表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢世  作者: 花 圭介
93/119

夢世93

 階段を前にして俺は少しの間、立ち止まった。

 躊躇しているわけではない。心の疼きも、此処へ辿り着くまでに、仲間達と共に幾つかのミッションを熟すことで和らぎ、今では遠い過去となっている。

 ただ、この3層も、この階段を登れば終局となる……。

 どのような結末となるかは分からないが、誰もが選ぶことのできなかった選択の結果が、そこにあるのだ。

 先人達が味わったなんとも表現しづらい鬱々とした結末を、できることならば爽快に覆してやりたい。そんな想いが足を止めさせ、今一度、心をより強固なものにしなければと、立ち止まらせたのだ。

 数秒にも満たない時の流れの中ではあるが、心は艶やかな光沢を帯びた真紅の宝石の如く固まった。

 満を持して踏み出した最初の1歩は重々しく、1段目のステップを少し歪ませたようにすら感じられた。

 その重厚な1歩は、その後の進行に、大きな影響を与えた。

 大気が避けていると錯覚するほどの力強い推進力を与えたのだ。

 螺旋状に積み重ねられた階段は、今まで登ってきた階段より尚いっそう長く、足元を照らす燭台の光は、弱々しく儚かった。

 先の見えない螺旋階段という構造と、足元を照らすには明らかに光源の足りない弱々しい燭台の光は、向かう者の不安を強く掻き立てる……。

 そこには、訪れる者の心を削り取ろうとする意図が感じられる。

 不安を煽ることで、最上階で待つネルガルという存在を、より神聖なものに印象付けようという演出だろう……。

 けれど、そんな思惑は、俺には全く通用しない。

 寧ろ逆境は、今の俺にとって、前へ向かう追い風となっている。

 障害が多ければ多いほど血が沸き立ち、それに逆らってやりたい気持ちに満たされていく……。

 俺は煩わしい障害も何のその、絶え間なく体を斜め上方へと滑らせた。

 その運動に合わせて、一定の距離を保ったまま、仲間達の気配も連なっているのが感じられる。

 郵送準備でベルトコンベアに並べられた集荷物が連想され、少し可笑しな気分となったが、同時に頼もしくも思え、その面々の顔を拝もうと、ちらと後方を振り返った。

 燭台の側を通過する度に、仲間達の顔が順に浮かび上がる。

 顔立ちはそれぞれ異なれど、その瞳に宿る光の質は、同じであるようだった。

 喜怒哀楽を取っ払い、ただ目的を果たす事だけに意識が向けられている梔子色の真っ直ぐな光。

 誰一人、この状況に尻込みもせず、ただ前を見つめ進んでいる……。

「おいっ! タケ! 後ろがつかえてるぞ! 早く進め!」

 すぐ後ろを歩いていた竜馬が、俺の不可解な行動に苛立たしげに言葉を投げつけた。

 俺は、そんな竜馬に穏やかな笑みを送り返してから背を向けると、また歩を進める。

 挑発するつもりは毛頭ない。

 ただただ目をギラつかせ、前に向かう姿勢を示す竜馬に、素直に賛辞を送ってやりたい気持ちとなっただけだ。

 俺は念のため、多少背中に意識を残しつつ歩みを再開したが、予想外の反応に戸惑ったのか、その後、竜馬から罵声なり文句なりが飛んでくることはなかった。

「あれっ! 出口じゃないですか?」

 そんなとき、不意に底光りする瞳の列から、誰かが声を上げた。

 目先の階段だけを見つめて前進を続けていた俺は、その声に反応して、視線を上方へと移動させる。

 すると、確かに燭台の光とは異なる青白い光が、左方の壁をつたうようにして差し込んできているのが見てとれた。

「……着いたようだな」

 発せられた声による指摘が、正しいことをその状況から読み取り、特段取り上げるほどの感情の高ぶりもなく、俺は肯定した。

「ヒヒヒッ……ネルガルの奴、どんな反応をしやがるか、楽しみだな」

 その後ろで、竜馬が粗野な笑い声を撒き散らす。

 仲間の誰もが思っていることを口にしただけなのだが、竜馬が言葉にした途端、とんでもなく罰当たりな思考に辿り着いてしまったようで、心疾しく感じてしまう……。

「とにかく行きましょ!」

 そこへマイナス感情を払拭するように、遥の声が凛と響き渡った。




 訪れた広間の天井は高く、白を基調とした太い柱が、何本も連なりそれを支えていた。

 そこには涼やかな空気が巡り、上手から春の陽光を思わせる柔らかな煌めきが降り注いでいる……。

 『天界』……そう形容するのが相応しく思える場所だ。

「よくぞ参った、人間よ」

 そこへ微笑を浮かべ、両の手を広げたまま、ゆるりゆるりと歩み寄る者がいる。

 この階層の守護者、ネルガルだ。

 その体躯は、頭の先からつま先まで、全てのパーツが丸みを帯びており、まるでハイハイ前のぷっくりとした赤ん坊から、手足だけを引き伸ばした風体である。

 だがそれがゆえに、人々はその容姿から中性的で神秘的な印象を受け、敬い崇める対象として認知してしまう……。

 俺も同様に感取してしまった1人のようで、自然と視線をネルガルの足元へと落としてしまっていた。

「汝等の中に悲しみの奥へ沈み、心を閉ざしてしまった少女がいるであろう。……此処へ連れて参れ」

 俺達の数歩手前で立ち止まると、ネルガルは全てお見通しだと言わんばかりの顔でそう告げた。

「……」

「どうした? 早く連れて参れ」

 反応を示さない俺達に対して、ネルガルは瞬刻眉間に皺を寄せたが、すぐに元の表情へと作り替える。

