夢世21
美希に手を引かれるままアトラクション区域に立ち入ると、何やら俺達に呼びかけてくる者がいるのに気がついた。
その者は、足を踏み出し、地面をとらえる度に『ポニョン、ポニョン』とコミカルな音を鳴らし、近寄ってくる。
最初、声の主が見つからず困惑したが、どうやらそれは、俺達が相手を普通の人間だと思い込んでいたため、視界に映るその者を意識から除外してしまっていたかららしい……。声が発せられた方向と動く物体とに意識が向かったとき、ようやく象なのか豚なのか、よく分からない着ぐるみが寄ってきているのだと認知できた。
「アトラクションエリアへようこそ! ここは現実世界で『できたらいいな』と思い描いた妄想を体験できる場所だよー。次から次へとアトラクションは増え続けているから、きっと気にいるものに出会えるはずだよー」
その者は俺たちの前まで来ると、誇らしげにこのエリアの説明を始めた。象にしてはだいぶ短い桃色の鼻を自由自在に操り、下顎から突き出た鋭い牙をワシャワシャと動かしている。とても愛らしいとは言い難い。
そんな者に突然話しかけられた時の反応は、当然こんなものになるだろう。
俺達は「どうも……じゃ先を急ぐんで」とおざなりな返事をして、その場から足早に逃げ出したのだ。
「ああっ! ちょっとー!」
得体の知れない着ぐるみは、慌てて俺たちを追いかけるが、短い足が災いしてなかなかスピードが上がらない。
「何なんですかね? あれ」
逃げるスピードは維持したまま、美希が俺に問う。
「……アリクイ……なのかな?」
美希と並走しながら俺が答える。
ピロリロリーン。
「あれはアリクイではなく、一応『バク』だとのことです。夢と関係の深い架空の生き物をアトラクションエリアのマスコットとして採用したのだそうです。ご了承願います」
サポートソフトでさえも納得がいかないような物言いだ。
「……ああ、言われてみればバク……かな。まあマスコットなら害は無かったのか……」
つい外見だけで怪しい存在だと判断してしまった。ちょっと悪かったとは思うが、あの容姿では大半が逃げだしてしまうだろう。容姿の再考を提言したくなる。
後ろを振り返ってみたが、流石にもうあのマスコットの姿は見えなかった。
罪悪感から次会った時は、少しは話を聞いてやろうと密かに思った。
気を取り直して散策を続けていると、遊園地のシンボル的な存在の1つ、色彩豊かに彩られたメリーゴーランドが目に入ってきた。
「あのー……あれ、乗っていいですかね」
美希が、もじもじしながら上目遣いで、俺に尋ねてきた。
「え? あれ? ……あれでいいの?」
俺はさすがに自分の耳を疑い、美希に聞き直してしまっていた。俺の認識の中で、メリーゴーランドとは、せいぜい小学生以下、低年齢層向けの乗り物だと認知していたからだ。
「実は私……ちっちゃい頃、なぜか巡り合わせが悪くて、メリーゴーランドに乗れなかったんです。……遊園地に行くと、必ず向かいはするんですが、行ってみると、なぜか故障してたりだとか……あとは他のを優先してしまったために時間がなくなっちゃったりして……。始めは、そんなに混むアトラクションでもないので、そのうち乗れるだろうと思って、そこまで乗りたいとも思ってなかったんですけど……乗れるタイミングができたときには、もう乗るには恥ずかしい歳になっちゃってて……」
美希は俺の反応をチラチラと窺いながらも、自分の気持ちを言葉にしていった。
「そっか……そりゃあ、乗らなきゃな! もうチャンスを見逃さないように早く行こう!」
美希が恥ずかしさに耐えながら話した頼み事を、断ることなどできるはずがない。
俺達は他のアトラクションには目もくれず、真っ直ぐメリーゴーランドに向かって走っていった。
ただ途中、ケーキを焼くような甘い香りが漂う屋台には、後ろ髪を引かれたが……。
程なくして、メリーゴーランドの前に辿り着いた。現実世界で見たメリーゴーランドとそう変わりは無いが、夢の中だけあって規模が大きい。色彩も豊かで、馬の鞍や馬車の装飾も細部まで再現されている。
美希は夢見がちな少女さながらの眼差しでメリーゴーランドを見つめ、今にも瞳から星が溢れてしまいそうだ。
「お客様方に申し上げます。もうすぐ締め切り時間となります。御利用の方は、空いている席に速やかにお座り下さい」
メリーゴーランドの天辺に四方へ向けて付いている拡声機から、騎乗を促すアナウンスが聞こえてきた。
俺は未だに白日夢でも見ているかのような面持ちで、呆然としている美希に声を掛け、どうにか我に返すと、空いている白馬の背中に乗せてやった。
俺も美希の隣の青鹿毛の馬に跨った。
「あっ! タケさん! タケさんじゃないですか! やった! やっぱり会えた!」
声に反応して顔を上げると、一輝が前の馬に跨りこちらを振り返っていた。
「何でお前がここに!」
「何言ってるんですか! 夢で会おうって言ったのタケさんじゃないですか! 探してたんですよ、タケさんのこと!」
跨った足をバタつかせながら、一輝が文句を言う。
「……そっか……そうだったな、悪かった」
俺は素直に謝った。
「アハハハッ! 冗談ですよ、冗談! 俺がこのアトラクションにハマっちゃっただけですよ。だから気にしないでください」
一輝はニッコリと微笑んで言った。
「……一輝、これって普通のメリーゴーランドじゃないのか?」
一輝は元来、激しく動く絶叫系のアトラクションを好む男だ。それがこんな子供向けの乗り物にハマるなんて考えられない。
不安になり美希に聞こえない小声で尋ねた。
「 俺が普通のメリーゴーランドに乗るわけないじゃないですかー。このアトラクションは……」
一輝の答えを聞く前に、アナウンスがそれを遮った。
「本日も暴走メリーゴーランドを御利用頂き、誠に有難うございます。準備が整いましたので、間も無くスタート致します。手綱をしっかりと握り締め、振り落とされないようにお気を付け下さい。それでは楽しい暴走ライフを!」
「暴走?」
俺は咄嗟に美希に向き直った。
美希はというと、白馬の首に抱き付いて、頬擦りをしている有様だ。どうやら今のアナウンスは美希には届いていないようだ。
「美希ちゃん! 美希ちゃん! これ普通のメリーゴーランドじゃないみたいだ! 今からでも降りた方がいい!」
俺は大きな声で、下馬するよう、忠告したつもりだったのだが、美希はこちらに視線を向けたものの、俺の言葉の内容を頭の中で誤変換してしまっているらしく、ただただ頷くばかりだ。
そうこうしているうちにメリーゴーランドは動き始めた。
歩く程度の低速で回ったのは最初の1周だけで、2周目に入ると命を吹き込まれたかの如く、突然それぞれの馬が嘶きだした。
そして、自分を押さえつけている支柱から遁れようと、激しく体をくねらせ、ついには自身の持ち場を離れ走りだした。
俺は必死に手綱を引きながらも遠ざかる美希の姿を目で追った。
美希は相変わらず白馬の首を抱いてはいたが、先程までの喜びに満ちた表情とは、似ても似つかないほど、その形相は変化していた。
俺はその表情を見て、美希はもう2度とメリーゴーランドに乗りたいとは言わないだろうと確信した。