夢世76
今、俺たちの目の前には、神が寛ぐ部屋に相応しく、玉座を中央に配して、左右対象に煌びやかな調度品が並べられた謁見の間が広がっている……。
どれも美しく、手の込んだ装飾が施されており、触れるのも憚られるほどの存在感を放っている。
だが、その所有者であった者の姿は、もうそこにはない。
神であったその者は、恐れを知らぬ悪鬼もかくやと思われる男の手によって、葬られたのだ。
肉体は光の粒へと変容し、舞い上がると次第に薄れ消えていった……。
結果、この雅な空間に残されたのは、その場に相応しいとは到底思えない俺達だ。
「そんじゃまぁ、戦利品をいただいていきますか!」
一輝が揉み手をしながら、下卑た笑みを浮かべ、辺りを見渡す。
「ちょっと、一輝君。その表情は、どうかと思うけど……。まるで本物の盗人みたい」
遥が嫌悪感を隠さず、苦々しく眉を寄せ、一輝を見る。
倒した相手が設定上とはいえ『神』であったことに対して、一抹の罪悪感があるようだ。
「だって、どんなお宝が出てくるのか、楽しみじゃないですか! ボスキャラを倒したんですから、きっとそれなりの物が手に入る筈でしょ?」
一輝は、女性からの言われ慣れない糾弾の言葉に、目を白黒させる。
「神様の宝物に手を掛けるんでしょ? もっと、なんかこう……厳かにというか、姿勢を正して……」
「ハハッ、何言ってやがる。どっちにしろ奪っちまうんだろ! 体裁なんか気にしたって、しょうがねぇだろ!」
竜馬が鼻で笑う。
「何よ! バチが当たっても知らないから!」
遥が、桜色に染まった頬をぷっくりと膨らませ、抗言する。
「遥は囚われ過ぎなんだよ。もっと肩の力を抜いて、楽しまなきゃ」
俺はそう言いながらも、そんな考え方をする遥を好ましく思う。
遥は時に子供のように、ピュアな反応をする。
以前、俺が自動販売機で買ったお茶を手渡そうとすると、遥が少し躊躇った後、両手の親指を握り込んだ状態で、挟み込むようにして受け取ったことがあった。
その行動に違和感を抱いた俺が、『何してんの?』と尋ねると、『……横に霊柩車が止まっているから』との答えが返ってきた。
意味が分からず、俺が説明を求めると、遥は渋々その理由を話してくれた。
遥によると、霊柩車を見たときに親指を隠さなければ、親が早死にするのだという。滅茶苦茶な論法だ。
正直、俺はそのとき、聞いた話と親指を握り込んだまま、お茶のペットボトルをぎこちなく挟み込んでいる遥の姿を見て、笑いを堪えるのに必死だった。
遥はそのときの様子から、俺の心中がどのような感情に満たされているか理解し、顔を赤らめたが、結局、霊柩車が見えなくなるまで、その持ち方を崩そうとはしなかった。
「タケさん! タケさん! こっちこっち! こっちに来て下さい!」
そんな回想シーンを掻き消して、一輝が玉座の後から身を乗り出し、声を掛けてきた。
「なんだよ! 煩いな!」
俺は微笑ましい回想を邪魔され、イラつきながらも一輝の方へと足を向けた。
他の仲間も、一輝の大きな声に導かれるように、玉座の後ろへと回る。
「わぁー、きれいな宝箱だね!」
洋輝が素直な感想を述べる。
「まあ、これがメインの宝箱だろうな」
竜馬が周囲をぐるっと見渡すと、軽く頷いた。
他にもいくつかそれらしい箱が見受けられたが、この宝箱に使用されている装飾品や細工を見れば、それらとは一線を画す代物であることは、明らかだった。
「……」
遥は何も言わず、皆より一歩退いたところで、こそっと手を合わせている。
「それじゃ、俺が開けるぞ」
俺は遥の行為に見ぬふりをして、宝箱に手を伸ばす。
びっしりと細工が施された宝箱の蓋は、想像以上に重たく感じたが、鍵は掛かっていなかったため、すんなりと口を開いた。
「……どういうことだ?」
宝箱の中身を確認した俺は、ヨロヨロと後退りしながら呟いた。
