュへと伝えた。
シャマシュは静かに頷き、ゆるりと目を閉じ、詠唱を始める……。
意味の分からぬ言葉が、俺達の間を擦り抜けながら舞っていく……。
だが、流れるその言の葉の調べは、不思議と心地よく、まるで木の芽風の中にいるようだった……。