夢世60
「初めまして、私がアナザーワールドの最高責任者、柊 一秋です。現実世界では、柊カンパニーの代表取締役として、活動させていただいております。それなりにメディアにも取り上げられた企業ではありますので、御存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。ご存じの方は、今後とも宜しくお願い致します。そうでない方は、これからどうぞ宜しくお願い致します」
アナザーワールドの1階層、内周の空洞に瞬時に展開された会見会場。前置きもなく、唐突に始まったアナザーワールド責任者からの演説に、人々のざわめきは、まだ収まり切れていない……。
「お陰様で、今期における我が社の経常利益は、前期に比べ、現時点ですでに、200パーセントを越えております。この規模の企業において、この成長率は、驚異的と言うより他になく、偏に、皆様の御協力の賜物であると、心より感謝申し上げます」
困惑する人々をよそに、演説は淡々と続いていく。
「皆様とは、もっと早く、お話させていただきたいと考えておりましたが、なかなかにその環境が整わず、今となってしまいました。大変申し訳ありませんでした……。多くの方から不安の声を耳にするたび、とても心苦しく、胸が締め付けられる思いでおりました。ようやくですが、今回、その環境が整い、皆様の前に、こうして姿を見せることができ、安堵しております。今後は、できうる限り、皆様の不安を取り除き、生意気に思われるかもしれませんが、より素晴らしい未来へと導ける、そんな存在になれればと考えております。精一杯、頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願い致します」
柊が深々と頭を下げる。それに合わせて、後ろに控えている数名の社員も頭を垂れた。
「さて、最も多くの質問があったアナザーワールドの統治者については、これでお分かりになられたかと思います。統治者との呼名には些か抵抗があり、最高責任者という言葉を使わせていただきましたが、いずれにせよ、私がそういう立場にあるのだと、胸に刻むことと致します。次にお話させていただくのは、睡眠効率についてです。今までアナザーワールドは、この点について多くの不備が残存していたため、皆様の健康を害する結果を招いてしまいました。この場を借りて私からも、重ねてお詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。この問題につきましては、近日中に解消させることを、お約束させていただきます。すでにアナザーワールドにいる時間の約半分が、睡眠時と同等の効果に代替されています。インフォメーションブースに立ち寄られた方は御存知でしょう。この技術は、ほぼ確立したと言って良い段階に入っています。後は順次皆様へ提供するのみです。提供が完了すれば、アナザーワールドにいる時間の全てが、睡眠時間に代替されることになります。ナポレオンは、1日3時間ほどしか眠らなかったと言われていますが、皆様は、アナザーワールドを利用する事によって、現実世界でも夢の中でも眠る事なく、活動し続けられるようになるわけです。無駄なく充実した毎日をご堪能下さい……。最後に私やアナザーワールドをどれだけ信頼して良いのかについてですが、これは、どれだけ私やアナザーワールドの関係者が力説しても限界があるでしょう。そこで1番信頼できる方に代弁していただくことに致しました。本日お越しいただいておりますので、早速お呼びしましょう。内閣総理大臣 小泉 孝次郎さんです!……」
俺は今、ミルキィウェイの奥の部屋で、頭を抱えて座り込んでいる。
悪夢とは、このことなのだと実感している最中だ。
集まってくれた皆は、ミルキィウェイの近くで、夢遊病者の如くなっていた俺を抱えるようにして、奥の部屋へと運び、俺の心の回復を静かに待ち続けている状態だ。
まさか、アナザーワールドを創り上げた人物が、幼馴染みである聡の父親だとは、文字通り夢にも思わなかった……。
現実世界で美希と出会い、見送られ、家路に着いてから心を穏やかにすることに努め、部屋の電気を消してから2時間後、ようやく眠りにつけたと思ったら、突然先程の映像が頭の中に流れ込んできたのだ。
絶望にも似た感情に支配され、心が委縮してしまっているみたいだ。
映像の中には、演説する柊一秋の後ろに、ボディーガードさながら険しい表情で佇む、聡の姿がしっかりと映っていた。
「あいつ、何やってんだ……」
俺は爆発しそうな感情を必死で抑えながら、声を絞り出した。
「混乱するのは私もよく分かる。……あの柊さんがアナザーワールドを創った人だったなんて、想像つかないもんね。聡君も何だか陰気臭い顔してさ、似会わないよね。ああいうの……」
そこへ聞き慣れた声が、俺の心を代弁する。
俺は咄嗟に、声がした方向へと顔を上げた。
そこにあったのは、ポップコーンをムシャムシャと頬張りながら、俺を見下ろす一宮遥の姿だった。
「何で……。何でお前がここにいるんだよ!」
もう頭の中は、ゴミ屋敷のようにぐちゃぐちゃだ。
体裁など気にできる状態ではない。
俺は頭を掻きむしりながら発狂した。
「何よ! 雄彦が苦しそうだから、慰めてあげようとしただけじゃない!」
遥は怒鳴ると、またポップコーンを掃除機のように次々と口の中へ放り込んだ。
「えっ!? 2人は知り合いだったんですか?」
美希が、目をパチクリしながら驚きの声を上げる。
「……家が、隣同士なんだ。……腐れ縁ってやつだよ」
「腐れ縁って何よ! 私といつも近くに居れるなんて、幸せでしょ!」
口に入れたポップコーンを処理しきれないうちに、遥が反論する。
