夢世5
俺は今、いつもの夢の中を歩いている。
だが、昨日までの言い様のない不安感は、概ね解消されたと言っていい。
『夢の世界』がメディアに取り上げられたことにより、その事象は多くの人々に周知された。情報は今後、様々な分野に拡散され、勝手に掘り下げられていくだろう。もう俺が躍起になって、調査する必要はない。
不安が薄らいだ心で、この夢を再度体感すると、意外に楽しめるような気になってくる……。
現実と同じ感覚を保持したまま夢の世界を闊歩でき、実在する人々とも触れ合える。多数存在する不可思議な店で、質問に答えさえすればアイテムも手に入る。更に、念じるだけで自分の髪色までも変えられる。(これに関してはイレギュラーな事象かもしれないが……)これでアトラクションやパレードなどあれば、夢のテーマパークと呼べるかもしれない。
などと今までとは真逆の方向に、自分の考えが辿り着いてしまったことに苦笑していると、何処からか声が聞こえてきた。
「え~皆様、私供の夢の世界『アナザーワールド』へ、ようこそおいで下さいました。……と申し上げましても、殆どの方が自ら来られた訳ではなく、意思に関係なく、連れて来られてしまったことと思います。大変申し訳ありませんでした。本来ならば、私供の夢の世界に入られる際は、ログインするための鍵が必要となります。まあ鍵と申しましても、アナザーワールドに入りたいかどうかを、YESかNOかで答えるだけなんですけど……。今回はその鍵が、多くの地域で用をなさないプログラムミスがあったため、皆様は否応なしに、こちらへ連れて来られてしまったという次第です。本当に申し訳ありませんでした」
徘徊していた人々の足が止まる。
「お詫びと言ってはなんなんですが、現在アナザーワールドに来られている皆様には、レアアイテムとアトラクション無料回数券を10枚プレゼントさせていただきます。レアアイテムは『妄想画報』とういうお店に入られると手に入れる事が出来ます。お店の場所はお教え出来ませんが、探し出すのはそれ程難しくない筈です。どうか宝探しをするような感覚で、楽しみながら見付けてみて下さい。えーっと……」
突然届いたこの夢の関係者と思しき男の声に戸惑いつつ、話される内容を聞き逃さないように、そのまま耳を傾ける。
「話さなければならない事が色々とございまして……何から話して良いやら……兎に角、先に皆様に安心してこの世界を楽しんでいただけるように、不安を一つ一つ取り除いていきたいと、この様に考えております」
男は咳払いを1つすると話を続けた。
「……まず皆様が抱く第1の不安は、この世界が何の為に造られたものなのかということでしょう。訳のわからない世界にいることは、それはもう不安で仕方がないですからね。……結論から申し上げますと、この世界は新たなコミュニケーションツールとして創造されました。ですから、皆様に害を加えるために造られたものでは、決してありません。現在はまだ、日本だけで展開された世界ですが、将来的には全世界と繋がることとなるでしょう。普段はなかなか会うことの出来ない遠方の方々と、会話出来るだけでなく、触れ合える世界。それが、この『アナザーワールド』の醍醐味です!」
自信の表れなのか語尾に力がこもっている。
「次に不安を抱くのは、現実と変わりない五感についてでしょう。はっきりと感じてしまうあまり、皆様は夢の中だと認識しているにも関わらず、アクションを起こせなくなっていらっしゃる。無理もありません。……しかしながらご安心下さい。これは私共が長い年月を重ね研究し得た成果であり、恐怖を感じる必要はありません。……人間は全ての感覚を、微弱な電気信号から受け取っています。私共はその電気信号が、どのように脳に作用するのかを解明したのです。現在では五感の全てをほぼ再現出来ます」
こちらから男の表情は窺い知れないが、次の言葉を発するまでに少しの間があいた。それはちょうど、集まった大衆を見渡す程度の間であるように俺には感じられた。
「なので、夢の中にいながらケーキを味わうなんてことも可能です。いずれ皆様にご提供致しましょう。……少し話がそれてしまいましたが、私が言いたいのは、この世界の刺激は全て調節出来るということなのです。……例えば、この宙に浮いた施設から飛び降りたとしましょうか。下を覗き込んだ方はお分かりいただけるでしょうが、下には現在、真っ白で艶やかな大理石のような地面が、果てしなく広がっております。……すると体は、その地面に叩きつけられる訳ですが、痛みとしては幼児にビンタされた程度の痛みを受けるだけです。これは痛みの最大値がその程度に設定されているためです」
また先ほどと同程度の間が空く。
「痛み自体を無くしてしまえば良いと、お考えになるかもしれませんが、多少の痛みを伴わなければ、リアリティが失われ、様々な場面でこの世界を、ご堪能出来なくなります。……私どもと致しましては、現実世界で様々な制限の為に断念された事柄を、出来うる限り再現し、御提供したいのです。どうか御理解いただけますよう、宜しくお願い致します」
ここで大きく息を吸い込み、吐き出す音がしてから、次の言葉が流れていく。
「最後に睡眠についてお話しさせて下さい。……皆様はきっと、この夢を見続けて、ちゃんと睡眠がとれるのか気になっていると思います。この夢を多く体験された方ほどその疑問は膨らんでいることでしょう。はっきり申し上げますと……私どもが作り上げたこのアナザーワールドでは活動されている限り、十分な睡眠は取れません。……アナザーワールド内での脳の状態は、現実世界で活動している時とほぼ同じとなるためです。つまり夢の世界で起きているということになります。……まあ、ただ前に習えで夢遊病者さながらの行動をされている方々には、それほど脳への負担とはなっていないかも知れません。ほとんど刺激がない状態となるので……」
少し残念そうに男は自身の考えを補足する。
「え~それと異なり通常の夢は起きていた時の情報整理として活用され脳の休息に必要な処理となります。例え夢をほとんど見た事がないと言われる方でも、一度の睡眠で実は何度も夢を見ています。見ていないと感じるのは、ただ起きた時に忘れてしまっているだけなのです。……そこで私どもはアナザーワールドを堪能するために脳への負担を軽減する方法を編み出しました。通常のログインをして入られた方々には説明済みですが、簡単に言うと、快適な睡眠へと誘う夢です。この夢を介することで自然とアナザーワールドからログアウトして熟睡状態となります。人によっては普通に眠るよりも疲れが取れる場合さえあります。お試しになりたい方は、等間隔で置かれている緑色の球体に触れて下さい。百聞は一見にしかず、直ぐにご納得いただけるでしょう」
今度は先ほどよりも長めの空白が空いた。きっと聴衆の反応を確かめているのだろう。
「……とここまで長々と一方的にお話しをさせていただきましたが、まだまだ気になる点はお有りでしょう。かといって今回のように皆様の貴重な時間を裂いてしまいたくはないので、各階層にこのアナザーワールドの様々な情報を御覧いただける特設ブースを用意致しました。目印は大きな青色のクエスチョンマークがついた看板です。中に入り疑問に思われた事を素直に思い浮かべて下さい。きっと直ぐに疑問が解けるはずです。……ではこれで私からのご説明は終了致します。お付き合いいただき誠に有難うございました。」
きっと言いたいことを粗方言えたのだろう、最後らへんは心なしか声のトーンが高くなっていたように感じた。
肝心の自分達が何者であるのかについての説明がなかったのが引っかかるが、姿の見えない相手からの説明にしては、少なからず安堵感を与える内容となったであろう。
今の段階で言葉全てを信じる訳にはいかないが、この世界を精査するための判断材料はだいぶ得られた。
「……さてこれからどうしようか」
心の中で呟いたつもりが無意識に声に出していた。