夢世45
俺は今、花純さんが運転する車の助手席から外の景色を眺めている……。
花純さんと現実世界で落ち合い、優と恵がいる工場へと向かっているところだ。
夢で出会った人物と現実世界で会うのは、考えてみれば初めてのことだが、お互いにキャラをいじっていないため、なんだか新鮮味に欠ける。
ただ、花純さんが茜色のダッフルコートにチェックスカート、そして茶色のロングブーツといった女性らしい服装で現れたことは意外であったため、少し得した心持ちになれた。
「なにか変?」
俺がまじまじと見続けたことで、花純さんは自分の服装に不安を感じたらしく、そう尋ねてきた。
「いえ、むしろその逆ですから大丈夫ですよ」
俺は笑顔でそう答えた。
「もう! やめてよ、恥ずかしい!」
花純さんは照れながらも、最後に小さく『ありがと』と付け加えた。
「ところで……ユッキーはどうしたんですか?」
アナザーワールドで話をしたときには、俺を迎えに来る前に、ユッキーの所にも寄ってから来ることになっていたはずだった。
「ごめんね。ユッキーは、今日ちょっと体調が悪いみたいなのよ。……約束したからって、無理してでも来ようとしてたけど、私がやめさせたの」
花純さんが申し訳なさそうに理由を説明する。
「そうだったんですか……。それじゃ、仕方ないですね。早く元気になれると良いんですが……」
「大丈夫よ。……ただの風邪だと思うから。1日、2日しっかり休めば、元気になれるわよ」
花純さんが俺の肩をポンと軽く叩いた。
「あそこの交差点辺りで待ってればいいかしら?」
「はい、そこで大丈夫です」
花純さんは車を交差点の少し手前で、端に寄せた。
「じゃあ、行ってきます」
俺は花純さんに声を掛けてから車を降りた。
「よろしくねー」
俺は花純さんの声を背中に聞きながら歩き出す。
「……確かこっちだよな」
✳︎✳︎✳︎
「雄彦、ここからはスピードを落として、ゆっくりと進んでくれ」
スピーカーモードにした携帯電話から、徹人兄さんの声が響く。
「了解です。花純さん、お願いします」
「りょーかい!」
花純さんはハザードを焚きながら、時速10キロ程度までスピードを落とした。
「……近くに、子供達が通れそうな穴はあるかい?」
しばらく低速で走らせた車を停めさせた後、徹人兄さんがそう尋ねた。
「……あれ! あそこだったら、優達なら抜けられそうじゃない?」
花純さんが前方数メートル先のフェンスに大きめの穴を見つけ、指差した。
「そうですね。あれぐらい大きければ大丈夫そうですね。……徹人兄さん、今の場所から7、8メートル先に、子供達が通れそうな穴を見つけました!」
俺は携帯に向かって報告する。
「分かった。子供達にはそこへ向かって行ってもらう。……君たちは僕の指示があるまで、しばらくそこで待機していてくれ」
「了解です。……でも気になっていたのですが、子供達は正確に徹人兄さんが示された道を歩いていけますかね?」
俺はこの救出計画を立てた時から抱いていた疑問を、徹人兄さんに投げかけた。
「なぜ、今更そんなことを聞くんだい? 疑問があったのなら計画時に僕に聞けば良かっただろ?」
徹人兄さんが不満そうな声で答える。
「……すいません。徹人兄さんならば、大丈夫だと安心しきってしまいました……」
俺は徹人兄さんがこういった、考え無しの回答を嫌がる事は分かっていたが、正直な気持ちを口にした。
「そういう考えのない……。まあ、下手な言い訳を聞かされるよりは、幾分かましかな。……それに実のところ、僕もあえてその事に触れずに話を進めていたところがある……」
そう言うと、徹人兄さんは俺に携帯電話を持って、外に出るように指示した。
「どうしたんですか?」
俺はとりあえず言われた通り、車から降りたが、指示の理由が理解できなかった。
