夢世102
今あるこの光景を、どう表現すれば良いだろう……。
鮮やかなフルーツがふんだんに入った何層にもなるホールケーキ。もちろんてっぺんには、王冠を飾る宝石のようにイチゴが整然と並び、赤く燃えている。
そんな幻想的で雅な洋城を彷彿とさせるデザートが、好奇心旺盛な幼な子の前に差し出されたとしたら……。きっと、眼下に展開している無惨な景色も想像できるはずだ。
柔らかな曲線で描かれたクリームの装飾は飛び散り、絶妙な食感を生み出すスポンジは掻きむしられ、原形などとどめていない……。
今、そんな混沌とした大地を這い回るようにして、慌てふためきながら人々が入り乱れている。
皆、どうしたら良いのかわからないのと同時に、この夢が崩れ、無くなりつつあることを、察知しているらしかった。
「あっ! あそこ! 皆さん、見てください!」
人々の慌てぶりを傍観しながら、ゆっくりと下降していくなかで、亜花梨が、不意に視界に入り込んだ陰影に気付いた。視線を飛ばし目を細めると、斜め上方を指差す。
そこには仰向けに寝そべる格好で、ゆらりゆらりと降りてくる修平の姿があった。
「修平さん!」
美希は思わず叫んでいた。
そして無我夢中で空を掻き、足をバタつかせ修平の元へ泳いでいこうとする。美希自身、空中を泳げるとは思ってはいなかっただろうが、考えるよりも早く、心が勝手に反応し、そうせずにはいられなかったのだ。
結果、その行動は実を結び、徐々にだが美希の体を修平の元へと近づけていった……。
塔矢達は、美希の思いがけない行動に唖然としたが、その効果を知ると、美希に習って同様に泳ぎ出した。
「ギギギッツ、ギギ」
美希が修平の側まで来ると、錆びた金属が擦れるような不快な音に迎えられた。
修平の体に巻き付き、今も主人を守ろうと警戒を解かない銀色の百足が威嚇している。
その体は、以前目にした時よりもひどく小さく見える……。
それもそのはず、バベルの塔攻略時に目にした、貨物列車さながらに数える事が億劫になるほど連なっていた彼の節が、半数程度しか確認できない。
美希は、そこでようやく、修平が『シヴァ』と名乗る異形の者の攻撃を受けていたことを思い出した。きっと彼は、主人を庇い盾となったのだろう。
彼等を天高く舞い上げるほどの強力な攻撃。それは彼の鋼鉄の体を分断するほど、激しい攻撃だったに違いない。
今では彼の体の節を上から順に追っても、思いの外早く、唐突に、その連結は途切れ、最後尾へと辿り着いてしまう……。
「大丈夫、貴方の御主人様に危害を加えたりしないよ」
美希は、傷ついてもなお主人を守るため、自分との間に身を置く忠実な彼の姿に感動し、両掌を胸にあてがう。
「ギギ……」
それでも彼は、美希を凝視したまま警戒を解かない。心を通わせるまでの長い時間を共有したとは言い難いが、それなりの時間を共に過ごしたと思っていた美希にとっては、少々傷付く反応だった。
「うっ……ううっ……」
そんな膠着状態を破り、修平が意識を取り戻した。
同時に、百足は自身の仕事を終えたためか、次第にその姿を透過していき、数秒後には完全にその姿を消した。
目を開いた先には、青い空が広がっていた。
風が背中を支えつつ、順に上方へ吹き抜けていく……。
「……何が起こったんだ?」
修平は上体を起こすと、未だ判然としない意識を明瞭にしようと頭を振る。
それでも目に映る景色は、青ばかりで手がかりがまるで掴めない。
「修平さん、大丈夫ですか? ……私のこと、分かりますか?」
そこに聞き慣れた声が届く。
「ん? 羽柴か……。大丈夫だ、特に問題は無い。それより……これは一体どうなっているんだ?」
声に反応し振り向くと、美希の不安気な顔が近くにあった。
修平にとってはバベルの塔最上階の1室での記憶が、もっとも身近な記憶だ。空中を漂っている今の状況と、どうやっても結びつかない。
「えっと……」
美希はどのように説明すべきか思案したが、要領良く教えられる自信が持てなかったため、現状に至った経緯を順に説明していく。
異形の者の矛先が、修平から自分に変わったこと。襲われる直前に、神々しい光を纏う青年が現れ、助けてくれたこと。青年が異形の者の相手をしている間にバベルの塔を脱出したこと……。
美希は説明をしているうちに、そのときの危機的状況が思い出され目を潤ませたが、どうにか最後まで話し終えた。
「そうか……。それで、この状況というわけか……」
修平は空中で胡座をかくと、合点がいったと、2度3度と頷く。
「……その救世主を、俺も拝みたかったな」
修平は、歪な形へ変貌を遂げながらも、辛うじて空へ切り立っているバベルの塔を見上げた。
「良かった。どうやら大丈夫そうだな」
遅れて集まってきた塔矢達から、一様に安堵の声が漏れる。
「心配をかけたようで悪かったな。見ての通り、体に特に不具合はない……」
修平は手足を動かし、体に問題がないことをアピールする。
そして、自身の四肢へと向けていた視線を、仲間の表情へと順に巡らせる。
「……」
美希や亜花梨の表情は、緊張から解放された、そんな表情に見えた。だが、塔矢や聡の表情には、未だ緊張感が漂っている……。
「……そうだったな。何にしても俺達は、柊一秋の悪夢を破壊したんだ。この夢が消えるということは、夢にしか居場所のない俺達もいずれ……」
修平はそこでようやく、自分の置かれている立場に気付かされる。
「……」
修平の言葉により、美希や亜花梨の表情も曇る。亜花梨が黙って俯く中、美希はどうにか言葉を発しようと、口を開いたり閉じたり繰り返している。
「すまない。気に掛かるような発言をしてしまった。特に嘆いているわけじゃないんだ」
修平が慌てて弁明する。
「俺達は目的を遂げた。今はただ、終局を迎えるための心を整えているだけだ。緊張はするが、俺達に心残りはない」
聡が助け舟を出す。
「見てくれ、空から色が抜け始めた」
塔矢が上空を指さした。
一面青色で満ちていた空の端から、次第にその青みが失われ、白く変わっていく……。
「そうか、世界の終わりは白か……」
聡が考え深げに呟く。
「俺は黒色かと思っていたよ。……嬉しい誤算だ」
塔矢が穏やかに笑う。
「そうだな……。黒く塗り潰されるより、白く解かれていく方が有難いな」
修平も空を見上げながら同意する。
皆、しばらくの間全ての感情を遠ざけて、空の色が抜けていく様を眺め続けた。
空が枯れて、塔だけが不自然な色を残すだけとなった頃、地上から届く声が、自分達に向けられていることに気が付いた。
「あれは……」
亜花梨を除く皆の顔が、ばつが悪そうに引き攣る。
「やってくれたな! お前らっ!」
口火を切ったのは、竜馬だった。
全ての思いを集約した言葉がそこにあった。
言いたいことは山ほどあったが、それがあまりにも多すぎて、喉の奥でつかえて言葉にならなかった。竜馬の言葉は、まとめきれないそんな俺達の想いを、ひと言で率直に代弁してくれていた。
そこには、怒りや悲しみを通り越し、結びついた確かな絆が感じられた。