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夢世  作者: 花 圭介
109/120

夢世109

 冬の再到来を思わせるほどに、辺り一面、白色が覆う世界が展開している……。

 あれほどまでにまぶしく活気溢れた世界が、過疎化が進んだ田舎町のように静かだ。鮮やかだった花であってもいつしか色褪せ枯れていくもの……。皆、誰に言われるまでもなく理解しつつ、それでもなお夢を見る。

 アナザーワールドは、そんなありえない夢を見る人々の理想郷と呼ぶにふさわしかった。現世のしがらみから解かれ、新たな自分を創造し、新世界を満喫する。毎日のように妄想はするが、決して叶えられない夢……。

 そんな夢想の蕾が、あろうことか大輪の花を咲かせることとなった。

 摩訶不思議な超常現象の上に成り立っていることを知りながら、皆、その大輪に群がった。

 蜜の味はこの上なく甘く芳醇だった。貪るように食らいつき、足場の腐食に気づかない。そして周知の結末が訪れた。……ただそれだけのことだった。

 塔矢と修平が見つめる中、俺たちはいつものようにアナザーワールドから出るため、緑色の球体に手の平を乗せている……。

 『シヴァ』と応戦していた者達も戦いから解放され、今ではその輪の中にいる。その状態で軽く目を閉じ数秒も待てば、自宅のベッドの上で見慣れた天井を見上げることとなるだろう……。

 だが俺たちはなかなか目を閉じる気になれず、塔矢と修平、そしてアナザーワールドの景色を順繰りと眺めている。

「ハハハッ、何やってんだよ! お前ら。それじゃ、いつまでたっても現世に戻れないぞ!」

 塔矢が堪えきれずに笑いながら指摘する。

「……ここからお前らを見送る身にもなってくれ。雁首揃えて球体に手を添えて、目をぱちくりさせているお前らの姿……滑稽すぎるぞ」

 修平も見るに耐えないといった表情で呆れている。

「いいじゃないですかっ! 私たちの好きにさせてくださいよ!」

 美希が泣きじゃくりながら抗議する。

「僕は……もっともっと、塔矢お兄ちゃんに頭を撫でてもらいたかった!」

 周りに合わせてじっと我慢していた洋輝も、ここぞとばかりに叫んだ。

「修平くんと塔矢くんは、見送る側だから落ち着いていられるのよ! 送られる私たちは、これから先、死ぬまでずっとあなたたちのことを抱えて生きていかなきゃいけないの! ……男達って、どうしてこういう時、達観した感じになれるのかしら? ほんと腹が立つ!」

 遥が憤りを隠さず、潤んだ瞳で2人を睨む。

 塔矢と修平は、遥の鋭い視線から逃れるために明後日の方角を向きつつも、時折、遥の機嫌を窺うために覗き見る。

 遥はそんな2人を睨み続けたが、俺には、ただ悲しみをまぎらわせているようにしか見えなかった。

 普段ならばきっと、遥も、自分が2人に対してどんなに理不尽で無茶苦茶なことを言っているのか理解できるはずなのだが……。今は怒ることでしか、自分の心を保つ術がわからなくなっているのだろう。

「その辺にしとけよ、遥。……こんな形で別れたくねーだろ」

 そこへ竜馬が、結んだ手を解き割って入る。

 もちろん竜馬にも、遥がいつもの状態にないことがわかっているのだろう。嗜める言葉とは裏腹に、その目は憐憫の情で満ちていた。

「……ごめんなさい」

 遥は、竜馬に視線を遮られたことでようやく我に返り、蚊の鳴くような声で塔矢と修平に謝罪した。

「いいんだ、気にしないでくれ。俺たちのことを思ってくれていることは、充分伝わっている。ありがたく思っているよ」

 塔矢はいちど修平と目を合わせると、遥に向き直り感謝の言葉を述べた。

 遥の目からは留まりきれなくなった涙がこぼれ落ちた……。




「……みんな時間がない、目をつぶってくれ。現世に戻ろう」

 俺は、こんなときだからこそリーダーとしての責務を全うするべきだと自身に言い聞かせ、皆に現世に向かうよう催促した。

 辛い気持ちを振り払うようにして、順に2人から視線を外し、瞼を閉じていく……。

 全員が目を閉じたことを確認すると、俺は2人を振り返ることはせず、皆と同様に目を閉じた。

 視界の大部分を埋めていた白色が、徐々に上下から黒色に押し潰され、最後はプツンと小さな火花を散らせて消えていった……。

 寸時の暗闇を経由して、再び目を開いた先に見えたものは、平常通り自分の家の天井だった。

 あそこまで様相が変化してしまったアナザーワールドでは、ともすると正しく現世に戻ることはできないのではないかと危ぶんでいたため、俺は軽く胸を撫で下ろした。

 だが同時に、見慣れたはずの天井が、初めて訪れた旅先の天井さながら、無愛想でよそよそしく感じられもした。

 ひょっとすると、アナザーワールドの彩りを剥ぎ取っていった膨大なエネルギーは、現世に於いてもその力を有し、侵入してきたのではないか、などと途方もない考えまでもが頭をよぎった。

