夢世2
辺りは変わらず人々のやたらに歩き回る音だけが響いている。
今が現実で何時なのか計り知ることは出来ない。
なにせ施設各階の間から望める景色は常に昼間の快晴である。
俺は美希と一緒に先ほどと同様、通行人から情報を集めることにした。
最初に話しかけたのは、優しげなおじさんだった。
「ん、なんだね?」
恰幅の良いスーツ姿のおじさんは少し驚きながらも足を止めて話に応じてくれた。
「おじさんはこの夢を見るようになってどのくらい経ちますか?」
この夢の経験値が高い人ならばそれだけ情報を得ていると考え、取り敢えずはこの質問から入ることにした。
「この夢か……確か20日位になるかな?」
「20日! そんなにこの夢を見てるのですか?」
「そうだね、確かそんなもんだよ」
「20日前と比べて何か変わったことはありましたか?」
「変わったこと? ……人が増えてきたことと……君らに話しかけられたことぐらいかな」
そう言うとガッハッハと豪快に笑った。
「おじさんはこの夢の中で何かしてみたことはありますか?」
「してみたことかい、特にないなぁ。ただひたすらこの施設内を歩いているだけだよ」
「……そうですか、ありがとうございました。」
どうやら最初の聞き込みは空振りのようだと諦め、その場を離れようとした時、おじさんが俺たちを呼び止めた。
「君らこの夢のことを調べているのなら、ライオンの着ぐるみを着た子を探してみるといいよ」
「ライオンの着ぐるみ?」
俺と美希は顔を見合わせてから再度おじさんに確認した。
「ライオンの着ぐるみなんて着てる人がいるんですか?」
「ハハハ、信じられないだろう。でも本当にいるんだ」
おじさんは予想どおりの反応をした俺たちに満足そうに微笑んだ。そしてこう続けた。
「その子はこの人々の流れには乗らず、いろんなことを試しているようだよ。他の人々と違って恐怖心より好奇心の方が強いみたいだね」
「どこに行けば会えますか?」
「さあね、見る場所はまちまちだからね」
おじさんは首をすくめて答えた。
「その着ぐるみの人はどんなことを試していたんですか?」
「ん? ……いや~遠くから見ていただけだからね……。 おっと、そろそろ行くよ。もう日課みたいなものでね。夢の中でもしっかりウォーキングしていたいんだ」
おじさんは言うだけ言うとさっさと歩いて行ってしまった。
呼び止める間もなく行ってしまったおじさんの残像をぼんやりと眺めながら美希が呟いた。
「あのおじさん、この夢に興味ないのかと思ったのに色々観察はしていたんですね……」
美希はちょっと腑に落ちない顔で同意を求めた。俺も美希が漏らした感想と同じだった。
何もわからなそうな態度をとりながらあのおじさんは他にも情報を持っているような気がした。
声を掛けた時の反応も20日間この夢を彷徨って、初めて声を掛けられたにしては、薄いような気がする。美希が俺から声を掛けられた時は、驚きのあまり暫く声も出なかった程だった。
あのおじさんが美希よりも人生経験が豊富だからだとしても理由には足りない気がする。
何よりあのおじさんの対応は俺たちを自身の想像物とは始めから考えていない対応だった。でなければライオンの着ぐるみを着た人を探せとは言わない筈だ。
あのおじさんは自分の見ている夢が他の誰かと繋がっている異常さを認識しながらも平然とこの夢の中にいるのだ。
まああれこれ考えてもらちがあかない。次に出会った時ははぐらかされずに情報を得られるよう努めよう。今は得た情報を有効に活用して、この夢の真相をつかまなくては。
俺と美希はまた通行人からの聞き込みを再開した。
しかしその後暫くはなかなか話に応じてくれる人は現れなかった。殆どの人が声を掛けても無視して足早に立ち去ってしまう。
その多くはこちらの存在にすら気付いていない様子だった。
よく見ると彼らの瞳はやや灰色がかっていて、焦点が定まっていなかった。俺と美希は瞳を確認してから声をかけることにした。
すると、黒檀のように艶やかな瞳の20歳前後と思われる男がこちらを窺いながら歩いてくるのが分かった。
身長は180cm程度、痩せ型で顔立ちは良いが鋭い目をしている為、ちょっと近寄り難い雰囲気を纏っている。
声をかけるべきか躊躇していると美希が止める間もなく話し掛けてしまった。
「ちょっといいですか?」
「……」
