夢世53
「タケさん、どうかしましたか? ……さっきからちょっと……態度が変ですよ。……俺、何か気に障るようなこと、言っちゃいましたかね」
一輝が神妙な面持ちで俺に問いかける。
「……いや、ただシュンマオにどうやって話を切り出そうか、と考えていただけだ。……悪いな、心配したか?」
俺は一輝の肩に手を乗せる。
「……そうですか。……タケさんが大丈夫なら、それで良いんです。もしも何かあったのなら、言ってくださいね。……俺、何でも手伝いますから」
一輝は、肩に乗せられた俺の手に自身の手を重ねたあと、そっと引き上げ、両手で握りなおした。
「ありがとな」
俺は、その一輝の手を空いた手で、軽く2度叩くと、ゆっくりと手をほどく……。
一輝の表情には、まだ不安が拭いきれていないことが、はっきりと見て取れたが、俺はそれに気づかないふりをした。
その後一輝は、ただ俺の横に並んで歩き続けた。これ以上踏み込むべきではないと、察したのだろう。
俺はその気遣いを素直に受け取り、黙々と歩き続けた。
やがて俺らは、ミルキィウェイへと辿り着いた。
「ユッキーさん、どんな反応するかな……」
一輝が店前で、ぼそっと呟いた。
一輝も今では、ここの常連となっている。
『ダブル』に参戦すると決めた時、真っ先に思い浮かんだ相方は、もちろん一輝だった。
一輝は、俺からの誘いを、文字通り飛び上がって喜び、快諾した。
一輝の装備を充実させるには、ミルキィウェイを通じて、ウェポンの店主である永井さんを紹介してもらうのが手っ取り早い。自然この流れとなったのだ。
「おかえりー! 今日は、どうだった?」
ユッキーが明るい口調で出迎える。
最初はバトルエリアに向かうことも嫌っていたユッキーだったが、俺と一輝の実力を知ってからは、この調子だった。
「今日は、完敗だったよ」
俺はユッキーに合わせて明るく、さり気なく答えた。
「そっかー、完敗かー。……えっ! 負けちゃったの?」
ユッキーの表情が一瞬で凍りつく。
「大丈夫。多少痛い目にはあったけど、トラウマになるようなほどではなかったよ」
「本当に?」
ユッキーが涙目で確認する。
俺は力強く頷いた。
仕事柄ユッキーには、俺以外にもここで知り合った友人が、多数いる。
その中には、中学生くらいの若い男の子も1人いた。
とても明るく、元気な子だったそうだ……。
当時、バトルフィールドの存在はあまり知られておらず、人もまばらだったとのことだが、好奇心旺盛なその子は、その存在を知ると、直ぐにバトルに参加してしまった。
結果、予想以上のリアルな『体感』と『痛み』に圧倒され、精神に大きなダメージを負ってしまったらしい……。
確かに夢であるとはいえ、人を切り裂くあの『体感』は、超えてはならない一線を超えてしまった背徳感を覚えてしまう者もいるだろう。
『痛み』については以前、アナザーワールドの運営者らしき者が、最大値が幼児のビンタほどである、と言っていたが、実際のところ、経験した俺でもよく分からない。
確かに、バトルで被った足の傷は、それほど痛くなかったような気がする……。
だからあの時俺は、煙玉で隙をつけば逃げきれると考え、行動した。
だが実際には、思いのほか足がいうことをきかず、逃げることはできなかった。
俺は『痛み』と『体の状態』との間に、大きな差異があったためだと考えている。
その後は、自分の体の状態を知るにつれて、痛みが徐々に歩み寄り、その差異を埋めていったように思える。
きっとまた、現実世界における経験が、そうさせたのだろう。
運営側は『痛み』という感覚を単体で捉え、経験やその時の精神状態が与える影響を加味せず、設定してしまっているのかも知れない。
だとすると、条件次第で『痛み』は、上限を超え得るということになる。
少年の場合は、『痛み』が恐怖により想定以上に膨れ上がり、心に傷を負わせたのではないかと考えている。
元来、人間に限らず動物は、『痛み』に敏感となることで、その身を又はその精神を守ってきた。
特に狩られる立場にある動物は鋭敏だ。
鹿などは、自分に逃げる道が無いと悟った時、捕食される前に、自ら意識を断ち、絶命してしまう事があるらしい……。
これから訪れるであろう『痛み』を避けるためだと考えられる。
今後も同様の被害が出ないように、運営側には是正を求めていくべきだろう。
「シュンマオは、何処にいる?」
考察を切り上げ、俺は当初の目的に移るため、周囲を見渡しつつユッキーに尋ねた。
「いつも通り、どこかぶらぶらしてるんじゃないかな? でも、念じれば直ぐにタケさんの所に戻ってくるんじゃない。そういうふうになってるんだから」
ユッキーも俺に合わせて、軽く辺りを見渡したが、直ぐにやめた。
「……そうだった。分かったやってみる」
わざわざミルキィウェイまで戻る必要はなかったな、と思いながらも、俺は念じることにした。
「よお! どうした? 俺様が恋しくなったのか?」
念じ始めてものの数分で、シュンマオは俺の前に現れた。
「もう来たのか? 早いな」
「当たり前だ! シュンマオ様だぞ! ……ところで何の用だ。誰か探したい奴でもいるのか?」
「……いや、仇討の話だ。実はさっきまで、奴とバトルしてたんだが……」
「物の見事に負けちまったってわけか? 気にするな。奴のレベルは、俺様が1番良くわかっている。気持ちは嬉しいが、もう無理すんな」
シュンマオは、俺の様子を見て、普段ならば到底言いそうもない、優しい言葉を掛けた。
「……いや、確かに負けたのは負けたんだが。……そいつ、実は、現実世界での俺の親友だったんだ。……すまない」
俺はシュンマオに、深々と頭を下げた。
「なるほど。……そういうことか」
シュンマオは憤慨することもなく、妙に納得している。
「……何も言わないのか?」
俺は拍子抜けして、自ら叱責を催促するような言葉を発してしまった。
「叱って欲しいのか?」
シュンマオは、クワックワックワッと奇妙な笑い声を上げた後、こう続けた。
「……お前と契約を結ぶ時、俺様の頭の中に、様々な思念が流れ込んできた。その時は何のことやらサッパリ分からなかったが……。俺をやった奴に出くわした時、その思念が、やたらと俺様に訴えかけてきたんだ。『奴を逃すな』ってな。……きっと俺様は、雄彦のその強い思いに当てられたんだな」
そう言うと、シュンマオは深い溜息を漏らした。
「そんなことより雄彦。まだやらなきゃならない事を抱えている……。そんな顔してるぜ」
シュンマオはニヤけた顔付きで、俺をじっと見つめた。
「シュンマオ様には敵わないな」
俺は首を竦めてそう答えると、徐に周囲を見渡した。
ユッキーと一輝が、俺と目が合うと、ニッコリと微笑んだ。それは、仲間を思いやる優しさに溢れた微笑みだった。
仲間には、言葉にせずとも通じ合える瞬間がある。
「悪い。じゃあ、またな」
俺はそれだけ言うと、早々にミルキィウェイを後にした。