 馬鹿げた考えだと自分の妄想に呆れたが、気がつくと俺は、ベットからそろりそろりと這い出し、自身の部屋に不自然なところがないか熱心に調べていた……。

 ひと通り部屋を調べ終わり、何も変質していないことが知れると、ここでようやく現世に戻れた実感を得て、一息つくことができた。

「ハハハ……何をやっているんだ俺は……」

 まるで妄想癖のある中学生のようで、自身の行動に苦笑した。

 安心したと同時に緊張の糸がほぐれ、体を放り出すようにして椅子に腰掛けた。背もたれがいつも以上に苦しげな悲鳴をあげた。それでも構わず、俺は背もたれをゆらゆらと揺らし続けた……。

 ギーギーと悲しげな音が響く中、俺は思っていた。アナザーワールドが終焉を迎えた今だからこそ、冷静にあの世界が異常だと振り返ることができている。夢の中で人々が交流出来る世界……。個々の人間が見る夢がつながり、さらにそこに世界が生まれる……。甚だ非現実的で、異常としか言いようがない。

 心の準備もできないままにあの世界に取り込まれ、順応することにばかりに気をとられてしまったために、信じがたい出来事が展開されている事実を受け入れることしかできなかった。

 次々と巻き起こる事象を消化することに時間を費やした結果、いつの間にか、心までもがアナザーワールドに取り込まれてしまっていたようだ……。

 ようやくその洗脳から解放された今ならば言える。あの世界の存在自体が“論外”だったと。

 あの世界を作り上げた柊でさえも、あの事象が発生した要因にまでは、手が届かなかったのではなかろうか……。柊は、あの事象の第一発見者であり、最も精通した人物ではあるだろうが、あの事象を生み出したわけではない。柊は生まれた土地をただ、開拓したに過ぎない。

 あの事象の難解さは、地球誕生を紐解くことと、そう変わりないのかもしれない……。

 まずもって、あの事象がどの分野に属するのかすら選定できない現状、いずれの分野の有識者に尋ねたところで、解明する事は到底無理な話だ。きっと、解明はおろかその糸口さえ見つけることは困難であるはずだ。なぜならば“あり得ないこと”を論ずる事は不可能なのだから。

 ……だが実際には、それは現実に起こってしまった。俺はそれを体験してしまった。このことから導き出した俺の中の答えが先程の奇行に繋がっている。アナザーワールドがこの現実世界を侵食してはいないかという不安からおこなった部屋の点検に……。

 導き出された俺の応え、辿り着いてしまった俺の応え、それは、“もう何が起こってもおかしくない”という答えだ。今まで学んできた常識が通用しない。今まで培ってきた経験が役に立たない。この事象に対しては生まれたての赤子となんら変わりがない。固定概念を払いのけ0から学び直すしかない。

 きっと今まで保たれていた世界の秩序が狂い始めたのだ。それには何かきっかけがあったのかも知れないし、気付かなかっただけで着々と進行していたのかも知れない。ただ目に見えて現れたのが、アナザーワールドだったというだけなのかも知れない。

「……あんなわけのわからないことが、また起こり得るのか?」

 俺はわざと言葉に出して自問自答してみた。高電圧の電流が駆け巡ったかのように全身が震え、体が強張る。

 人として生まれてたかだか数十年だが、体験してきた事象にはそれぞれ理由があり、経緯があり、学んだ知識で裏付けられる秩序があった。

 そう考えるとあの事象は、本来なら相容れない偶発的に起こった異世界の事象だったのかもしれない。

「……きっとそうだ。そうに違いない」

 俺はここで考えをめぐらせることをやめ、自分に言い聞かせるように何度も同じ言葉を繰り返し発した。


 ピンポーン!


 そこへ玄関の呼び鈴が軽やかに鳴る。

 両親はすでに出かけた後のようで、その呼び鈴に反応するものは誰もいない。俺が対応するしかない。だが今回に限り、煩わしいという気持ちは全くなかった。

 聞き慣れた呼び鈴の音色が、曖昧になった自分の意識を現実世界に引き戻してくれているように思え、俺は少しの安堵感を得ながら玄関へと向かった。

 踏み慣れた階段、いつものきしむ床板。そのどれもが、俺を秩序あるいつもの日常に引き戻してくれる。

「はい。今、開けまーす!」

 俺は笑顔を作り、鍵を開け、扉をゆっくりと押し開ける。

「……」

 そこに立っていたのは、郵便配達員でもなければ、宗教の勧誘でもない。平静を取り戻しつつあった俺の心を再び泡立たせる招かざる客だった。

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