夢世34
『Dead or Alive』のメインモニター近くで、俺と少女は抱き合ったまま、崩れるように、その場に座り込んでいた。
モニターには、もう次のバトルが映し出され、先ほどまでの重苦しい空気は、いつの間にか消えている……。
その空間は、俺と少女というピースを失っても、すぐに代替のピースが埋め込まれ、滞りなく修復されていた……。
無性に『寂しさ』を覚えるが、今はそんなことはどうでもいい……。少女の心が、落ち着きを取り戻してくれることを待つだけだ。
少女が泣き止むまで、どれだけの時間を要しただろうか……。
きっと羽化したばかりの蝶が、空へと旅立てるくらいの時は経ったはずだ。
少女は人恋しかったのか、泣き止んでからも長いこと俺の胸に顔を埋めていた。
少女の心に巻き付いていた茨めいた蔓が、徐々にではあるが、緩んでいっているのだろう……。固く強張っていた肩が、次第に解れてきているのを、俺の腕が感じとっている。
「えっと……俺の名前は、古河 雄彦。よろしくね」
俺は、少しずつ腕の力を緩めながら、頃合いを見て、少女に声を掛けた。
「……私、けい。小畑 恵。」
少女は埋めた顔を少しだけ起こし、上目遣いで俺を見る。
「恵ちゃんか……少しお話、できるかな?」
俺は、恵と名乗る少女の顔を見ようと、さらに腕を解き、距離を取ろうとする。
「あっ! このまま!」
恵は慌てて、俺の胸に再びしがみつく。
「……じゃあ、このまま、お話しようか?」
「……うん」
恵は恥ずかしそうに、だが嬉しそうに返事をした。
「さっき応援してた男の子は、お兄ちゃん?」
「うん! ユウ兄ちゃん! 何でもできちゃうの!」
恵は、俺の質問に素早く反応した。
「すごいお兄ちゃんなんだね。……恵ちゃんは、夢から醒めたら、何してるの?」
「……お兄ちゃんが御飯取ってきてくれるまで、寒くないところで待ってるの」
恵は、もじもじしながらも答えてくれた。
「……そっか。……お兄ちゃんの言うことをちゃんと守ってるんだ。えらいね」
俺は、慎重に言葉を選びながら話を進める。
恵は恥ずかしそうに、また俺の胸の中に潜る。
「ユウお兄ちゃんは、恵ちゃんが、ここで待っていることを知ってるのかな?」
「うん! お兄ちゃんに『ここでじっとしてて』って言われたから」
モグラ叩きゲームのモグラのように、恵は話す時だけ顔を出し、話終わると、また顔を埋めた。なんだか、その動きが気に入ってしまったようだ。
「それなら、雄彦お兄ちゃんも一緒に、ここで待ってるよ」
「うん!」
恵は元気良く飛び出したかと思うと、また潜る。
ゲームの効果音や観戦者の歓声が、そこかしこから間断なく弾けている。だが、慣れた耳は、今ではそれを騒音とはとらえず、浜辺の波音程度に変換してくれている。しばらくゆったりとした時間が流れた……。その間に俺は、恵にいくつか質問をしていた。
恵が住んでいる所はどんな場所か、そこから何が見えるのか、そしてどんな音が聞こえるのか、などだ。
はっきりと場所を特定できる住所を教えてもらいたいところだが、先ほどの彼女との会話で、それは難しいだろうと判断した。彼女が答えた『寒くないところで』というワードで、そう判断した。通常ならば『家で』とか『部屋で』とか明確な『場所』をこたえるはずだ。だが、彼女にはそれができなかった。答えられなかった。きっとこの兄妹は、不自由な生活を余儀なくされているに違いない。
なぜそのような状況に陥ってしまったのかは、わからない。だが関わった以上は、この子達を幸せ、とまではいかないが、安心できる生活ができる状態までは、導いてあげたい。
恵との会話で得られた情報は、まず、住んでいる場所から大きな煙突がいくつも見えること、常に様々な機械の音が鳴り響いていること、そして細かな黒い粉塵が常に空気中を舞っているということだ。
これらの情報からこの兄妹は、どこかの工業地帯に隠れるように住んでいるのだろうと推測した。
だが、工業地帯はいくつもある。これだけの情報から探し当てるのは、不可能に近い。
「お前、誰だ! 恵から離れろ!」
どう探すか思案にふけっていると、突然大きな声で怒鳴られた。
顔を上げると、そこにはモニターで見た少年が、仁王立ちして、俺を睨みつけていた。
「ユウ兄ちゃん!」
恵は、声が聞こえた方へ向き直ると、歓喜の声を上げた。
「恵! 何してんだっ! 早くこっちへ来いよ!」
ユウと呼ばれた少年は、野犬さながら吠え散らかした。
周囲にいた観戦者達は、潮が引くように離れていく……。
「ちょっと待ってくれないかな。君と話がしたいんだけど……」
俺は思わず、左の掌を少年へと向けて、『待て』の合図をしていた。
「なんだよ、お前! 何が目的なんだよ!」
警戒心むき出しで、距離をとりながら、少年は言葉をまた投げつける。
だが、投げつけられる言葉とは裏腹に、体は震え、少年の瞳には恐れが窺える。モニターに映っていた少年と同じ人物とは、とても思えない。
「ただ君たちの力になりたい、それだけだよ」
俺は低い声で、静かに答えた。
「……うるさいっ! どうせそう言って、俺たちを騙すつもりなんだ!」
少年の目には、うっすら涙が溜まっている。
「ユウ! 聞けっ! 俺がお前たちを守る! 決して騙したりしない!」
静かに呼びかけても無駄だと感じた俺は、敢えて少年が、怯むほどの大きな声で叫んだ。
この少年の心は、張り裂ける寸前だ。今、この期を逃してしまったら、もう二度と手を差し伸べることすらできないような気がする。だから脅してでも捕まえたい、そう思った。
虚勢を張っていた心は吹き飛ばされ、少年は地べたに座りこんだ。
「恵ちゃん、ユウ兄ちゃんのところまで一緒に行こう」
驚いた目で俺の顔を見上げている恵の頭を撫でながら、俺は優しく語りかけた。
「……うん!」
恵は俺の瞳を確認すると、力強く頷いた。
俺は恵の小さな手を握り、歩調を合わせて歩いて行く。
そして放心状態で座っているユウの肩をポンと叩くと、立ち上がるように促した。
ユウはよろめきながらも立ち上がると、虚ろな目で俺を見つめる。光を失ったユウの瞳は、人形の瞳と同様焦点が定まらない。
「大丈夫。もう大丈夫だ。ユウには俺がいる。安心しろ」
俺は恵の時と同じように、強くしっかり、ユウを抱きしめる。
「……俺、もう苦しくて……苦しくて……」
ユウは言葉に詰まりながら、必死で俺に訴えた。
「頑張ったんだな。もう休んでいい。あとは俺が何とかする」
俺は、ユウの背中をポンポンと叩き、また抱き寄せた。
ユウが目を閉じると、スーッと一筋の涙が流れていった。