夢世68
「ご参加されるんですか?」
背中に流された長いブロンドの髪を軽く揺らして、受付の女性が振り返る。
暇を持て余すばかり、受付台に背を向け、オーロラビジョンに見入っていた女性は、声をかけられたことに驚き、目を丸くしている。
「はい。このメンバーで参加したいのですが……」
俺は、後ろに控える仲間の顔を1度見やり、受付の女性に目で合図する。
意図を察した女性は、俺の後ろに並ぶ3人と1匹を確認すると「承りました。では早速ご登録致しますね!」と弾むような声と共に破顔した。
久しぶりに訪れた来客に、自然と気持ちが高ぶったのだろう。
俺は向けられた屈託のない笑顔に、少し心が癒されたのを感じながら「お願いします」と返答する。
「最近……お客さん、全然来てくれないんです。……これでも最初の頃は、とても活気があったんですよ」
登録作業を行いながら、受付の女性が俺に声をかける。
所在なさげな俺を気遣ってか、それとも久しぶりに現れた来客との会話を欲したのか、判断できなかったが、俺はきっとその両方だろうと思い、会話を続けることにした。
「……知ってます。俺が最初にこのバトルエリアに来たとき、耳をつんざくような歓声に出迎えられましたから……。今のこの状態は、やっぱり5階層に到達したときから始まったノイズの影響なんでしょうか?」
「そうですね……。間違いなくそのノイズが影響していますね。お客さんが静かになり始めたのも、ちょうどその時期と重なりますし……」
女性は受付端末に目を落としながら、力なく答えた。
「どうして、そんな設定にしたんですかね?」
「……私も、何度かそのことを運営に確認したことがあります」
「運営は、なんて答えたんですか?」
「当初から組み込まれていたイベントで、変更することはできないとの一点張りでした。上の意向が強く反映された内容だから、とも言っていたような……。なんだか……あまり上階へ行かせるつもりがないようにも感じましたね」
受付の女性は、手を止めて口元に指を当てながら、記憶をたどるため、虚空を見上げる。
「……一般ユーザーの俺に、そこまで話しちゃっていいんですか?」
俺は躊躇することなく返答する彼女の対応が、運営にとって制裁対象となり得ないか心配となり、自重を促す言葉を投げかけた。
正直、俺としては、受付の手続き時間を埋めるために、大したことは聞けないだろうと思いつつ、触れた内容に過ぎない。
「あっ……そうですね……。でも、大丈夫です。末端の私に話す内容なんて、きっと他に聞かれても問題ないと判断して、話しているはずですから」
彼女は一瞬顔を強張らせたが、すぐに元の柔和な笑顔へと戻した。
「……それならいいんですが」
俺も彼女に合わせて、控えめにだが笑みを浮かべる。
「……登録作業終わりました! 早速『バベルの塔』攻略に向かいますか?」
彼女は軽やかに指を弾ませ、最後のキーを押すと、変わらない笑顔のまま俺に尋ねた。
「はい。向かいます」
俺は再度皆を振り返り、その意思を確認すると、彼女に向かってはっきりと答える。
「承知致しました。頑張って下さいね! ……あと、今後は私を通さなくても、パーティー内で意識が統一されれば、そのタイミングで『バベルの塔』に入り、セーブしたポイントから再開することができますので……。では、御武運を!」
彼女との会話が終了するやいなや、俺たち5人の姿は、既に別の場所へ転送されていた……。
埃っぽい空気が顔を撫でる……。
俺はその感覚に顔を顰めながら、前方にそびえ立つ巨大な塔を見上げている。
俺の横に1列に並んでいる仲間たちも、同様にあまりにも巨大な塔を前に、声を失って佇んでいる。
塔を除けば、視界に映るものは、地平線を境に上方に見える空のブルーと下方に広がる砂漠のイエロー。景色の大部分がその2色に占められる。
この景色も幻想的であるのだが、もしも夜となり、空が深い紺色に染まったのなら、ゴッホの『星降る夜』を思わせる魅惑的な景色を見せてくれたのではなかろうか。
だが、その景色を切り裂くように、眼前の塔は天高く空を貫き、浮き立つ思いすら搔き消してしまう……。
今、心を占めるのは、圧倒的な存在感でそびえ立つ塔の圧力に抗うために、強く束ねられた好奇心、闘争心、それと使命感だ。
それら心と仲間に支えられ、俺は1歩前に進み出る。
