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夢世  作者: 花 圭介
101/119

夢世101

 私は幼い頃もっと勝気な女の子だった……。

 好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、とはっきり自己主張できるような、そんな子だった。

 休み時間になれば、我先にと教室を飛び出し、校庭で男の子に混じって、ドッジボールを楽しんだりしていた。

 でもある時、クラスで人気の男の子から告白されたことによって、状況が一変する……。

 翌日、教室に来てみると、女の子は皆、私と目を合わそうとせず、何を話しかけても答えてはくれなくなっていた。親しかった子さえ、申し訳なさげに目を伏せる。なんのことはない、その輪の中心には、私に告白をした男の子に、好意を寄せていた女王の姿があった。

 その頃は、私もそんな性格だったから『私は何も悪くない。悪いのは皆の方だ』と、強気の姿勢をとることに決めた。

 しかし、日が経つにつれて、状況は悪化する……。はじめは女王の命令に仕方なく従っていた子たちも、次第に自らの意思で私をのけ者にし始めた。このときはじめて私は、『悪意』は伝染していくことを知った……。それから先はあっという間だった。無視だけではなく、陰湿な嫌がらせが積み重なっていった。ノートや教科書への落書き、物の紛失、座席の上の画鋲……。

 日に日に私の心は削られ、弱って、萎んでいった。

 そんな私の心に決定的なダメージを負わせたのは、私自身だった。

 いじめが始まってから半月ほど経った頃、いつものように、皆に気づかれないように教室の後ろの扉から、できる限り音を立てず、忍び込むように入り、座席につくと、辺りから忍び笑いが漏れているのに気がついた。

 今日の侵入は、失敗だった……。

 見つかってしまったスパイは、拷問を受けるしかない。授業が始まるまでの我慢だと思い、じっと机を見つめていた。

 すると「あれ、消した方がいいんじゃね」と、男の子から肘のあたりを小突かれた。恐る恐る顔を上げると、黒板の中央に私の名前が……。そして、それを取り囲むように様々な悪口が書かれていた。でも、何よりも目立っていたのが、赤、青、黄色と、鮮やかに重ねられた『死ね』という太い文字だった。私はそこに、その鮮やかさとは裏腹に、どす黒い、深い憎しみの渦を見たようだった……。

 私は震える足を両手で支え、なんとか立ち上がると、ぼやける視界もそのままに、ヨロヨロと黒板へと歩きだした。

 足枷を引きずっているのかと錯覚するくらい足が重く、黒板までの距離が遠く感じられた。

 やっとの思いで黒板まであと半分の距離まで来たとき、急に私の進路を遮るようにして誰かが割り込んできた。

 それは私に告白してきた男の子だった……。

 男の子は、決して強い子ではなかった。女王の方が何倍も、何十倍も強かった。けれどその子は、私の前をずんずんと歩き、黒板までたどり着くと、一生懸命落書きを消してくれた。

 あり得ないものを見た。それはまさに、神に刃を向けるのと変わりない行為だった。

 私には心強い王子様がついている。そう思えたとき、悲しみの涙を喜びの涙が押し流した。

 ……けれどそこで、次に待っていたのは、その男の子への容赦のない攻撃だった。

 最初に飛んできたのは、丸めたノートの切れ端、次に消しゴム……その後は縄跳びの紐だったり、尖った鉛筆まで飛んできた。

 男の子は、それでも構わず落書きを消し続けてくれていた。

 嬉しかった……でも、耐えられない。

 目の前で、私の王子様が傷つけられていく……。

 どうにかしなければと、私は必死になって考えた。

「やめてよ! あんたのせいでこうなったんでしょ! もう私に関わらないで!」

 出した答えがこれだった。

 王子様は、私に驚きの眼差しを向けた後、絶望をたたえた顔で自分の席に戻っていった……。

 こうして心を閉ざした私が出来上がった。

 中学以降は決して目立たず、皆の顔色を伺い、協調することを覚え、いじめられる事はなくなった。




 バチバチバチッツバババババッ!


 突然、蘇った過去の記憶を遮って、稲妻が私の前をかけていった。

 それと同時に、今まさに私を喰らおうと開かれていた、異形の者の大きな口が遠ざかる……。

「クソッ! 何だってんだ!」

 異形の者が苛立たしげに舌打ちをする。

「……いやいや、流石の僕も驚いたよ。君とまた会えると思わなかったからね。姿は……いや、中身もだいぶ変わったけど、中核にいるのは須藤君、きみだよね?」

 そこに立っていたのは、全身を神々しく輝かせた、見覚えのある青年だった。

 目鼻立ちの整った賢そうなその青年は、心の奥底にしまい込んだ王子様に、経過した月日を注ぎ込んだ、そんな姿に思えた。

 当時の淡い気持ちが蘇り、心の中に桃色の風を巻き起こす。

 周囲の景色からは色が薄れて、青年の容姿だけが鮮やかに浮かび上がる……。

 瞳を満たすものは、もはやその青年のほかになく、この世にあるのは、自分とその青年だけだとさえ感じた。

 ……だが、青年の輪郭をなぞれるほどに鮮明になっていく視界は、記憶との差異さえも的確に導き出し、伝達する。

 そして、その正確な情報は、目の前の青年が、遠い日の王子様であることを否定していた。

 そこには確かに、恋心を寄せてくれた少年を思わせる、均整のとれた顔立ちの青年が立っていた。だがどこにも、当時の面影と重なる部分は、見当たらなかった。

 西洋人的な少し茶色がかった瞳であったり、シャープな顎のラインであったり、少し頼りない細長い手足も、その青年は有していなかった。

 きっと蘇ったつらく切ない思い出と、今ある心情とが絡み合ったところに、たまたま願望が覆い被さり、有りもしない幻影を創り出した。それだけのことだったのだろう……。

 美希の心は、瞬きをするたびに現実へと引き戻され、人智を超えた者達が、飛ばし合う言葉を把握するために動き始める。

「須藤? 知らねぇーな。俺はそんな平凡な名前じゃねぇーよ。俺様は神。破壊と創造の神『シヴァ』だ! ……てめーなんかに興味はねーが……その面は気に食わねー、嫌な面だな!」