「あなたはこの夢を見るようになってどのくらい経ちますか?」
「……」
「あれ?私の声聞こえてますか?」
「……」
「瞳も灰色がかってないし、話せると思ったのにな~、もしもし~。」
何人かに話し掛けている内に、美希のテンションが何故だか上がってきていると気付いてはいたが、このままだと話に応じてくれそうな人にまで不快感を与えかねない。
美希の腕を掴んで制止させようとすると、鋭い目の男が口を開いた。
「君、面白いね。君なら話しても害はなさそうだ」
ポーカーフェイスを保とうとしてはいるが、男の口元には笑みがこぼれている。
「あ……あの……話出来たんですね……」
美希の顔が桜色に染まった。
「悪かったね。何が起きているのか分からないうちは警戒しとかないとさ」
男は徐に手を出し美希に握手を求めた。
美希は俺の方を振り返りどうすべきか表情で訴えた。
今は少しでもこの夢の情報が欲しい。2人では限界があるし、仲間を増やすことは元々頭にはあったことだ。
それに男の口ぶりだと自分達と同じ境遇にあるようだ。他人と夢を共有している異常さを知った者。この男もこの夢に不安を感じているからこそ警戒心を持ちながら行動しているのだろう。鋭い目付きはその表れだったに違いない。
俺は美希の目を見て軽く一度頷いた。
美希は男に向き直りそっとその手を握った。
「俺は栗田 塔矢、20歳、大学生。よろしく」
男は簡単に自己紹介を終えると、左手の平を差し出し俺や美希にも自己紹介をするように促した。
俺と美希は塔矢と名乗る男と同じように名前と年齢、学生であることだけを伝えた。
その対応でこちら側の警戒心も感じ取られてしまったとは思うが、現段階で直ぐに塔矢との距離を縮める気にはならなかった。
だが塔矢はその対応で満足そうに見えた。
どうやらあちらも徐々に距離が縮められればいいと考えているようだ。仲間は欲しいが合わない相手と無理に行動を共にしたくはない。
「さて、共有出来る情報を擦り合わせようか」
塔矢が先に口火を切った。言葉巧みに情報を引き出すのではなく、話しても構わない情報だけを吸い上げる聞き方だった。
少なくとも今はこちらに歩み寄る姿勢が窺える。俺は取り敢えず先程出会ったおじさんからの情報を提供することにした。
「ライオンの着ぐるみか……良かった。」
塔矢はうんうんと二度頷き答えた。
「良かった? 何が?」
俺は塔矢の言葉の意味が分からず自然に聞き返していた。
「提供出来る情報が俺にも出来たからだよ。……そのライオン、俺さっき見た。」
そう答えると塔矢はくるりと背を向け走り出した。
慌てて俺と美希も塔矢の後を追って走る。
時より押し寄せてくる人々の群をシューティングゲームさながらすり抜けながら塔矢の背中を追いかける。
しかし少しずつ開いていく美希との間隔を気にしつつ、塔矢を追い続けるのは難しい。
「塔矢! 美希ちゃんが遅れてる! もうすこしゆっくり走ってくれ!」
塔矢は声に反応しチラッとこちらに目を向けたが、すぐに前に向き直りそのまま走り続けた。
仕方なく俺は歩調を美希の方に合わせ走ることにした。
やがて塔矢の背中は人混みにまぎれ見えなくなった。
俺は足を止め美希が来るのを待った。
「塔矢さんは?」
美希は息を切らしながら尋ねてきたが、俺は黙って首を横に振った。
「……きっと塔矢さん、私達のこと待ってると思います。私、頑張ります」
美希は息を整えながら俺の目をじっと見つめた。
俺は美希の言葉に驚きながらも今出来ることは他にないと感じ、塔矢を見失った方向へ美希と共にまた走り出した。
この施設の大きさは判然としないが一周した感覚を元に考えると、直径は2km程度ではないかと思える。
かなりの大きさではあるが、道はただ一本。
店の中や店と店との間の路地に気をつけながら歩みを進め続ければ、そう時間もかからず塔矢を見つけ出せるはずだ。
額に滲む汗を拭いながら塔矢を探し続ける。
そんな時ふと自身の状態に疑問を感じた。
夢の中で息を切らし、汗をかいている……。
寝苦しい夜や怖い夢を見た時、起きるとかなりの汗をかいている事はあるが、今の自分の状況はそれに当たるのだろうか?
驚きや戸惑いの為に汗をかいている可能性はあるが、息切れや疲れまでは感じていないはずだ。
だとすればこの夢の中での息切れや疲れ、これは現実世界での経験を夢に反映させているに過ぎないのではないか?
