夢世83
「ここまで弱々しくて痛々しい姿を見せられると、攻略した気分になれませんね。折角、ネットにもなかった結末に辿り着いたっていうのに……」
一輝の表情には、喜怒哀楽のどれもが宿っていなかった。感情を切り離し、ロボットのようにただ無機質にそこに佇む……。
自分の行為が、自分自身の心の中で、懐疑的なものへと移り変わらないようにするためだろう。勝利へと導いた一輝の行動は、バトルにおいて責められるようなものでは決してない。それは策略の範疇であって、卑劣な行為ではないのだ。
ただ、一輝の機転によってもたらされた勝利の後に残されたものが、その攻略対象であったマルドックと呼ばれる神の涙と、その僕であるムシュフシュの痛々しい姿だっただけなのだ。
だが、どんなにその行為の正当性を説いても、現状を目にした者は、俺達を寄って集って弱い者いじめをしている粗暴者の集まり、と見てもおかしくはない。
「……マルドック。お前、神なんだろ? そいつの傷を癒してやるくらいの能力はないのか?」
重苦しい空気を変えようと、俺は渋々マルドックに話しかけた。
「……我に与えられたものは、風を操る能力と炎への耐性、それと……ムシュフシュだけだ」
マルドックは悲しみを押し殺しながらそう答える。
「……」
俺はどのように言葉を重ねれば良いのか見当がつかず、助けを求めるように仲間に目をやる。
洋輝は困ったように耳を垂れ下げ、竜馬は俺と目が合う前にそっぽを向いた。
一輝はというと、明後日の方を向きながら腕を組み、強張った顔で心胆を保とうとしているように見えた。
きっと、この状況を作り出したのが、自分であると自覚しているからだろう。
「……もしかしたら、その子を助けられるかも。……やってみる?」
そこへ遥が、今まで見たことのない神妙な面持ちの一輝に、困惑しながら尋ねる。
「え? あっ……いや、俺はどっちでもいいですよ」
一輝は一瞬顔を綻ばせたが、また元の仏頂面に戻って答える。
「……あっ、そう。じゃあ、やらなくても良いんだ」
素直に答えない一輝に対して、遥は嫌味な言い方で返した。
「はぁー、……分かりましたよ。本当はやってもらいたいです。……遥さんには敵いませんね」
一輝は腰に手を当て、じっとりとした目で見続ける遥を見て、自分がらしくない態度をとっていたことに気付かされたようだ。
「感情の切り替えって難しいのに流石ね。無駄が省けて助かるわ」
遥が嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます。でも、たまたま遥さんの対応で、気付かされただけですよ」
一輝が普段と変わらぬ穏やかな表情で答える。
「さて、マルドック君。あなたのお友達を治療するために、直接その子に触れたいんだけど……大丈夫かしら?」
遥は、躊躇うことなくつかつかとマルドックのもとまで歩み寄ると、目線を合わせるために、少し屈み込みながら声をかけた。
「あっ、あ……。ムシュ……ムシュフシュを、治せるって言うのか?」
慌てて涙を拭い、声を詰まらせながら遥を見上げる。
「断言はしてあげられないけど、あなた達が協力してくれるなら、頑張ってみせるわ」
遥はまるで子供をあやすように、マルドックの巻毛を優しく撫でる。
「……汝の言葉を信じよう」
マルドックはそう言うと、ムシュフシュに向き直り呼びかけた。ムシュフシュとの会話は、数秒で終わった。
マルドックの話が終わると同時に、ムシュフシュが頷いたことで、了承してもらえたのだと分かる。
それを受けて、遥がムシュフシュの背中へと向かうと、ムシュフシュはそれを目で追った。
「心配しないで、もう傷付けたりしないから」
遥は、ムシュフシュにどれだけ言葉が伝わるのか分からない分、それを補おうと笑顔を作る。
笑顔を作った後に、それすらもムシュフシュに伝わるのかとの疑問が過ったが、その表情で押し通した。
ムシュフシュは見つめるだけで、それ以上の行動は起こさなかった。
遥は未だ流れ出ているムシュフシュの体液を、いくつもの小瓶で受けると、それぞれに何やら粉を混ぜていく……。
混ぜた物の中で、最も明るい菜の花色へと変化した小瓶と、深い瑠璃色へと変化した小瓶とを交互に見比べ、大きく1度頷いた。
「この子に効く薬の材料を特定できたわ! あとはそれをできるだけ多く集めて、正しく調合し、体内にとり込めば、きっと良くなるはずよ!」
思いの外、上手くいったのだろう。遥は皆に満面の笑みを披露し、俺達の反応を待った。
遥の頭の中では、皆からの称賛の声が次々と降ってくる、と予想していたのかもしれない。だが実際には、俺などがその対価に見合う反応を示してやることはできなかった。
なぜなら、いち早く望まれぬ反応を見せた者がいたからだ。
「笑顔を見せるのはまだ早いですって! 直ぐに集める物を教えて下さい!」
笑顔を振りまく遥の胸襟など意に介さず、労いの言葉すらかけずに、一輝がずいと1歩前へ踏み出しつつ、答えを急かしたのだ。
「……これとこれよ! 『疾風モグラ』を追いかけてたときに見かけたでしょ!」
遥は笑顔を不服そうな顔に作り変えてから、鞣革で出来た大きな鞄を自身の足元へ呼び出した。ガサゴソと中を探り、透明なカプセルを2つ取り出す。
そして、時代劇ドラマの印籠さながらに、一輝の目の前にそれを突き出す。カプセルは、標本のように何らかの液体で満たされ、中に2種の鮮やかな緑色を湛えた野草が揺れていた。
「……草なんてそんなに注意して見ていませんよ。でも、わかりました。それをどれぐらい集めればいいんですかね?」
遥の態度の変容にも動じず、さらに詳細な情報開示を促す。
普段は周りの空気を読める一輝だが、なぜだか遥と関わるときに限って、その感覚が急に鈍感になる気がする……。
一輝には、遥の苛立ちが分からないのだろうか……。いや、今回に限っては、分かっていながら敢えてそうしている節がある。先程、遥にやり込められたのが、気に食わなかったのかもしれない……。
「言ったでしょ! できるだけ多くよ! 多く!」
遥はさらに苛立ちを募らせ、言葉を乱暴にぶつける。
「そんじゃ、遥さんの体重分くらいですかね? ……だとしたら、今日中に集められるかな?」
一輝は困った表情と共に頭を掻いた。
「そんなに必要なわけないでしょ! どれだけ飲ませるつもりなのよ! 逆に死んじゃうわよ! だからーー」
遥は憤然としながらも、だいたいの分量を身振り手振りで一輝に教える。
「了解です。遥さんのお尻分くらいの量ってことですね! じゃ、早速行ってきます!」
一輝はニッコリ微笑み敬礼すると、すぐさま逃げるように森へと向かって駆けていく……。
「……」
寸秒無音の時が刻まれた後、極寒の地さながらに、遥の周囲が凍りついていくのが分かる。
「あーっと、……そうだ! 俺も探しに行ってくるよ! そいつを早く治してやりたいからな!」
「俺も一緒に行くぜ! たまには雑用作業でも貢献しなきゃな!」
「僕も連れて行って! 僕の鼻があれば、きっといっぱい見つけられるから!」
その場にいる危うさを敏感に感じとった俺達は、すぐに一輝の後を追う。
振り返ることすら恐ろしく感じた俺には確認することはできないが、遥の下に残されたマルドックとムシュフシュは、剣を突き立てられたとき以上に、生きた心地がしないのではないかと、憐れむことしかできなかった……。