夢世1
最近なぜか同じ夢を見る。
巨大な複合施設の中を目的も無く彷徨い歩いている夢だ。特に苦痛に感じることはないのだが、今まで見てきた夢とは何かが違う。まるで他人の夢に迷い込んでしまったかのような違和感があるのだ。
施設内には店らしきものが並んでいる。が、その殆どが空き店舗だ。 行き交う人もまばらで、自分と同じく目的も無く彷徨っているように見える。ここまで定まっていない夢は初めてだ。それにもかかわらず、色や形は細部までくっきりと見える。 現実と比べても遜色ないくらいだ。
ただ訝しいのはこれ程のクォリティでありながら物語の方はてんで進まないことだ。夢では大抵の場合、自分がことを起こさずとも勝手に物語が進展していくものだが、この夢は一向にそのそぶりがない。
朝目覚めるまでひたすら歩き続け、何もないまま終わるのだ。こんな夢を何度も見させられると、流石に何かアクションを起こすべきかと考えるようになる。
スイッチだけが用意された部屋に監禁されれば、誰しも最後は押してしまうのと同じだ。
今日はそれを故意に実行してみようと思う。
この夢の場合、スイッチは幾つもありそうだが、今日はすれ違う人に声をかけてみることにする。
誰にするかはまあ適当だ。どうせなら可愛い子に話かけよう。
近くの空き店舗を背にし、じっとめぼしい人を探す。 通行人に規則性は無く、老若男女がランダムに通り過ぎて行く。
暫くすると、流れに身を任せる人々の中に、青髪の少女を見つけた。 外見とは裏腹に伏し目がちにおどおどと歩くその姿に、なぜか好感を覚えた。
『よし! この子にしよう』心の照準は定まった。
彼女が通り過ぎるのを待ってから彼女の歩調よりも少し早めに足をさばき、追い抜き様に声を掛けた。
「ちょっといいかな?」
「!」
青髪の少女は予想以上の驚きを顔いっぱいに表し、その場で立ち止まってしまった。
本来ならば足早に立ち去ろうとする彼女の半歩後ろから、たわいもない話を投げかけ、無視出来なくなったタイミングで拝めば、ため息混じりで話に応じてくれるといった流れだったのだが……。
「ごめんね。驚かせちゃった?」
「……」
何とも言いようのない重たい空気がその場を支配した。
「えっと、最近ここの夢ばかり見ててさ、一向に進展しないからちょっとアクションをと……」
自分の夢の中なのに何を変な言い訳をしているのだろうと思いながらも言わずにはいられなかった。
ハハハと乾いた笑い声を残しながらフェードアウトしようとすると
「ちょっと待って下さい! 私も最近ずっとこの夢を見るんです! 」
青髪の少女からその身の丈に合わないくらい大きな声が放たれた。
「!」
俺は状況を飲み込めず言葉に詰まってしまった。
この夢は俺の夢だ。
俺が目を閉じてから始まり、目を開けるまで終わらない。もう何日もそれを繰り返してきた。今更疑う余地はない。
だがこの少女やこの展開も自分で作り上げたものなのか?
普通の夢でも驚かされる事はある。 けれどここまで自分の考えと食い違うことがあるだろうか? 夢というものは体験だったりその時々の心境だったりが影響し、反映されるもののはず……。
しかしこの夢は一定の環境を保ち、心境や体験の影響を受け変化したりもしていない。この複合施設に至っては現実世界でこんな施設を体験出来るわけがない。
運動場のトラックのように円形に囲われた施設内に、様々な店が立ち並び、それがミルフィーユの如く幾重にも積み重ねられているのだが、階段やエレベーターがなく、上下階へ移動する手段がない。
さらに言えば、各階を連結すべき支柱もないため、それぞれの階がふわふわと宙に浮いている状態だ。
また営業しているであろう幾つかの店の中には、人一人が入れる程度のBOXが置かれているだけで他には何もない。
各店の看板には「シューズ」「アクセサリー」「衣類」といった普通の店もあるが、「能力」「記憶」「変身」など、どのような店か計り知れない店もある。夢の中なのだからいくらでも不可思議な事は起こせるのは分かるが、あまりにも自分の想像力から逸脱している。
「あの……大丈夫ですか?」
沈黙したままの俺を気遣い、青髪の少女が心配そうに顔を覗き込む。
「ああ、ごめんごめん。……ところで君は俺の想像の産物?」
ちょっと意地悪な言い方だとは思ったが、現状を整理出来ず、イライラしていたことも手伝い、そう問いかけた。
「……混乱されていることは分かりますが、酷い聞き方ですね」
彼女はムッとした表情でこたえたが、すぐに元に戻りこう言った。
「私も貴方に同じ事を問い掛けたいところですが、きっと貴方は実在すると信じちゃったのでやめときます」
そして彼女は少し虚空を眺めた後、何か閃いたように小さく頷いた。
「もしも私があなたの想像の産物なら、次の問題に答えられますよね?」
「?」
「いいですか? 条徳高校2年2組の担任の名前はなんでしょう?」
「……」
「分からないですよね。こんな問題条徳高校の関係者でもない限り答えられませんから」
彼女は得意気に胸を張った。
「……ん~確かにその問題の答えは分からないけど、答えの分からない問題を作ること自体は出来るよ。例えば鶏が先か卵が先か……なんてね」
