夢世74
「この扉がそうか?」
竜馬が『バベルの塔』に入って以降、対面してきた扉よりもひとまわり大きな扉を眼前にして、同意を求める。
『バベルの塔』の入場門に比べれば小さくはなるが、明らかに今までくぐり抜けてきた扉よりも大きく、装飾の美しいそれは、他の物とは別格だった。
「ああ、これに間違いない。ネットの情報そのままの扉だ」
俺は扉の形状、装飾を、自身が調べた内容と相違ないか確認した後、深く頷いた。
その扉は、ブロンズ製の蒲鉾型で、観音開きする造りとなっている。表面には、細かな装飾が隅々まで施され、その質の高さに見入ってしまうほどだ。
向かって右側には、衣を風になびかせながら宙を舞う人物が、杖を大きく掲げており、左側には、その人物を崇めるように、ひれ伏す男女の姿が彫られている。
杖を持った人物は、慈愛溢れる表情を湛え、眼下に控える男女を見つめているのだが、その人物に頭を垂れる男女の表情からは、畏敬の念だけではない特別な感情が垣間見える……。
それは嫉妬であったり、屈辱であったりとした負の感情だ。
生まれながらにして異なる立場の違い、能力の差に、そういった感情を抱いてしまっているのかも知れない。
なぜこのような装飾にする運びとなったのかは計り知れないが、俺はこれを目にして、歪な自身の心が、少し救われた気持ちとなっていた。
だが、この扉における制作サイドの意図や俺の感情について、深く掘り下げても仕方がない。順調に進められている攻略の流れも滞らせたくはない。
俺は大きく息を吐き出すことで雑念を払った。
ここまで辿り着くのに費やした時間は、2時間といったところだろうか……。俺が想定していた進捗度を遥かに上回る早さで進んでいる。
パーティの戦闘レベルが、この層を攻略するレベルを遥かに凌駕しているのも大きな要因だが、それ以上に、情報収集による合理的な攻略方法が、この結果を生んだと言える。
事前準備の大切さを改めて実感しているところだ。
ここは1層10階、1層の最上階だ。
扉の先には、この層のボスであるエヌルタと呼ばれる神が、控えているとのことだ。
バビロニア文明における土星を司る神で、その容姿は、ほぼ人間と変わらない。だが、体躯はひとまわり以上大きいらしい……。
戦神としても崇められていることが頷けるほど、筋骨隆々の上半身をこれ見よがしに曝け出し、その手には、身長よりも長いハルバードが握られているそうだ。
「まあ、この扉を開ければ本人がいるんだ。百聞は一見に如かず……会えば分かるさ」
「何、ボソボソ言ってやがるんだ? さっさと神とやらを拝もうぜ」
竜馬が、神を動物園の珍獣でも見に来たような言い草で言い放つ。
「そうですよ、早く拝顔させていただきましょうよ」
一輝がもう我慢できないと言わんばかりに、俺の腕に縋り付く。
その横で、洋輝もじっとしていられずに、何度もステップを踏んでいる。
「みんな緊張感に欠けるわねー。これから出会うのは神様なのよ。礼儀をわきまえないと、バチが当たるわよ!」
そう言うと、遥は姿勢を正した。
「何言ってんだ? これから打ち倒す相手に、なんで気を遣わなきゃいけねぇんだ? 攻略法にも『ただぶっ倒すのみ』って書いてあっただろが」
竜馬が眠たいこと言うなと鼻を鳴らした。
「……それはそうだけど」
良い返しが見つからず、遥は口籠もる。
「そうだな、俺もボスキャラがどれほどのポテンシャルを持っているのだろうとしか、興味が持てないな」
「もう、話は終わりにしましょうよ!」
「僕も早く神様に会いたい!」
一輝と洋輝が、今にも泣き出してしまいそうなほど潤んだ瞳で訴える。
「わかった、わかった。今、開ける」
俺は視線を切ると、再度目を合わせないようにしながら、9階の攻略で手に入れた『土星の鍵』を取り出し、扉の鍵穴に差し入れた。
しっかりと奥まで差し入れた感覚を得た後、時計回りに鍵を捻ると、扉の奥で錠が外れる金属音が鳴り響いた。
その音を皮切りに、扉が自動的に外側へと開け放たれると、大きな広間を眼前に展開した。
そこは、神が降臨すべくして降臨した場所であると、誇らしげに主張している荘厳華麗な造りの間であった。
黄金色と紅色が共存しながら、その部屋を支配している……。
開け放たれた扉から伸びた真紅のカーペットが、黄金に縁取られた玉座まで導く。
玉座までの中間地点上方には、幅10メートルはありそうな巨大なシャンデリアが吊るされ、周囲に設置された燭台の光を四方へ届けてくれている……。
人間が座るには一回り大きい玉座には、名の知れた彫刻家が、その生涯をかけて作り上げた傑作と呼ぶに相応しい、繊細で秀麗な細工が施されている。
その存在感のある玉座に、体躯を預けているのは、隆起した肩口、胸、腹の筋肉を曝け出し、こちらを見据える1人の男だ。
彫刻と見紛うほどのその艶やかな上半身を、右手に握られたハルバードで支えつつ起き上がらせ、そのまま立ち上がると、俺たちを睨みつけながら話し出した。
「貴様ら人間は、なぜ、創造主である我ら神々に仇なすのだ! 命を与え、苦しみのない楽園を与え、それでもまだ欲するのか!」
「……そんな、私達は……」
遥が戸惑いの表情と共に、弁明を試みよとするも言葉が出てこない。
「あ? てめぇらがそう創り上げたんだろうが! 文句を言う前に、自分らの行いを悔いろよ!」
竜馬が、神がなんぼのもんじゃいと睨み返す。
俺は、竜馬の横であたふたと取り乱している遥の肩を叩き、言葉をかける。
「問題ない。どっちにしろ、戦うことになるんだから……。余興みたいなもんさ」
加えて俺は、わざと楽しげに片目を瞑ってみせる。
「貴様! 我を愚弄するか! 許さん!」
エヌルタは、血管が浮き出るほど、右手に握られたハルバードを強く握りしめると、穂先をこちらへ向けた。
「御託はいいから、さっさとかかってこいよ! 神様!」
竜馬は、不敵な笑みを浮かべながら挑発する。
竜馬の放った言葉に合わせて、皆の表情は引き締められ、臨戦態勢へと移行する。
室内に広がる熱気が対流を生み、頭上のシャンデリアを揺らめかせる。
そして、燭台に灯る光を得ると、それを手当たり次第撒き散らした。
細かな光の粒が広間内を走り回る……。
その光の粒が、エヌルタと竜馬の瞳を同時に照らした刹那、両者は動き、戦いは始まった。