そんな俺の反応を目にした一輝達は、逆に興味をそそられたのだろう、餌にがっつく野良犬のように、我先にと、宝箱の中を覗き込んだ。
そして、中身を確認すると、一様に解せない表情を浮かべ、俺と同様におぼつかない足取りで、後方へと退いていった……。
「……何よ、何が入っていたのよ」
1人宝箱の中身を確認せずに、チラチラと皆の行動を横目で見ていた遥が、皆の不可解な態度に戸惑いながら質問する。
「……見りゃ分かるさ」
竜馬が何とも判断のつかない無感情の顔でそう答えた傍で、一輝と洋輝が、負のオーラを全身に纏ってうな垂れている。
遥は、一輝と洋輝のこの世の終わりでも悟ったような落ち込みように、哀れみの視線を送りつつ、そっと宝箱の中身を覗き込んだ。
「え? どうして? 何も無いじゃない!」
遥は宝箱の中に手を突っ込み、何度も手をバタつかせた。
「そうなんですよ! 無いんです! 何も無いんですよ!」
「僕、すごく楽しみにしてたのに!」
一輝と洋輝が、遥の腰元に縋り付く。
まるで、年貢を取り立てるお代官様に泣き付く、百姓とその飼い犬といった図式だ。
「ちょっと! ちょっと! 悲しいのは分かるけど、私に縋っても、何も出ないから!」
遥が縋り付く2人を振り解こうと、無理矢理のっしのっしと歩き出す。
「宝物ー!」
「ワオーン!」
一輝と洋輝は、引き摺られてもなお、痛々しく叫び続けた。
荘厳華麗な謁見の間で、ドタバタ劇を繰り広げる有様は、現実離れを通り越して、もはや夢離れだ。
俺の横では、竜馬がその様子に腹を抱えて笑い、悶えている。
俺は途端に脱力し、自然と笑みがこぼれた。
たまにこういう時があっても良いか、と俺は自分を納得させ、気兼ねなく竜馬と並んで、腹を抱え笑った。
「2層を見てみたいところだが、切りが良いから、今日はこの辺で御開きとしよう!」
一頻りおバカなコントを堪能した俺は、竜馬の目配せに合わせて、今日の攻略終了を告げた。
いつもならば渋る洋輝も、今日ばかりはもうやる気が出ないようで、素直に俺の言うことに従った。
宝への期待が大きかっただけに、その度合いはそれぞれだが、皆、落胆の色は隠せなかった。
「……やっぱり、バチが当たったのよ」
遥がぼそりと呟く。
「姉御! 俺のせいだって言うんですか?」
一輝が、また遥に縋り付こうとする。
「わっー! もう分かったから、一輝のせいじゃない。一輝のせいじゃないわ!」
遥はたまらず、一輝から距離を取る。
「……ん? 今、私のこと『姉御』とか言わなかった?」
十分距離を取った後で、掛けられた言葉の違和感に気付き、遥が一輝に問う。
「え? そんなこと言ってないですよ! 遥さん!」
一輝は、平素しない真面目ぶった顔で答える。
皆がその様子に肩を震わせながら、笑いを堪える。
「やっぱりね! 覚悟は良い?」
遥は、皆の反応から、一輝が嘘をついていると知ると、徐に弓を構えた。
「いやいや、待ってください! 洒落になりませんよ! 姉御!! ……あっ! じゃなかった、遥さん!」
一輝は、自分が致命的なミスを上塗りしたことに気付くと、何とか誤魔化そうと、例の小動物のような目で、遥を見つめた。
シュルルルル!
遥は言葉を発さず、一輝を虫けらでも見るような目で見据えると、躊躇なく、1本目の矢を放った。
「わっ! 今、本気で串刺しにしようとしたでしょ!」
一輝がかわさなければ、放たれた矢は的確に、一輝の眉間を貫いていたに違いない。
シュルルルルルッ!
「ぎゃー! 誰か助けて下さいよ!」
先ほどよりも更にスピードの増した2本目の矢が、一輝の顔スレスレを掠める……。
洋輝は、前足でその光景を半分隠しながら、おっかなびっくりチラチラと見やり、俺と竜馬は、その光景を長閑な日常を過ごすかの如く、柔らかな微笑み湛えながら、只々眺め続けた。