「……そっか……これだけじゃ証明にはならないってことですね……」
彼女は口を強く結んで唸りながら考え込んでしまった。
「あ~ちょっといいかな?」
「……なんですか?」
眉間にしわを寄せたまま彼女は返事をした。
「問題の答えを教えてくれる?きっと夢から冷めても覚えてると思うから」
「?」
「君もこの夢の中の記憶は起きても残っているんじゃない?」
「そうですけど、それが?」
「君から教えてもらった名前を現実世界で答え合わせすれば……」
「あ! そうですね! そうすれば私が実在する証明になりますね! 」
彼女は目をキラキラ輝かせながら答えた。
「担任の名前は北条康彦っていいます。バスケット部の顧問をしていて、高校生の時インターハイで優勝したこともあるって言っていました」
「……北条康彦ね。了解」
特に必要ない情報には触れず、名前だけを繰り返した。
だが、この名前を現実で検証するつもりはほとんどない。正直な話、今ではもう彼女と同様、この夢は自分だけのものではないと結論付けてしまっているからだ。
何を理由にそう結論付けたと問われても明確な答えはないのだが、しいて言えばこれ程までに不可解なものが積み重ねられた同じ夢を何日も続けて見たことは今まで一度もなかったからとなるだろうか。
更に彼女との会話が自身の創作とは到底思えない事もその結論の後押しとなった。
俺の結論が正しければ信じ難い話だが、俺と彼女は夢を共有していることになる……。
「あなたはいつ頃からこの夢を見るようになったんですか?」
青髪の少女は会話を続けるために無難な質問を投げかけてきた。きっと彼女もこの夢の中で会話するのは初めてなのだろう。 折角進展したこの夢をこのまま終わらせる手はない。
「そうだなぁ、5日目になるかな」
こちらもこのまま終わらせる気は毛頭ない。
「5日ですか、私はちょうど一週間です」
「一週間か、ずっと何も変わらず?」
「……はい。私も何かアクションをと考えてはいたのですが、なかなか勇気が出なくて……」
「そうだよな、あまりにも異様だからなこの夢は」
「でもでもちょっと面白いことは出来たんです」彼女はにっこりと微笑んだ。
「面白いこと?」
「私の髪の毛どうですか?」
「ん? 髪の毛? ……なかなか思い切った色に染めてるなぁって」
「そうでしょ~。実はこの髪この夢の中で染めたんです」
「?」
「私の髪、見てて下さい」
彼女はそう言うと、キョロキョロと辺りを見回し、壁に貼られた赤色のステッカーを見つけると、それをじっと見つめ念じ始めた。
するとみるみる内に青色だった髪の毛が燃えるような赤色に染まった。
「おぉっ!」
思わず仰け反り声まであげてしまった。
「自分でいうのも変ですけど、凄いですよね!」
彼女はどういう感情の表れなのか分からない少し歪んだ笑みを浮かべた。
「……凄いなんてもんじゃないよ。心臓が握り潰されるんじゃないかと思うくらいびっくりしたよ」
久しく味わったことがないほど自分の鼓動が高鳴っているように感じる。
「でもきっとこれって私に限らず誰でも出来ることなんだと思いますよ。だってこれ夢なんですから」
「……それはそうだ」
あまりにもリアル過ぎて現実での感覚のままにこの夢にいた。現実との境目があやふやになっている自分に呆れため息が出た。
「私も最初にこれが出来た時は鏡の前で飛び上がりましたけどね」
彼女は照れたように笑った。
俺の心を察し同調してくれた彼女の優しさが嬉しく思えた。
「他には何か出来た?」
「いえそれが他にもいろいろ試してみたんですが、上手くいかなかったんです」
「例えば?」
「……鼻をちょっとだけ高くとか、脚を少しだけ長くとか……」
彼女はほとんど顔が見えなくなるくらいうつむきながらボソボソと答えた。
「そっか、この夢には制限があるのかもしれないね。俺もいろいろ試してみるよ」
興味本位で悪いことを聞いてしまったと後悔したが、もう後の祭りだった。この話はとりあえず打ち切って次の話題を模索した。
「そうだ! 何処か店に入ってみようか?」
「お店ですか……。なんだかちょっと怖いです」
確かに話題をそらす為に絞り出した提案にしか過ぎないが、この夢の影響が何処まで及ぶものなのか分からないうちに店に入るのは早計な気がする……。
「そうだなぁ、流石にまだ店に入るのはまずいかもしれない。現実での影響も気になるしね。……君の髪の毛は現実にも影響あった?」
「……いいえ、現実では元の黒髪のままでした」
少し残念そうに答えた彼女の表情が印象的だった。だが全てが彼女の髪の毛のように現実に反映されないとは限らない。記憶に関しては現実まで持っていくことが出来るのだから。
「情報をもっと集めた方が良さそうだね。一緒に聞き込みする?」
「はい! よろしくお願いします」
曇っていた彼女の表情が一変、日に向かうひまわりのように生気に満ち溢れた。
「ところで君のこと、何て呼べばいいかな?」
「私、羽柴 美希です」
待ってましたというくらい間髪入れずに彼女は答えた。
「んじゃ美希ちゃん。俺の名前は、古河 雄彦。今後ともよろしく」
出来うる限りの笑みを浮かべて自己紹介をした。 夢であるが故に出来た笑顔だと感じた。