「これからやろうとしている事は……。簡単に言えば、僕が、優君の体を乗っ取る。……ということになるんだ」
徹人兄さんは、俺に対しても少し躊躇したが、その方法を教えてくれた。
徹人兄さんは、現状『思考する電気』と言える……。
そして人間は、微弱な電気信号により、脳を働かせ活動している。
つまり、徹人兄さんがその特性を活かし、優に乗り移り、優の代わりに体を動かし、目的の場所まで誘導する……ということらしい。
「そういうことでしたか! これで合点がいきました!」
これで喉のつかえが取れ、スッキリした。
「くれぐれも今言った内容は、車に戻っても言わないでくれよ。……まあ、いずれ分かってしまうだろうがね……」
徹人兄さんはそう言うと、残念そうにため息をついた。
「……了解です」
俺は、なぜこんな凄いことを話してはいけないのかとも思ったが、徹人兄さんがそう望むならと、そう返事をした。
✳︎✳︎✳︎
徹人兄さんから待つようにと指示を受けてから、丁度30分、まだ次の連絡はこない……。
待機し始めた当初は、アナザーワールドに関することや、現実世界に於ける互いの現状など、話せる範囲で話をして、和んだ雰囲気にあったのだが……。そろそろ、徹人兄さんからの連絡があるのでは、と思える時間帯となった今では、緊張の糸が張りつめ、車内には、エンジンの駆動音と暖房の風の音だけが響くようになっていた……。
俺は、窓から次々と追い越していく車の後ろ姿をじっと見つめ、そのときがくるのを待ち続けた。
……ブルルルル……ブルルルル。
ダッシュボードの上に置いた俺の携帯電話が震えた。
「もしもし! もう着きますか?」
俺は素早く携帯電話を取り上げると、すぐにそう尋ねた。
「ああ。もうそろそろ着きそうだから、皆フェンスのところまで来てくれるかな」
徹人兄さんはこちらとは異なり、いつもの落ち着いた声のトーンだ。
「了解しました!」
俺は皆に目配せをして、車から降りると、目的のフェンス穴まで早歩きで近づいていった。
フェンスの向こう側から、もうすでに草を掻き分ける『ガサガサ』という音が聞こえる……。
きっと、優と恵に違いない。
音は次第に大きくなっていき、真っ直ぐこちらへと向かっていることを連想させた。
俺達は、大きくなっていく音に合わせて、高鳴る鼓動を抑えながら、固唾を飲んでフェンス穴を見つめ続けた。
すると、フェンス穴の縁を中側から掴む小さな手が現れた。
「やっと出れた!」
最初それを見たとき、妖怪がフェンスから這い出て来たのかと思ってしまうくらい、その容姿は人間とは思えなかった。
そのため、俺達はフェンスから数歩退き、離れた場所で身構えた。
ボサボサに乱れ伸びた髪、てっぺんから足先までまだら模様に黒ずんだ体、どこに目があるのか分からないほど真っ黒に染まった顔……。
だが数秒その場に留まり、冷静さを取り戻すと、その背丈と発せられた声から、最初に出て来たのが、きっと恵だろうと想像がついた。
するともう1人、今、フェンス穴から出ようと踠いているのが、優ということになる……。
「ふうっ! これで僕の役目は終わりだ。主導権を優君、君に返そう」
フェンスからなんとか抜け出すことに成功した優が、自問自答するように呟いたかと思うと、その体を一瞬、金色に輝かせた。そして、その光は、優が所持していた古い携帯電話に凝縮されたあと、上空の電線へと駆け上がっていった……。
優はその後、自分の手足を何度か繰り返し動かし、思い通りに動けることを確認した。ちょうどその確認を終えた頃、優は恵が何かを指差して、震えていることに気が付いた。
そして、徐に恵の指し示す方向へ目を走らせる……。
「……楓さん? なんで……」
優が言葉を紡ぎ終わるよりも早く、俺達の隣で固まっていたはずの楓さんが駆け寄り、2人を力一杯抱きしめていた。