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夢世  作者: 花 圭介
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夢世77

 白いキャンパスに、何を描こうかと思案している俺がいる……。

 風景画は苦手だから、人物画にするか、それとも動物画にするか悩むところだ。

 技法にもよるが、人物画は細かな描写が求められる場合が多いと感じる。

 それは自身が、同じ人間であるからだろう。

 日常触れ合う機会の多い人間という生き物については、皆がそれなりに学習を積み重ねてきている。そのため、ちょっとした仕草や行動で、その人間が、今どんな感情を抱いているのか、敏感に感じ取る能力が備わってしまった。

 故に、少しでも気を抜くと、想いは掠れ届かず、受け手に伝わらないばかりか、途端に白けた絵となってしまう。

 そう考えると、今、描くべき対象物は、動物ということになる。

 空を自由に飛ぶことができる鷹を描くか、はたまた大地を滑るように走る馬を描くか、それとも水中を優雅に泳ぐクジラも捨てがたい……。

「ガチャンッ!」

 キャンパスに見立てた天井を仰ぎ、ベットの上で描きもしない絵の構想を練っていた俺は、不意に玄関先から発生した金属音に意識を向ける。

 確か今日は日曜日だった筈だが、両親は朝から外出すると言っていた。

 それぞれが別の用事で出掛ける事までは覚えているのだが、内容は忘れてしまった。取り敢えず、朝からいないのだなと認識できれば、俺にとっては十分だった。

 天井から視線を外し、時計に目をやる。

 時刻は午前11時を指していた。もう昼の時間だ。

 そうなると、今の音は、両親により立てられた音ではないということになる。

 だとすると……十中八九、またあいつが来たのだろう。

「雄彦ー! まだ寝てるの? いい加減起きなさいよー」

 思った通りだ。長年聞き慣れた声色が、俺の名を呼んでいる。

 俺は「はぁーっ」と大きな溜息を吐き切ると同時に、反動をつけベットから上体を起こした。

「ねぇー聞いてる? おーい!」

 緊張感のないゆるい声が、再度俺に呼び掛けている。

「あーっ、もう!」

 俺は頭を掻きむしりながら布団を蹴り飛ばすと、ベットから立ち上がり、ノシノシと音を立てながら、1階の居間へと向かった。

 階段を下りきり、居間へ足を踏み入れると、すぐ目の前に、声の主である遥が立っていた。

 丁度良いとばかりに俺は、俺の穏やかな時間を妨げた報いを与えてやるつもりで口を開いたのだが、声を発することはできなかった。

 何時もよりもちょっと着飾り、大人びた女性の色香を漂わす遥が、そこに立っていたからだ。

「どうしたの? 固まっちゃって、変なの! 私がいつも以上に美人だから驚いちゃった? イヒヒッ」

 遥は頬を赤らめながら、悪戯っぽく笑った。

「何、言ってんだ! そんなわけないだろ!」

 俺は遥から視線を外し、虚空を見つめた。

「……それより、何の用だよ」

 視線はそのままで、ぶっきらぼうに要件を尋ねる。

「雄彦、今日、暇でしょ?」

 視線を外しながらも、遥が上目遣いで、こちらの様子を窺っているのが分かる。

「失礼な奴だな」

「じゃあ、何か予定あるの?」

「……ないけど」

 俺は、少しでもいいわけになりそうな事柄を模索したが出てこず、不本意ながらも正直に答えた。

「そうでしょ? なら決まりね!」

「何が?」

「いいから、いいから、出かける準備をとっととやる!」

 遥が嬉しそうに微笑み湛えた顔で、俺に指示を出す。

「何なんだよ、まったく」

 俺は、口の中でぐちぐちと文句を言いながら、外出準備を整え始める。

 途中服装に何度か手を加えられたが、苛立ちをぐっと抑えて言われるがままに従い、滞り無く準備を終えた。

 遥の笑顔には、なぜだか逆らい難い不思議な力が、秘められている……。

 他の奴ならば、大抵はどんな笑顔を向けられても、自分の意思を優先して行動することができる。

 だが、遥の笑顔を見てしまうと、その場に至るまでの感情が、例え『負』の方向へ傾いていたとしても、さらりとクリアされ、望みを叶えてやらなければと思ってしまう。

「OKだね! それじゃ、出発!」

 遥は、俺から数歩離れた場所から、俺の全体像を捉えると、納得したように1つ頷き、俺の腕を引っ張り、外へと連れ出した。

