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夢世  作者: 花 圭介
112/120

夢世112

 俺は扉をゆっくりと引き開けた。

 室内の柔らかくオレンジがかった光に照らされて、遥のシルエットが壁に凭れるように張り付いている……。

 遥は、ピンク色の生地に白い水玉模様が入った少し大きめのパジャマを着て、俺から顔を隠すためか横を向いていた。長く垂れ下がった黒髪も遥の表情を遮り、見えるのはいつもより少し赤みを帯びた鼻先だけだった。

「……私に何かよう?」

 遥はその体勢のままで、静かに短く俺に問う。

「……遥に伝えなきゃならないことがあってさ……」

 俺は、話の切り出し方くらいは整理しておくべきだったと後悔しつつ、遥の反応を見る。

「伝えなきゃならないこと? 今じゃなきゃダメなの? 私、出来れば……今は1人になりたい気分なんだけど……」

 抑えきれない感情が遥の声を震わせている。相変わらず遥は俺に顔を向けることなく、横を向いたままだ。

「……分かるよ、遥の気持ちは俺にも痛いほど分かる。……だからこそ、すぐに伝えるべきだと思って来たんだ。……辛いだろうけど、俺の話を聞いてくれ。そうすれば、すぐにその苦しみから解放されるはずだから」

 俺は出来うる限りの穏やかな微笑みを意識して、遥に優しく声を掛けた。

 横を向いていた遥の顔が俺に向けられる。

 充血し腫れた目、涙に満たされ潤んだ瞳……。

「……すぐに苦しみから解放される?」

 遥は眉間に皺を寄せ、鋭角な刃物さながらに目つきを変化させる。

「いやいや、言い方が悪かった、すまない。誤解しないでくれ。遥の抱えている苦しみが、大した事じゃないだとか、そういう意味合いで言ったわけじゃないんだ。俺の話を聞いてくれれば、今、抱いている感情自体が、馬鹿馬鹿しく感じられるはずだってことなんだよ」

 適切とは言い難い言葉を選択した自覚が、さらに悪い言葉選びを誘発させる……。

「……馬鹿馬鹿しい?」

 遥のヒンヤリと冷たい視線が、首元に当てがわれたように感じる。

「いやいや! 違うって遥、落ち着いてくれ! そんな目で俺を見ないでくれ! だからあいつらは、殺したって死ぬような奴らじゃなかったってことなんだよ!」

「なんで亡くなった友人をそんなふうに言うの? 雄彦ってそんな薄情な人間だったの? もういい! 出て行って! 出て行ってよ!」

 堰を切ったように遥の瞳から涙が溢れ出す。

 遥は泣きじゃくりながら俺の胸に両手をつきだし、家の外に追いやろうと力を込める。

 だがその力は儚いくらいに弱々しかった。まるで極寒の地で、凍えきってしまった手足にどうにかこうにか力を込めている、そんな感じだった。

 数度の試みが失敗し、俺を押し出すことができないとわかると、遥は崩れるようにその場にへたりこんだ。大きく肩を震わせ、嗚咽しながら床に涙を溜めていく……。

 俺は、何度も遥の意識をこちらに向けようと声をかけたが、遥が俺に反応することはなかった。

「もう無理だ! 怒りすら俺に向けられないくらいになっちまった! お前ら、いい加減覚悟を決めて出てこいよ!」

 俺は、へたりこんだ遥の頭に視線を向けたまま、後ろに隠れて傍観を続けている2人に声をかけた。

「……一宮……修平だ。……理由はわからないが、俺はこっちの世界に命を繋ぎ止めることができたらしい。すぐに伝えられず申し訳ない」

 ようやく修平が玄関口まで歩を進め、遥に向けて頭を下げるが、へたりこんだままの遥にはもちろんその行為は伝わっていない。

「一宮……さん。塔矢だ……分かるかな? 俺も理解が追いついていないんだが……どうやらこちらの世界で命を授かることができたようなんだ。……俺らのために涙を流してくれているところ申し訳ない」

 塔矢も修平と並んで頭を下げる。

 嗚咽しながらへたり込む女が1人、その女を囲うように頭を垂れる男が2人、その脇で立ち尽くす男が1人……。

 見るに耐えない重苦しい状況がしばらく続いた。

 だが、遥の嗚咽が収束に向かい、涙を拭ったそのタイミングで、状況は急激に変化していった。

 視線の先に映る2人の男のものとみられる足。遥は涙を拭う手を止めて、放棄していた思考をめぐらせる。

 そして、徐に視線を上方へと移行させていく……。

 目に映る2人の男の顔は、バツが悪そうに歪んでいたが、今一番拝みたかった顔だった。

「修平くん! 塔矢くん!」

 遥は叫ぶと同時に立ち上がると、2人に思い切り抱きついた。それは修平と塔矢が咽ぶほどの強い力だった。もう2人を失いたくないという遥の強い思いが、一時的ではあるが大きな力を生んだのだろう。

