夢世60
「初めまして、私がアナザーワールドの最高責任者、柊 一秋です。
現実世界では柊カンパニーの社長として活動しているので、御存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。知っている方はこれからもよろしくお願いします。知らない方はこれからよろしくお願いします。
お陰様で現世においても夢においても充実した時間を過ごさせていただいております。偏に皆様の御協力の賜物であると心より感謝申し上げます。
皆様とはもっと早くお話したいと考えていたのですが、なかなかその環境が整わず今となってしまいました。大変申し訳ありませんでした。
多くの方から不安の声を耳にするたびとても心苦しく、胸が締め付けられる思いでいました。ようやくですが、今回その環境が整い皆様の前にこうして姿を見せる事ができ、安堵しております。今後は出来うる限り皆様の不安を取り除き、生意気に思われるかもしれませんがより素晴らしい未来へと導いていける、そんな存在になれればと考えております。精一杯頑張っていきますので、どうぞよろしくお願い致します。
さて、まず最も多くの質問があったアナザーワールドの統治者についてはこれでお分かりになれたかと思います。統治者との呼名には些か抵抗があり、最高責任者という言葉を使わせていただきましたが、いずれにせよそういう立場にあるのだと胸に刻むことと致します。
次にお話させていただくのは睡眠効率についてです。今までアナザーワールドはこの点について多くの不備が残存していた為、皆様の健康を害する結果を招いてしまいました。この場を借りて私からも重ねてお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。
しかしこの問題は近日中に解消させることをお約束させていただきます。すでにアナザーワールドにいる時間の約半分が睡眠を得たのと同じ効果に代替されています。インフォメーションブースに立ち寄られた方は御存知でしょう。この技術はほぼ確立したと言って良い段階に入っています。後は順次皆様へ提供するのみです。
提供が完了すれば、アナザーワールドにいる時間の全てが睡眠時間に代替されることになります。ナポレオンは1日3時間ほどしか眠らなかったと言われていますが、皆様はアナザーワールドを利用する事によって現実世界でも夢の中でも眠る事なく活動し続けられるようになるわけです。無駄なく充実した毎日をご堪能下さい。
最後に私やアナザーワールドをどれだけ信頼して良いのかについてですが、これはどれだけ私やアナザーワールドの関係者が力説しても限界があるでしょう。そこで1番信頼出来る方に代弁していただくことに致しました。本日お越しいただいておりますので早速お呼びしましょう。内閣総理大臣 小泉 孝次郎さんです!……」
俺は今、ミルキィウェイの奥の部屋で頭を抱えて座り込んでいる。
悪夢とはこのことなのだと実感している最中だ。
集まってくれた皆はミルキィウェイの近くで夢遊病者の如くなっていた俺を抱えるようにして奥の部屋へと運び、俺の心の回復を静かに待ち続けている状態だ。
まさかアナザーワールドを創り上げた人物が幼馴染みである聡の父親だとは文字通り夢にも思わなかった。
美希に見送られ家路に着いてから心を穏やかにすることに努め、部屋の電気を消してから2時間後、ようやく眠りにつけたと思ったら、突然先程の映像が頭の中に流れ込んできたのだ。
絶望にも似た感情に支配され、心がフリーズしてしまった。
映像の中には演説する柊一秋の後ろにボディーガードのように険しい表情で佇む聡の姿がしっかりと映っていた。
「あいつ何やってんだ……」
俺は爆発しそうな感情を必死で抑えながら声を絞り出した。
「混乱するのは私もよく分かる。あの柊さんがアナザーワールドを創った人だったなんて想像つかないもんね。聡君も何だか陰気臭い顔してさ、似会わないよね。ああいうの」
そこへ聞き慣れた声が俺の心を代弁する。
俺は咄嗟に声がした方向へと顔を上げた。
そこにあったのはポップコーンをムシャムシャと頬張りながら俺を見下ろす一宮 遥の姿だった。
「何でお前がここにいるんだよ!」
もう頭の中はゴミ屋敷のようにぐちゃぐちゃだ。
体裁など気に出来る状態ではない。
俺は頭を掻きむしりながら発狂した。
「何よ!雄彦が苦しそうだから慰めてあげようとしただけじゃない!」
遥は怒鳴るとまたポップコーンを掃除機のように次々と口の中へ放り込んだ。
「えっ!? 2人は知り合いだったんですか?」
美希が目をパチクリしながら驚きの声を上げる。
「……家が隣同士なんだ……腐れ縁ってやつだよ」
「腐れ縁って何よ! 私といつも近くに居れるなんて幸せでしょ!」
口に入れたポップコーンを処理しきれない内に遥が反論する。
その姿を見て俺はもう苦悩すること自体馬鹿らしくなった。
「悪かった、悪かった。でも何でお前、ここにいるんだ?」
深いため息の後、俺は静かに遥に尋ねた。
「ん~、話すと長いんだけど……それでも聞く?」
遥は憎たらしく微笑んだ。
話は簡単だった。
