夢世23
そのあまりの大きさに息を呑んだ……。
俺達は今、観覧車の前にいる。
「あの……この観覧車、1周するのにどのくらいかかるんですかね?」
美希が尤もな質問を俺にぶつけてきた。
「……どうだろうな。現実での一般的な速さで回っているとしたら……何時間。……いや下手すると何日もかかるんじゃないかな」
俺達は、観覧車の見えもしない頂上を拝もうと目を凝らしながら、会話を続けた。
「……それは困りますね。観覧車で宿泊ですか?」
美希は、フフフッと堪えきれず、声を漏らす。
「……流石にそんなことはないとは思うけどね。……たぶん」
俺は自身がはじき出した予想を否定しつつも、それすら断言できないことに気づき、あいまいな返答を付け加えた。
「まあ、行ってみれば分かることですよね! 行ってみましょう!」
美希は悩んでいる俺を見て、元気付けるように明るく言った。
「……そうだな、折角ここまで来たんだ。乗らないって選択肢はないよな!」
美希に後押しされる形で、俺達は観覧車の乗り場に向かった。
乗り場前には何人もの人集りができていたが、いざその場に着いてみると、俺と美希の2人だけで、他に人の姿は見えなかった。
不思議に思っていると、例のサポートソフトがその疑問に答えた。
ピロリロリーン。
「アトラクションの人気度合いがわかるように、外目からは人集りを目視できるようになっておりますが、乗り場自体は、お客様毎に別空間となっております。これは、待ち時間を無くすために考えられた手法です。こちらの観覧車だけでなく、多くのアトラクションでこの手法が採用されております」
俺と美希は顔を見合わせ、ウンウンと頷きあった。
現実世界では、待ち時間の長さにうんざりさせられることが度々ある。2時間待たされたにも関わらず、楽しめた時間はごく僅かでは、高いお金を支払うのに割りに合わない。多くの人が同様の思いを抱いたことがあるだろう。夢という自由度の高さは、こんなところでも活きてくる。
「夢の観覧車へようこそ! この観覧車では様々な景色を選択し、ご堪能いただくことができます。例えば、エベレスト山頂からの景色であったり、バミューダ海峡の底からの景色、更には月からの景色など、様々なリクエストにお答えできます。人類未踏の場所であったとしても、有識者達による知識を元に再現された景色をご覧になれます。そして多くの方から御好評いただいている『記憶の景色』もご覧いただけます。これは、埋没してしまった自身の記憶を呼び起こし、辿っていく、いわば今の自分に至るルーツを探ることのできる旅です。いずれの景色を選択されるか、考えがまとまった後、ご自身のタイミングで観覧車にお乗り下さい」
この観覧車についての説明が、直接頭の中に響いてきた。
「どれも面白そうですね。どれにしますか?」
美希が腰の後ろで手を組み、ゆっくりと乗り場を歩きながら俺に尋ねた。
「……美希ちゃん、できれば俺、自分の記憶を旅してみたいんだけど……いいかな?」
俺は美希の目をじっと見つめた。
「……大丈夫ですよ。問題ありません。……でもいいんですか? 私が一緒に見てしまっても」
美希は、俺の急な態度の変化を感じ取り、神妙な面持ちで尋ね返す。
「美希ちゃんさえ良ければ構わないよ。……どんな記憶が出るかわからないけど」
俺は苦笑いしながら答えた。正直、俺も自分からどんな記憶が飛び出してくるのか想像がつかなかった。俺には、なぜか小学校低学年の頃の記憶が、断片的にしか残っていない……。もちろん10年も前の記憶だ、忘れていることは多々あるだろう。だがそうではなく、思い出そうとすると途端に靄が掛かってしまう記憶があるのだ。
遥や聡の記憶は、思い出そうとすればどこまでも思い出せるくらいしっかりと覚えている。遥のスカートを捲って引っ叩かれたこと。その時のパンツの色が、青と白の水玉模様であったこと。聡の大事にしていたフィギアを壊してしまい、初めて息ができなくなるほどのボディーブローを味わったこと。等々、昨日のことのように思い出せる。
「分かりました! お伴します!」
美希は俺の目の前まで歩み寄り、自身の両拳をギュッと強く握りしめた。
「そんなに気張んなくてもいいよ」
美希のその姿に強張った心が、少し解れた気がした。
俺達は歩みを揃えて、観覧車へと乗り込んだ。
観覧車の中の広さは現実世界とそう変わりなかったが、片方の座席に車の運転席を思わせるハンドルとペダルが設置されていた。
「ハンドルとペダルを利用することで、様々な角度から景色をご覧になれます。お選びいただいた記憶の景色であっても同様です。立体的に映し出される記憶の中を様々な角度からご覧になれます。また、ハンドル左手にあるダイヤルを回すことで次の記憶へと早送りすることができます。さらに気になる記憶にたどり着いたとき、ハンドル中央のボタンを押せば、その記憶を再生させることも可能です」
座席に座ると、観覧車乗り場に着いたときと同じ声で、追加説明が行われた。
外を覗くと、もう記憶の旅が始まっているようだった。
まず最初に現れたのは、馬に跨った俺と、気を失って馬にもたれかかる美希の姿だった。
俺は美希が過去の自分の姿をとらえる前に、素早くダイヤルを回し、次の記憶へと移動させた。
次いで一輝の笑顔、アトラクションエリアの気味の悪いマスコット、大人の魅力に溢れるエレベーターガールのイリスが姿を現す。
このペースでは、小学生時代の俺を見るまでに、かなりの時間がかかってしまう。俺はダイヤルを目一杯、回してみた。
「え? この子が雄彦さんですか? カワイイー! ナデナデしたーい!」
美希が、鏡に映る小学生なりたての俺を見てはしゃぐ。少々戻し過ぎてしまったようだ……。
(ん? 俺の髪を整えている人は……確か、徹人、徹人兄さんだ!)
そこに映っていたのは、俺の丁度10歳上で、近所に住んでいた徹人兄さんだった。昔良く面倒を見てもらっていた憧れの人だ。なぜ今まで忘れていたのだろう……。こんな大切な人を忘れてしまうなんて、自分が信じられない。
俺はハンドル中央のボタンを押した。
「雄彦! 動くなって! ハハハ、いつまで経っても整えられないじゃないか! まったく……」
徹人兄さんは困った素振りを見せながらも、愛おしそうに俺の顔を見つめている。その懐かしい声が、俺の心を温かく満たしていった……。