 異形の者は顔を顰めると、唾を地面に吐き捨てた。

「だいぶ素直な気持ちを吐き出せるようになったじゃないか、須藤君。以前の君は、僕に対して本当の気持ちをぶつける事はなかったのに……」

「うるせー! うるせぇー! 何、上から目線でものを言ってやがるんだ! 今は、俺様の方がてめーの先を行ってるんだ!」

「なるほど『今は』か、するとあの頃は、僕の方が神に近い存在だと認めてくれるんだね。それで当時は、僕に強くは出れなかったと、そういうことかい?」

「……この野郎! ベラベラと御託を並べやがって……。俺様はもう、人間を超越した存在、神なんだ! お前ら雑魚とは違うんだ!」

「ハハハ、もう神になったつもりでいるのかい? そんな脆弱な神は、いやしないさ」

「てめー! いい加減にしとけよ!」

 異形の者は矛先を青年に変えると、狂った様に手足をばたつかせながら猛進していく……。だが、その動きは珍妙で、寄せ集めのパーツで組み上げたロボットを連想するほど、連携が取れていない。

 きっと乱された精神が、各パーツの円滑な連携を妨げているのだろうと、その場にいる誰もが感じられた。

 明らかに、修平との距離を詰めた、あのときの速さは感じられない……。

『今のうちに、早くこの世界から抜け出すんだ。 彼はまだ、手に入れた能力を使いきれていない。 僕が彼の相手をしている間に……』

 脳内に直接響き渡る声がする。

 優しく語りかけるその声を、以前どこかで聞いた気がする……。

『ほら早く! 僕であってもそうそう彼を抑え続けることはできない。君らに何かあれば、きっと雄彦が悲しむ。それは避けたいんだ!』

 その声が、光を纏う青年から届けられているだろうことは、直感的に誰もが理解していた。

 怒りに我を忘れて、只ひたすらに追いかけ回す異形の者の追跡をかわしながらも、その意識は皆を包み、守ってくれている。

「……あっ、あの観覧車の時の」

 美希の頭の中で、語りかける声の主と、記憶の中の人物とが結びついた。

 彼は確か雄彦さんが、兄と慕う大切な存在……。

『分かりました』

 美希は、頭の中で了解した旨を告げる。

 自分の心の声が、届いているかどうかは関係ない。信頼している雄彦さんが慕う彼に対して、自分なりの敬意をはらいたい、とそう思ったから。

 仲間達と順に視線を合わせると、美希はその都度ゆっくりと頷き、声の主の指示を受容れるよう促した。

 仲間達は、いつもと違う美希の強い意思表示に、今選ぶべき選択が、この場からの離脱であることを理解した。

 各々が、異形の者の意識が向かないように、部屋の中心地から少しずつ後退する。そして、今や廃墟同然となった一室から、手頃な抜け穴を見付けると、呼吸が揃ったタイミングで一斉に反転し、飛び出した。

「うわっ!」

 飛び出したと同時に、誰かが思わず発した驚きの声が、聞こえたような気がする。

 そしてそれはきっと、空耳ではなかったのだろう……。

 なぜなら部屋の外は、比べものにならないほど崩壊が進んでおり、踏み出した先のほとんどが、崩れさっていたからだ。塔はもはや、枝葉のない枯れ木のようになっていた。

 当てが外れた皆のつま先は、虚しく空を切り、体は空を舞った。

 勢いよく飛び出した美希達は、しばらくの間、重心を安定させることができず、クルクルと綿毛さながら回り続けた……。

 そんな中でも、状況を把握しようと、必死に周囲に注意を向ける。

 目に映る色は、空色が大半を占めている。

 眼下に広がる景色は、ひっくり返したオモチャ箱さながらで、バベルの塔の各層が、その形式すら保てず、ごちゃ混ぜとなって積まれているように見える。

 把握できるものは、それぐらいが限界だった。

 下から間断なく突き上げる風と、時折たたきつけるように吹く横風に翻弄され、重心を安定させられず視界が確保できないのだ。

 色々と姿勢を工夫してみるのだが、バランスが取れたと思った矢先に横風が吹くため、一向に体勢が安定しない……。

 地に触れるまで回り続けるのかと心が折れ、諦めかけたそのとき、不意に風が凪いだ。

 瞬間、無重力空間に転送されたような感覚を得て、驚いた体が強張る。

 そこへ、温かな大気が周囲を満たし、全身を包む……。

 刻々と変わる感覚に戸惑いながらも、直感的に状況は好転している、と皆感じていた。

 落下速度は緩やかとなり、シャボン玉がそよ風に運ばれるように、ゆっくりと降りていく……。

 重心が安定し、視界も保たれたことで、心も平静を取り戻す。

 そんな中、次第に近づいてくる地に目を向けると、そこには、現状を把握できずに、只々右往左往する人々の姿があった……。

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