要約すると遥が通っている大学に美希が入り、意気投合したため、美希が遥を連れて来たということだった。
だが遥の話がその内容に形作られるまできっと1時間以上もの時が消費されたはずだ。
遥の話は脱線する事が多いため、本筋から外れたと分かった時点で修正を促す声掛けが必要となる。
俺はその都度本筋への橋渡しをするためツッコミを入れなければならなかった。
遥は話の腰を折られる度「うるさいわね!」「分かってるって!」と苛立ちをあらわにした。
そのやり取りを皆は笑いを堪えながら見守っていた。
そして話が終わるとなぜか拍手が沸き起こった。
「夫婦漫才みたいで楽しかった」
と誰かが呟いたのが聞こえた。
……俺は全く楽しくない。
俺は積み上げられたストレスを取り除くため、長く大きく息を吐き出した。
そこへ隣で座っていた塔矢が「楽しい漫才をありがとう」と追い討ちをかけてきた。
俺は塔矢を鋭く睨みつけたが、塔矢は俺と目を合わさず、輪になっていた皆の前に進み出た。
そして徐にポケットから青く脈動するピンポン玉くらいの球体を掲げた。その球体はゆっくりと塔矢の手から舞い上がり、天井近くで弾けた。キラキラと雪のように細かな青い結晶が周囲を覆ったが、数秒後には消えていた。
「いきなり何すんだ!」
急な行いに竜馬が警戒し叫んだ。
「驚かせてしまって申し訳ないが、俺の話を聞いてほしい」
先程の表情とは打って変わって険しい表情で塔矢は皆を見渡しながら話を始めた。
「今使ったアイテムはこの部屋をアナザーワールドから『隔離』出来るアイテムだ。これでこの部屋はアナザーワールドのシステムからは認識出来なくなった。心置き無く話が出来るようになったわけだ」
塔矢が一人一人と目を合わせながら説明する。
竜馬をはじめ皆、塔矢の凛とした態度に反抗する気を失い、次の言葉を待った。
「あらためて言おう。この夢は危険だ。信用してはいけない。まだ全てを知り得た訳じゃないが、このアナザーワールドは決してコミュケーションツールとして創られた訳じゃない。柊一秋は、この夢を人を知る研究の場として捉えている」
「なぜそんなこと、お前に分かるんだ?」
竜馬が不快感をあらわにして塔矢に問う。
「俺には信頼出来る情報源があるからだ」
「それなら俺らにもその信頼出来る情報源とやらを教えろよ」
「いずれ分かる」
塔矢はそれだけ言うと口を噤んだ。
「それだけの話でこの夢を信じるなと言われても納得出来ない。先程の柊一秋の演説はそれなりに信用出来る内容であったし、好感も持てた……しかも最後にはこの国を預かる首相までもがこのアナザーワールドを絶賛していたじゃないか」
竜馬を制して今度は修平が反論する。
「……確かに今のプレゼンじゃ俺の方が分が悪いな。だが信じてほしい。俺が皆の反感を買ってまでこの夢を批判することに何のメリットがある?俺はただ皆に悪夢を見てもらいたく無いと願って行動しているだけだ」
塔矢は真剣な眼差しを皆に向ける。
「……柊一秋は人の感情分析まで行っている。質問屋でのたわいもない質問もこれで説明がつく。楽しかった思い出を問われた時、人はその時を思い出し、その時の感情を反芻する」
塔矢は洋輝を優しい眼差しで一瞥する。
「……以前アナザーワールドでアップデートが行われた。その時それを了承した人は、その時の精神状態を思い出して見て欲しい。不思議とアナザーワールドを肯定する考えが浮かんできたはずだ。
それはアナザーワールドが『洗脳』を試みた証拠だ。
結局表層心理にだけに語りかけても深層心理が感情を上書きして失敗に終わったが、今後行われるであろう第2弾のアップデートを何も手を講じず受けた場合、確実に洗脳されてしまうだろう。
アナザーワールドにいる時間と同等の睡眠……それはアナザーワールド内に設けられた各々の記憶スペースを50%から100%に拡張し、脳の情報全てをコピーする事を意味している。アナザーワールド内ではコピーされた脳の記憶を利用し、現実世界の脳に睡眠を与え、現実世界に戻る際にアナザーワールドで更新された記憶を整理して元の脳に受け渡す。
そうすれば睡眠時に行われている記憶の整理は滞りなく完遂出来る、大まかに言うとそういう仕組みだ。つまりアナザーワールドは、第2弾のアップデートで深層心理にまで手を伸ばすことになる」
「……じゃあアップデートを拒否すれば良いってことか?」
竜馬は一頻り考えた後、話だけは聞くことにしたようだ。
「いや、アップデートは受けてもらう。受けない者への監視は厳しくなるからな。だから皆にはこの錠剤を飲んでおいてもらいたい。例えるならばウィルスを除去するプログラムが入った錠剤だ。今後行われるアップデートでの洗脳を防ぐ事が出来る」
「錠剤?……なんか逆に怪しいぜ……」
竜馬が鼻で笑いながらも錠剤を受け取った。
「今日は出来る限り信頼出来る人間を集めてもらった。中には面識のない者もいるだろうが、もうあまり時間がない。皆にはこれからバトルフィールドで腕を磨いてもらう。何を言っているのかと思うのは当然だが、どうか宜しくお願いしたい」
塔矢が深々と頭を下げた。
プライドの高い塔矢のその行動は皆を動かすには充分だった。