 ドアを開けた途端、飛び込んできた強い日射しが、俺の目を焼く……。

 慌てて空いた手で光を遮ったまま、遥に遅れないように足を運ぶ。

「で? 何処へ行くんだ?」

 意気揚々と、未だ俺の腕を引き先導する遥の横顔を眺めながら、ため息混じりに尋ねてみる。

「エヘヘ……。実は、特に決めてない。だけど……いろいろ見て回りたいなぁーって」

 遥はくるりと振り返ると、目をキラキラさせながら、期待を込めた目で俺を見る。

「……なんだよ。目的があるわけじゃないのか」

 俺はてっきり、遥が『バベルの塔』攻略の糸口、あるいはそれに付随する何かを得てきたと思い、ついぼやいてしまった。

「何よ! 目的が無いと、雄彦は私と付き合ってくれないわけ?」

 遥が不満げな表情で、俺を睨む。

「そうじゃない、そうじゃない。……いつもなら、何であれ要件があったから……。今日みたいなパターンは、あまり記憶になくてさ……」

 俺はコロコロと変わる遥の表情に翻弄され、戸惑いを隠せないまま答えた。

 そんな俺の態度を横目で見たまま、遥は腕を組み、人差し指で自身の二の腕をトントンと叩きながら、俺の返答を待っている。

「……あー、まあ、取り敢えず駅まで出ようか。向かっている間にやりたい事もまとまってくるだろう。遥も、何かリクエストがあったら言ってくれ」

 数秒の間を経て、遥の態度から、行動を委ねていることに勘付いた俺は、多くの進路を選択できる駅へ向かう案を提供した。

「そうね……無難な選択肢だけど、行動の起点とするには、間違いは無いわね」

 遥はポーズは変えずに、口角だけ上げて俺の提案に応じた。

 その堂々たる振る舞いは、決して口にはできないが、『姉御』と呼ぶに相応しい姿だ。




「現実世界の街並みは、夢の世界よりも何だか……。やっぱり、現実味があるわね。……当たり前だけど」

 遥が、人混みの多さに顔を顰めながら呟いた。

「……なんでだろうな。アナザーワールドでも、五感はしっかり働いているのに……」

 遥の感想に、同様の想いを抱いていた俺が同意する。

「現実世界の方が、『重み』みたいなものを感じるのよね」

 遥が一考してから、素直に感じた感覚を言葉にする。

「俺も遥と似た感覚だな。現実世界には、省けない『煩わしさ』があるからかな」

「そうね……そうかもしれない。朝から細々とした『煩わしさ』を積み上げて、私達は今、此処にいるものね。髪を梳かすとか、御化粧をするだとか……。そんな些細な出来事が、『重み』となって現実味を強く感じさせているのかも……。この瞬間も、信号を待つっていう『煩わしさ』に耐えているから、進めた時の開放感を味わえるんだわ」

 並んで信号待ちをしながら、遥が俺に微笑みかけた。

 赤から青へ信号が変わる……。

 俺達は、いつも以上に歩める喜びを実感しながら、先へ進んだ。

 ファーストフード店で一緒に食事をし、様々な店のウィンドウショッピングを楽しみ、行き着いた先はプラネタリウムだった。

「……雄彦、覚えてる? 中学生の時、学校行事でプラネタリウム、一緒に観たこと」

 俺達を含めて数人しかいない閑散としたホールで、遥が小さな声で話し掛ける。

「ああ、覚えてる。終わった時、俺達以外、周りの奴らは殆ど寝てたんだよな」

「そう、先生まで寝てて……。笑っちゃったよね」

 遥が口元を押さえて、笑いを堪える。

「……何でだろうな。俺なんかもっと観ていたいってくらい、ワクワクするんだけどな」

「うん、私もプラネタリウムって、とても不思議な気分になる。何ていうかな……。宇宙の壮大さを身近に感じられるし、……そんな中に自分がいる。とても特別な事なんだって感じて、幸せな気分になる」

 遥は満たされたような表情で、満天の星空を眺めていた。

「……そうなんだよな。宇宙は果てしなく広くて、自分なんて、それに比べたら塵ほどにも当たらないのに、一緒の時の中に存在している。そんなことを感じられるだけで、とても誇らしく思えるんだ」

 俺は遥の横顔から夜空に目を移すと、自分の考えを自然と口にしていた。

 数え切れない星々を見上げながら、価値観の近い女性が隣に座る特別さに、俺は感謝するべきなのかも知れないと感じつつも、それ以上は言葉を連ねず、ただひたすら星空を眺め続けた。

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