「くくくっ……。こいつ、こいつっ! あーっはっはっー!」

 そこへ例によって例の如く、竜馬が罰当たりにもネルガルを指差しつつ、豪快に笑い声をあげた。

 俺達の視線は、自然と遥へと向けられた。

 竜馬に対し、決まり事のように、またなにがしかの苦言を呈する言葉が投げかけられる、と想像したからだ。

 しかし遥は、口を噤んだまま声を発することはなかった。

 ただ向けられた視線のそれぞれに目を合わせた後、目を瞑り、鼻を鳴らしただけだった。

 自分がどんなに竜馬の言動を制そうと試みたところで、結果は変わらず、争いへと発展することを学習したらしい……。

 まぁ実際のところ、その行為は、無駄どころか火に油を注いでいるだけだったが……。

「貴様! 無礼であるぞ! 神前だということを弁えよ!」

 ネルガルは、顔を湯がったタコさながらに赤く染め上げ、怒りを露わにする。

「これが笑わずにいられるかよ! お前、神なんだろ? それなのに、何見当違いなこと言ってんだ? 心を閉ざした少女? そんなもんどこにいんだよ?」

 竜馬は未だ疼く笑いの衝動を押し込めるように、片方の手を腹に当てがい、もう一方の手の親指を返すことで、後方に控える仲間達をネルガルに見るように促した。

 ネルガルは、竜馬のその行動にも不満を募らせたようだが、どうにかこうにか噴き上がりそうな感情を抑え込むと、人間達の様子を確認するため、視線を奥へと運ぶ……。

 対象と思われる少女はすぐに見つかった。

 だが、その瞳には力強い輝きが宿り、とても心を閉ざした者とは思えない。

「お前はなぜ、そんな目ができる? 両親を醜いミミズの化け物に喰われた筈だ。……生きたまま、目の前で、何度も無数の牙で噛み砕かれ、そして飲み込まれる。……そんな地獄のような光景を」

 ネルガルは瞬きもせず、目を見開きながら少女を見続けた。

「やめてください! 娘が怖がります!」

 そこへ、ネルガルの視線を遮るように、1組の男女が躍り出た。

「……貴様等は、その娘の……。どういうことだ! なぜ貴様等が生きている? 我の僕に喰われているはずであろう! これでは神の尊厳を知らしめることができぬではないか!」

 ネルガルは、頭部に血管を浮かび上がらせながら、地団駄を踏む。

「……我の僕? 聞き捨てならないな、ネルガル。お前は、神の尊厳を知らしめるとかいうくだらない理由で化け物を操り、その少女から親を奪おうとしたのか?」

 俺は理性を保つために、1つ大きく息を吐いてからネルガルからの返答を待った。

「くだらないだと? 人間風情が思いあがるな! 貴様等は、我等神々の下僕だ! 本来言葉を交わすことすらおこがましいくらいなのだ! 跪け! 頭を垂れろ! 泣き縋れ! それが貴様等の本来の姿だ!」

「……もういい、耳が腐る」

 俺の心にはもう怒りの感情すらなかった。ただ目の前のゴミを、早く処理したいと思うばかりだ。

「なっ、何と言った? 貴様、今、何と言った!」

 ネルガルがギリギリと歯噛みし、怒鳴り散らす。

「こいつ、まだ状況が分かってないみたいだな……」

 竜馬が呆れ顔で俺の横に並び立つ。

「何だと!」

「俺達に対して、今のお前には、何のアドバンテージもねえって事だよ! こっちは誰も死んじゃいねえんだ! てめえの能力は、せいぜい空っぽのコピー人間を作り出す程度のもんだろ!」

 竜馬が鋭い目つきでネルガルを睨み付ける。

「!」

 途端にネルガルの表情が凍りつく。

「そうですよね。我慢する必要は無いですよね。……俺がやっちゃってもいいですか?」

 さらに竜馬の横に一輝が並びながら剣を引き抜く……。

「えー待ってよ! 僕も思いっきり噛み付いて、グチャグチャにしてやりたいんだけど……」

 またその横に、舌なめずりをしながら洋輝が並ぶ……。

「ねえ、待ちなさいよ。最大限の苦しみを与えたいんでしょ? それなら私が、とびっきりの『毒』を調合してあげるわ。激痛と共に全身のありとあらゆる穴から血が吹き出すの。まるで噴水みたいに……」

 遥が、さまざまな色の液体が入った小瓶をいくつも指の間にぶら下げながら、洋輝の横へと進み出る……。

「まっ、待ってくれ! 悪かった! 私が悪かった! どうか許してくれ!」

 ネルガルは後退りしながら、涙ながらに命乞いをする。

「許してくれだ? 今さら何を言っている? 人間をなめんじゃねーぞ!」

 竜馬が1歩、ネルガルに近づく。

「はははっ、笑わせてくれますね。駄目に決まってるじゃないですか!」

 一輝も1歩前へ出て、剣の刃を煌めかせる。

「どこからかぶりついてやろうかなぁー」

 洋輝が鋭い牙を剥き出し、ガシッガシッと噛み鳴らしながら、同様に前へと進む。

「これを注ぎ込む瞬間が、たまらないのよねー」

 遥の手には、いつの間にか、ブクブクと泡立つ紫色の液体で満ちたボトルが握られており、それを嬉しそうにネルガルに見せ付けながら詰め寄ると、ウインクをした。

「もう、やめてくれー! 来るなー! 来るなー! ……ぎゃー!!」

 ネルガルはズリズリと後方へと体を引きずり続けたが、退路がなくなると、白目をむいてその場で崩れ落ちた。

「カリン! どうだった? この余興は?」

 神・ネルガルを失神にまで追い込んだ全員が、満面の笑みで振り返る。

「ハハハ……」

 カリンは顔を引きつらせ、空笑いをするのが、精一杯といった感じだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