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夢世  作者: 花 圭介
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夢世24

 颯爽たる容姿と放たれた懐かしい声で、徹人兄さんとの記憶は、一気に呼び覚まされていった。

 まるで今まで酷く錆びつき動かなかった車輪に、潤滑油が充填され、満たされたようだ。渇望する記憶への執着心は、自由を得ると暴走列車さながら、徹人兄さんとの記憶を求め、滑走していく……。

 そして、いくつもの記憶と遭遇し、抜け落ちていた記憶を回収した。

 どうやら徹人兄さんと俺とは、俺が生まれる以前からの付き合いであるらしい。俺の記憶の中に、俺の両親と小学生くらいの徹人兄さんとが、一緒に写っている写真が出てきたからだ。

 回収した記憶には、当時使っていた洋服箪笥の上に、赤ん坊の俺を抱く徹人兄さんの写真も飾られていた。

 そういえば、母から徹人兄さんの母親とは、同じ女子高校で仲も良かったと聞かされたことがあった。それで自然と家族ぐるみでの付き合いとなっていったのだろう。

 しばらくは家族同士で一緒に食事をしたり、旅行にも出掛けたりと安寧な日々を過ごしていた。

 だが俺が7、8歳となった頃、徹人兄さんの母親が脳溢血で突然亡くなってしまった。まだ40歳前後という若さで逝ってしまったのだ。辿った記憶を見返しても病とは縁遠い、若く快活な印象の女性であった。

 この時期を境に徹人兄さんが俺に向けてくれる笑顔には、どことなく寂しさの影が滲んでいた。父親もまるでその悲しみを紛らわせるかのように、仕事に没頭し、顔を合わせることがなくなっていった。

 そのため1人でいることが多くなった徹人兄さんを不憫に思った俺の両親は、半ば強引に、ことあるごとに徹人兄さんを家に招き入れるようになった。

 徹人兄さんは、母親が亡くなった悲しみに耐えながらも、変わらず俺を弟のように可愛がってくれた。俺も本当の兄のように慕っていた。

 俺は美希が前座席にいることも忘れて、徹人兄さんとの記憶をまさぐるように探していた。

 美希は言葉を発することもなく、ただひたすら俺が操作するゴンドラから俺の思い出の記憶をじっと見つめていた。


 徹人兄さんは今思い返してみると、哲学者のような人だった。印象に残っているほとんどが、答えの出ない問いかけだったからだ。解のない最初の質問は確かこれだったと思う。

「雄彦、人は『何のために』生まれてきたと思う?」

「……何のために? ……んー、わからないよ。何のためなの?」

 まだ幼い俺は、考えたこともなかったその問いに戸惑った。

「雄彦、本当の事は僕にもわからない……。だけどね、ひょっとしたら神様が『友達』をほしがったからかもしれない、と思ってるんだ」

「神様が『友達』を?」

「そう、神様は意外と僕らが思ってるほど、万能ではないのかもしれない……」

「万能って?」

「何でもできるっていう意味だよ」

「神様なのに何でもできるわけじゃないの?」

「そうさ、でなきゃ……悲しい思いをしてる人は、1人もいないはずだろ?」

「そうだね。悲しいこと無くならないものね……」

「だから人間は、いつか神様の友達になって、全ての悲しみを取り除く手助けをするのさ」

 この時の徹人兄さんの表情は希望に満ち、何かに挑む覚悟を決めた、そんな表情だった。


 次に覚えている質問は、4年生の夏休みで、一緒に虫取りをしていた時だった。

 枝に擬態した虫、ナナフシを見つけ、こう言ったんだ。

「雄彦、生物はなぜ進化していくのだと思う?」

「……えっと、強くなるためかな?」

「……そっか、強くなるためか……それもあるかもしれない。でもこのナナフシはどうだろう?」

「……食べられないため?」

「そうだ、食べられないため、生きるためだ。でもこんな小さな虫が、枝の真似をしたら食べられないって、自分で考えて変化したって思うかい?」

「……それは……思えない」

「僕も同じだ、とても思えない。ある生物学者が、長い年月をかけて自然と擬態する虫に進化したと言っているけど、僕には誰かが力を貸してあげたとしか思えない……」

「……神様かな?」

「かもしれないな」

 徹人兄さんはにっこりと微笑んで答えた。

 そしてその数日後、俺が学校から帰ると、俺の部屋で徹人兄さんが待っていて静かにこう言った。

「雄彦、神様は本当にいると思うかい?」

「いるよ! 絶対いる!」

「なぜ、そう思うんだい?」

「だって……そうじゃなきゃナナフシは生まれないもん!」

「ハハハ、そうだよな。じゃあ、なぜ神様はナナフシにその力を与えたんだと思う?」

「……生きていて欲しかったから?」

「そうだ、必要だったからさ」

「じゃあ、人間はどうだろう? 必要かな?」

「必要だよ、だって『友達』になるんでしょ?」

「その通り。でも全ての人が友達になれるわけじゃない……。きっと選ばれた人、進化した人でなければダメなんだ」

「進化した人?」

「そう、だから僕は、これから進化するための儀式を受けに行ってくる」

「儀式? 徹人兄さん僕も連れて行ってよ!」

「雄彦にはまだ早いよ、その時が来れば必ず迎えに行くから、その時まで待っていてくれ。それまでお別れだ」

 俺の頭をポンポンと軽く叩き、徹人兄さんは部屋を後にした。その情景を見た俺はこの時の寂しい気持ちが蘇り、胸を痛めた。

 胸の痛みは、時を刻むにつれ更に酷くなっていく……。

 俺の心に、寂しい気持ちだけではない何かが起こっている……。

 苦しみから抜けられぬまま、俺はゴンドラの窓越しに展開し続ける記憶を目で追いかけ続けた。

 ……終着点と思われた記憶には、さらなる続きがあった。

 徹人兄さんに別れを告げられた翌日、俺は、我慢出来ずに徹人兄さんの家に向かっていたのだ。

 玄関の扉を開け飛び込むように家の中に入った俺は……。

「そんな! 雄彦さん! 見ちゃダメ!」

 今まで沈黙を守っていた美希が、金切声で叫ぶ。

 自身の血の気が急激に引いていくのが分かるくらい、俺の心は悲鳴をあげていた。

 天井からてるてる坊主のように吊されたその固まりは、始めから生命など宿っていなかった人形のようで、どこか物足りない印象を受けた。

 徹人兄さんの特徴は留めてはいたものの、乾燥しきった粘土で無理矢理作った出来の悪い模造品と思えた。

 当時の俺はそれに目を向けてはいたが、既に意識は混濁し、朦朧とした状態であった。

 今の俺は、両手を胸に当て、苦しみを押し殺しながら、変わり果てた徹人兄さんを見続けることができた。

 ……徹人兄さんの頭髪は所々はげ落ち、地肌が見えていた。そして、その露出した皮膚には、削られたような傷が複数あった。

 当時の俺では気づけなかったことが、今の俺なら認識できる。

 これは徹人兄さんが導き、示してくれたあの事件の手がかりなのかもしれない……。

 長年心の奥底に封印してきた記憶が、俺に清算を促している。

 警察はこの事件を第三者が関わった形跡がないことから、首つり自殺と断定し、処理をした。もうこの事件に向き合えるのは、俺しかいない。

 気持ちを立て直し、ゴンドラを操作する……。

 徹人兄さんとの記憶の集まりから抜け出る際、徹人兄さんが笑顔で手を振る記憶とすれ違った。

 俺は見られているわけではないと知りながらも、去り際に握り締めた左拳を高く上げ、誓いの印の代わりとした。

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