その姿を見て、俺はもう苦悩すること自体馬鹿らしくなった。
「悪かった、悪かった。でも何でお前、ここにいるんだ?」
深いため息の後、俺は静かに遥に尋ねた。
「んー、話すと長いんだけど……。それでも聞く?」
遥は憎たらしく微笑んだ。
話は簡単だった。
要約すると、遥が通っている大学を美希が見学に行き、お節介好きな遥と出会い、意気投合したため、美希が遥をミルキーウェイへと誘ったそうだ。
だが、遥の話がその内容に形作られるまで、きっと1時間以上もの時が消費されたはずだ……。
遥の話は脱線することが多いため、本筋から外れたと分かった時点で、修正を促す声掛けが必要となる。
俺はその都度、本筋への橋渡しをするため、ツッコミを入れなければならなかった。
遥は、話の腰を折られる度「うるさいわね!」「分かってるって!」と苛立ちをあらわにした。
そのやり取りを皆は、笑いを堪えながら見守っていた。
そして話が終わると、なぜか拍手が沸き起こった。
「夫婦漫才みたいで楽しかった」と誰かが呟く声が聞こえた。
……俺は全く、楽しくない。
俺は積み上げられたストレスを取り除くため、長く大きく息を吐き出した。
そこへ、隣で座っていた塔矢が「楽しい漫才をありがとう」と追い討ちをかける。
俺は塔矢を鋭く睨みつけたが、塔矢は俺と目を合わさず、輪になっていた皆の前に進み出た。
そして、徐にポケットから青く脈動するピンポン玉くらいの球体を取り出すと、上空へ掲げた。その球体は、ゆっくりと塔矢の手から舞い上がり、天井近くで弾けた。キラキラと雪のように、細かな青い結晶が周囲を覆ったが、数秒後には消えていた。
「いきなり何すんだ!」
急な行いに、竜馬が警戒し叫んだ。
「驚かせてしまって申し訳ないが、俺の話を聞いてほしい」
先程の表情とは打って変わって、険しい表情で、塔矢は皆を見渡しながら話を始めた。
「今使ったアイテムは、この部屋をアナザーワールドから『隔離』できるアイテムだ……。これでこの部屋は、アナザーワールドのシステムからは認識できなくなった。心置き無く、話ができるようになったわけだ……」
塔矢が一人一人と目を合わせ、説明する。
竜馬をはじめ、皆、塔矢の凛とした態度に口を噤み、次の言葉を待った。
「……あらためて言おう。この夢は危険だ。信用してはいけない。まだ全てを知り得た訳じゃないが、このアナザーワールドは、決してコミュニケーションツールとして創られた訳じゃない。柊一秋は、この夢を人を知る研究の場として捉えている」
「そんなこと、なぜお前に分かるんだ?」
竜馬が不快感をあらわにして塔矢に問う。
「俺には、信頼できる情報源があるからだ」
「それなら、俺らにもその信頼できる情報源とやらを教えろよ」
「……いずれ分かる」
塔矢はそれ以上は言わなかった。
「それだけの話で、この夢を信じるなと言われても、納得できない。先程の柊一秋の演説は、それなりに中身のある内容であったし、俺は好感も持てた。……しかも最後には、この国を預かる首相までもが、このアナザーワールドを絶賛していたじゃないか」
竜馬を制して、今度は修平が反論する。
「……確かに、今のプレゼンじゃ俺の方が分が悪いな。だが信じてほしい。俺が皆の反感を買ってまでこの夢を批判することに、何のメリットがある? 俺はただ、皆に悪夢を見てもらいたく無い、と願って行動しているだけだ」
塔矢は真剣な眼差しを皆に向ける。
「……柊一秋は、人の感情分析まで行っている。質問屋でのたわいもない質問も、これで説明がつく。楽しかった思い出を問われたとき、人はその時を思い出し、その感情を反芻する」
塔矢は、洋輝を優しい眼差しで一瞥する。
「……以前、アナザーワールドでアップデートが行われた。そのときそれを受け入れた人は、その時の精神状態を思い出して見て欲しい……。不思議とアナザーワールドを肯定する考えが、浮かんできたはずだ。それはアナザーワールドが『洗脳』を試みた証拠だ。結局、表層心理にだけに語りかけても、深層心理が感情を上書きして失敗に終わったが、今後行われるであろう第2弾のアップデートを、何も手を講じず受けた場合、今度は確実に、洗脳されてしまうだろう……。アナザーワールドにいる時間と同等の睡眠……。それは、アナザーワールド内に設けられた、各々の記憶スペースを50%から100%に拡張し、脳の情報全てをコピーする事を意味している。アナザーワールド内では、コピーされた脳の記憶を利用し、現実世界の脳に睡眠を与え、現実世界に戻る際に、アナザーワールドで更新された記憶を整理して元の脳に受け渡す。そうすれば、睡眠時に行われている記憶の整理は、滞りなく完遂できる。大まかに言うとそういう仕組みだ。つまりアナザーワールドは、第2弾のアップデートで深層心理にまで手を伸ばすことになる」
「……じゃあ、アップデートを拒否すれば良いってことか?」
竜馬は一頻り考えた後、話だけは聞くことにしたようだ。
「いや、アップデートは受けてもらう。受けない者への監視は厳しくなるからな……。だから皆には、この錠剤を飲んでおいてもらいたい。例えるならば、ウィルスを除去するプログラムが入った錠剤だ。今後行われるアップデートでの洗脳を防ぐ事ができる」
「錠剤? ……なんか逆に怪しいぜ……」
竜馬が鼻で笑いながらも、錠剤を受け取った。
「今日はできる限り信頼できる人間を集めてもらった。……中には面識のない者もいるだろうが、もうあまり時間がない。突然だが、皆にはこれから、バトルフィールドで腕を磨いてもらう。何を言っているのかと思うのは当然だが、どうか受け入れてもらいたい」
塔矢が深々と頭を下げた。
プライドの高い塔矢のその行動は、皆を動かすには充分だった。