夢世55
ことの発端は、中高生を中心とした夢に少しでも長く留まりたいという欲求だった……。
五感が再現された夢の中では、現実世界ならば到底実現できない娯楽を体験できる。
自衛意識の薄い彼らは、欲求に任せて、貪るように夢の娯楽にのめり込んでいった。
中でも現実での生活に不満を持つ者たちは、睡眠導入剤などを多用し、夢の中に逃れようと試みた。
結果、肉体は蝕まわれ衰弱し『死』への道を加速した。
だが、不思議な事に現実世界の『死』は、夢の世界において何の弊害にもならなかった。
むしろ、夢での永住権を与える切符となり得たのだ。
その噂は波紋の如く着実に広がり、夢への片道切符を求める動きを助長した。
好奇心と希望と臆病さが同居する多くの少年少女には、『死』へのハードルは高く、流石に手を出しずらい代物であったが、現実世界における己の限界を知った大人達にとっては、それほどの障害とはならなかった……。
「今回の突然降って湧いたような法案を、政府が強行な姿勢で推し進める理由は、何だと思われますか?」
番組のMCが首を傾げつつ、評論家に尋ねる。
「そうですねー。あの夢を体感していない方々には、特に理解しがたい法案であると思います。何せまだ海のものとも山のものともわからない、夢の世界の運営者を公に認め、さらに統治権まで委ねてしまう法案ですからね。気でも違ったかと思ってしまうのは当然です。しかし、あの夢を体感された方ならば、あれは現実世界と同等……。いやそれ以上の世界であると、認めざるを得ないでしょう」
評論家は、テーブルに乗せた手を正面で組みなおし、さらに話を続ける。
「あの世界は、今や娯楽にだけ特化した世界ではありません。夢を通じて、様々な試みもなされています。その試みは、現実世界で実を結び、今では日本の技術改革、経済発展に大きく寄与しています。政府は、そういった諸々の利益を、失うわけにはいかないのでしょう……。権利を与えることで、日本に繋ぎ止めておきたいという思惑が透けて見えます。夢をもう一つの世界として認める法案『夢世界保護法』は、必然の流れと言えるのです」
評論家は、自分の言葉に一つ一つ頷きながら答えていった。
「なるほど……。あの夢の世界は、そこまで現実世界に影響を与えているのですね。……確かに、夢の中で有識者が何人も集まり、様々な実験を行っていると聞いたことがあります」
番組のMCが腕を組み、唸る。
「通常、実験を行うためには、お金も時間も労力も必要となりますが、夢の中では想像し、必要なものを具現化してしまえば、すぐにでも実験を行うことができる。ああ、そう言えば、商談なども夢の中で行なっている企業があるだとか……。これは技術改革や経済発展をとんでもないスピードで加速させますね」
MCが、これはまいった、と頭を抱えて感想述べた。
「待ってください! 確かにあの夢が、日本の経済成長に大きく関わっていくことは認めます。けれど、それを理由に『もう一つの世界』として認めると言うのは、短絡すぎはしませんか?」
MCを挟んで評論家と向かい合うように座っていたコメンテーターの女性が、苦笑いを浮かべつつ不安を口にする。
「この法案が通ることで、得体の知れない世界を、日本政府が認めたこととなるんですよ。日本政府のお墨付きを得た世界となれば、夢への移住をためらっていた人々の背中を押してしまうかもしれません……。今、移住という言葉を使いましたが、実際にはそれは、現実世界における『死』を意味しているんです」
女性はさらに語気を強め主張する。
「……確かに、この法案は移住者の増加を招くかもしれません。倫理的にそれで良いのか……議論が必要な問題だとは思います。しかし、例え日本政府が夢の世界を認めなかったとしても、それが歯止めになるとは私には思えません。きっとそれでも、移住者は徐々に増えていくのではないでしょうか?」
評論家は女性コメンテーターの感情を逆なでしないように気を配りながら、ゆっくりと自身の考えを上書きする。
「しかしそれでは……」
女性コメンテーターは、評論家の言い分に、反論する材料を必死で探しながら言葉を紡ごうと努力する。
だが、その言葉を遮るように、評論家が持論を展開する。
「私は思うのです。天照大神では無いですけど、政府はこの法案を交渉材料として提示することで、夢の運営者に表舞台に出てきてもらおうとも考えたのではないかと……。相手が誰であるのかさえ分からないのでは、対処のしようがないですからね。先ずは相手を知ることを念頭に置いて打ち出した一手ということではないでしょうか。あくまで私の想像ですが……」
「そうなんですよ! 夢の世界をいまひとつ信用しきれないのは、運営者がどこの誰であるのか分からないからなんです!」
番組のMCが、ここぞとばかりに2人の会話に入り込む。
「運営者さん! もしこの番組をご覧になっているのであれば、ぜひご一報下さい! すぐにでも特集を組ませていただきますから。よろしくお願いします!」
そして、目をギラギラと光らせながらテレビに語り掛けた。
真相を知りたいと言うよりは、視聴率稼ぎに目がいってしまっているように感じられた。
その後もしばらく番組を見ていたが、さらなる情報を得ることはできなかった。
俺はテレビを消し、得られた情報を整理した。
まず現在では、夢の世界への認知度はかなり高く、ほとんどの者がその存在を認めるまでとなっていること。そして夢の世界が与える影響力は大きく、経済成長の一端を担うまでとなっていること。その影響力の大きさゆえに日本政府ですら対応に苦慮していること、等々の現状把握ができた。
「ダブルのバトルにかまけている間に、メチャクチャなことになってるな……」
徹人兄さんの『面白いことになってる』という言葉が、頭の中で駆け巡る。
とりあえず俺は、気分転換も兼ねて、街中を少しぶらつくことにした。