そう思った瞬間、ピタリと汗は止まり、息切れもおさまった。
「……もっと夢の中にいる自覚が必要だな」
俺は再度足を止め、ふぅっと大きく息を吐いた。
「どうしたんですか?」
美希が肩で息をしながら駆け寄って来た。
「美希ちゃん、俺たちは夢の中にいることをまた忘れてしまってたみたいだ」
美希は俺の様子を見てハッとなり、大きく一つ深呼吸をした。息も整い、疲れも吹き飛ぶ。
「この夢リアル過ぎるんですよね」
美希は頬をぷっくりと膨らませて文句を言った。
「さあ塔矢を探そう!」
「はい!」
と駆け出そうとした時、手を振りながら向かって来る塔矢が見えた。
美希は俺の顔を見てにっこりと微笑んだ。
俺は美希の目を見ずに軽く一度頷いた。
「はぁ……はぁ……何……してんだよ。……早く……来いよ」
塔矢は俺たちの元まで来ると、膝に手を付き息も絶え絶えに文句を言った。
俺と美希は顔を見合わせにんまりと笑った。
それを見た塔矢は出会った時以上の鋭い目付きで俺たちを睨んだ。
塔矢への釈明はそう時間はかからなかった。
塔矢は俺たちの話を聞くとすぐ夢の中にいることを自身の体に自覚させた。汗も疲れも一気に消える。
流石に塔矢もこれには感動したらしく、おおぉっと感嘆の声を上げた。
だがすぐに顔を引き締め俺たちにこう告げた。
「ライオンを捕まえた」
俺たちは全速力でライオンがいる場所まで走り続けた。疲れることなく風を切って走る自分達の姿はきっとアニメのヒーローさながらだろう。
現実世界でも夢だと思い込ませれば疲れることなく走れるのではと思えてくる。
人間は脳の力を10%程度しか発揮出来ず、残りは眠った状態にあると真しやかに語っていた自己啓発セミナーの勧誘者に会ったことがある。
無論それは迷信でしかないのだが、あり得ない事が起こっている現状を考慮すると、盲信して想像の翼を広げれば、意外と現実世界でも疲れることなく走り続けられるのではなかろうか。
今のところ現実世界へと持ち帰れるのは記憶のみであるが、この夢の世界を解き明かす事で何が起こるかは未知数。
もしかしたら様々な力を現実世界へ持ち帰れるようになるかも知れない。
あれこれ想像しているうちに塔矢の足が止まった。
「ほらあそこにいる」
塔矢が指差した路地の先に2本足で立つライオンの背中が見えた。
その場景は余りにも滑稽で少しホッとしてしまった。
この夢の創造主は少なくとも着ぐるみライオンの存在を許容出来るほどの度量はあるのだから……。
あと数歩で触れられるところまで歩み寄ると、ライオンはくるりと振り返った。
「僕に何の用なの?」
ライオンの着ぐるみを着ていたのは、まだ小学生くらいの男の子だった。
考えてみれば着ぐるみで往来を闊歩する事が出来る大人はそうはいない。だが、この夢と現実との切り分けが上手く出来ていない現状では、その考えに至らなかった。
「ねえ、用があるんでしょ?」
男の子は訝しげに俺の顔を覗き込みながら答えを催促する。
俺は一つ咳払いをしてから気を取り直して尋ねてみた。
「君が調べたこの夢の世界について分かったことを教えてもらえないかな?」
すると男の子は首を傾げながら
「別に調べてる訳じゃないけど……、教えられることがあれば教えてあげるよ」
と無邪気な笑みをたたえ返答した。
男の子の名前は賀川 洋輝。
年は十一歳、この夢を見るようになってから八日くらい経つとのことだ。
ライオンの着ぐるみを着ているのは、ただ単に強いライオンへの憧れで、その着ぐるみは「変身屋」というこの夢の中にある店で手に入れたらしい。
その店も他の店と同様にBOXが1つ置かれているだけで、興味本位で触れた際、中に吸い込まれてしまったそうだ。
BOXの中は外観と異なりかなり広く、宇宙空間を漂っているかのように体はプカプカ浮いた状態になるらしい。
自分を中心に様々な着ぐるみが回っていて、手をかざすとその動きが止まり、手に取ることが出来るとのことだ。
そして『欲しい』と思うと、こんな声が聞こえてきたという。
「アナタノ楽シカッタ思イ出ヲヒトツ教エテ下サイ」
洋輝は素直にその思い出を思い浮かべ、話そうとすると
「有難ウゴザイマシタ。 確カニ教エテモライマシタ」
などと話してもないのに声が聞こえ、気がつくとライオンの着ぐるみを着てBOXの前に立っていたらしい。他にも何件か店に入り、色々と手に入れたとのことだが、その際聞かれる内容は店によって違っていたそうだ。
この夢の創造主は一体何を目的としているのだろうか……。
「あっ、お兄ちゃん、もうお別れの時間なんだね。またね! 」
と洋輝が俺に突然別れを告げてきた。
「いや、まだ聞きたい事が色々とあるから、もう少し付き合ってくれないかな?」
慌てて俺は洋輝に懇願した。
「ぼくはいいけど、お兄ちゃんがダメなんだよ」
「?」
洋輝が何を言わんとしているのか理解出来ず、尋ねようとした瞬間、世界が急に薄暗くぼんやりと霞みがかった。
「なんだこれ?」
必死に目を懲らそうとするが歯止めがきかない。世界を蝕んでいくように辺りの景色が外側から黒く変色していく。
「またね!お兄ちゃん!」
かすかに見えた洋輝の笑顔を最後に世界は深黒の闇に吸い込まれていった……。