 その証拠に、今でも体の震えは治まってはいない。

 枯れるほど流されたはずの涙が、再び彼女の瞳を潤すと、次々と頬を伝いこぼれ落ちていった。先ほどまで凍えたように強張っていた四肢が、温かな涙によって少しずつ解されているようだ。




 遥は上機嫌だった。

 亡くなったと思っていた仲間が、生きて目の前にいるのだから当然だ。

 それと、両手に花ではないが、それなりに見てくれの良い男2人と腕を組み、大勢の人や物で溢れた賑やかな街並みを歩いている現状が、そうさせているのだろう。

 俺はそんな光景を数歩後ろから眺めていた。機嫌が回復した遥の様子に安堵しつつも、少し近づき難い空気を感じたためにそうしている。

 それは、遥が修平や塔矢と再会したあたりから俺と視線を合わそうとしないからだ。ただ単に、今は意識が2人に向いているだけなのかもしれないが、下手に声をかけるのは避けた方が良い気がしている。

 地雷原かもしれない場所に、わざわざ足を踏み入れるような愚かなことはするべきではない。……あんなトラウマ級の視線をまた浴びようものなら、心が砕けてしまう。

「今日、2人にはとことん付き合ってもらうからね! 覚悟しなさい!」

 遥は、組んでいた両腕を一旦離すと、小走りで数歩前に出て振り返り、修平と塔矢に指を突きつけ、嬉しそうに命令口調でそう告げた。

 その際、一瞬俺と視線が交わったと思えたのだが、想像と違い鋭い目というよりは、少し恥ずかしげな目を向けられたように感じた。

 その後、さまざまな場所を散策し、ウインドウショッピングなどを堪能した。そろそろ家路に着こうと方向転換をしたところで、何やら人集りができていることに気がついた。

 その中心あたりから、怒鳴り合う声が聞こえる。

「テメーがしっかり持ってねぇーのが悪いんだろーがっ!」

 髪をオールバックにしたガタイの良い男が、自分よりだいぶ小柄な男に向かって声を荒げている。

「ぶつかってきたのはあんただろう! あんたのせいで画面が割れたんだ! 弁償しろよ!」

 大柄の男よりも若く見えるその男は、怯むことなく言い返している。

 若いというよりも幼さがまだ残っていそうだ。発展途上のまだ14、5歳と言ったところだろうか……。

 話を聞いていると、どうやらスマホを見ながら歩いていた少年の腕が、大柄の男の体に当たり、その衝撃でスマホを落としてしまったらしい。

 経緯を知らなければ、大柄の男が少年にいちゃもんをつけている構図に見えてしまうが、実際のところ大柄の男に非はなく、少年の行動の方にこそ原因があったようだ。にも関わらず、決して強そうにも見えないその色白で細身の少年は、大柄の男に噛み付いた。

 ……度胸があるというか、身の程を知らないというか。まあ、すぐにその考えは矯正されることになるだろう。少しくらい痛い目を見たほうが、その少年にとっても勉強になるはずだ。

 俺は目の前の事象をそう処理し、特に関わらないことに決めた。

 言い争いをしている2人を中心にできていた人集りが、今ではぽっかりと開いている……。人は想定外の事柄に対しては強い興味を示すものの、それが想定内のものへと移り変わると、途端に興味を失ってしまうらしい。経緯を知ったほとんどの野次馬が、興味を失ったと同時に揉めごとに巻き込まれないようにその空間を開けたのだ。

 俺達は、あえてその言い争いをしている2人のすぐ脇をすり抜ける。そうすることで、ガタイの良い男に公共の場であることを強く意識させられるのではないかと考えたためだ。身の程知らずの少年に対する対応が、幾分か和らぐことを願う。

「……待て、雄彦」

 そう俺に声を掛けたのは修平だった。振り返ると、修平が立ち止まり少年を凝視している。

「……弁償しないってことでいいんだね? それじゃあ、しょうがないけど、罰を与えなくちゃいけないね」

 少年は歪な笑みを浮かべていた。まるで、この展開を望んでいたかのように嬉しげに。そしてモゴモゴと口元を動かし、なにやら独り言を呟いている。

 その呟きは聞き慣れた言葉の羅列ではなかった。

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