「さあ、ここから未知の冒険の始まりだ。今まで積み重ねてきた経験則では、測れない戦いもあるだろうが……、知恵を持ちあって越えて行こう!」
俺は皆を振り返り、緊張と不安が大半を占める中、笑顔を作る。
皆の心にも様々な感情が入り乱れた筈だが、最後には笑顔を返し、応えてくれた。
それを見届けた俺は、塔へと向き直り、前へ前へと足を踏み出し続ける……。自身の背後から、間断なく鳴り響く足音を心強く感じながら……。
塔の入口には、自分の背丈の倍はありそうな鉄扉が、聳え立っていた。だがそれは、俺達を拒むためではなく、出迎えるためにそこにあったのかもしれない。俺達がそばまで近づくと、触れることなくゆっくりと、外側へと開け放たれていった。
ぽっかりと空いた入り口は、冒険者を歓迎しているかのようでもあり、大口を開けて、今まさに喰らおうとしているようでもあった。
俺は誰に見られているわけでも無いと知りつつも、口の端を釣り上げ、わざと微笑を浮かべてみせる……。
それは『バベルの塔』の出迎えに、恐れを抱き虚勢をはった訳ではなく、開かれた『苦難』へと続くであろう扉を『快事』への扉とすり替えて、満足している自分の狂気を表現したくなっただけだ。
要するに、単に自身の心根の歪さに呆れて笑ったのだ。
後方から注ぐ仲間の視線が、懐疑的にならないうちに、俺はまた歩き出す。
先ほどと変わらぬペースで、前へ前へと体を運び、『バベルの塔』の扉をくぐる。
仲間達が俺に習い、扉をくぐると、当然のように鉄扉は閉まり、退路を断った。
俺たちはその鉄扉に一瞥をくれたが、何事もなかったかのように、すぐに周囲に目を走らせる。
歩んだ先は、大きな広間となっており、ともすれば、収容人数3桁をこえる規模のダンスホールとして、使用できそうなほどの広さだ。
広間の中央には、十字を描くように、赤い絨毯が伸びており、四方にある扉への道標となっている。
「外観に違わず、中も広いな」
最初に口を開いたのは、竜馬だった。
「そうですねー。天井も高いし、なんだか、宮殿の広間みたいですね」
一輝が竜馬の言葉に共感し、感想を付け足す。
「ほんとね……。もっと、陰気な迷宮みたいなのを想像してたから、安心したわ」
壁や柱の凝った装飾をしげしげと見やり、遥が満足そうに何度も頷く。
「あっ! あそこにいる獅子舞みたいな石像も良くできてるね! 胸を張って、とても堂々としている。僕とどっちがかっこいいかな?」
洋輝が、自分の容姿とその石像とを比べるように、交互に目を走らせる。
「見て見て、その獅子舞、両端にもいるわよ。まるで此処を護っているみたいね」
遥が左右の石像を指差しながら、洋輝に教える。
「本当だ! みんな違ったポーズをとってるね! ほらっ! 左の獅子舞は、口を大きく開けて、今にも噛み付いてきそうだし……。右のは、前足を高く上げて、飛びかかって来そうだよね!」
「え? ……左の獅子舞みたいなのは、さっきは口をへの字に結んで、じっとこっちを睨んでたと思うけど……。あれ? ……違ったかな?」
遥が困惑の表情を浮かべながら、首を傾げた。
「いや、間違ってねーよ。一宮がそいつを見たときと、洋輝がそいつを見たときでは、形が変化しちまったってだけさ……」
そう答えると、竜馬は徐に剣を抜き放った。
「……」
俺と一輝も竜馬に習い、戦闘準備に入る。
「えっ? 嘘でしょ? もう戦いが始まるの? いやー!」
遥が文句を言いながらも、背負った弓を慣れた手つきで持ち直すと、素早く腰の矢筒から、矢を1本引き抜いた。
その様子を見て、洋輝も野生に戻ったかのように、牙を剥き出し、唸り声を上げる。
3方の石像は、見る見るうちにモノトーンであった自身の肌を、やや青みがかった緑色へと変色させ、威厳すら感じさせたその造形を乱し、前足で地面を激しく搔き鳴らした。
まるで板前が、魚を捌くために、包丁を丹念に研いでいるかのように、何度もその行動を繰り返す。
そして、真ん中に陣取っていた獅子舞が、戦いの始まりを宣言するかのように、上方へと首を軽く持ち上げると、高らかに咆哮を放った。
左右の獅子舞は、それを皮切りに、一斉に俺たち目掛け、勢いよく飛びかかる。
眼前に迫り来る獅子舞の形相とは反比例して、その放物線は、美しい弧を描いていた……。