優しい人
「ちょっと。ちょっと待ちや。」
青年は瞬時に凛との間に距離をとって、混乱したように早口で言った。
「まず第一に、どこで聞いたんか知らんけど俺は“魔法使い”やない。そもそも“魔法”なんてもんがある訳ないやろ。それから第二に、仮に俺に何か出来たとしても、俺があんたを助ける理由はない。以上や!」
「魔法使いじゃ、ない…?」
凛はその言葉にショックを受けたように大きく目を見開き、それから顔を伏せた。
そう、と彼女は呟いた。
「残念だけど、確かにあなたの言う通りだわ。」
くるりと背を向けた凛の肩に、おそるおそる触れて、彼は言った。
「足。」
「え?」
「怪我、してんねやろ。あがれ。」
スタスタと廊下の奥に消えるその背に、凛は不思議な希望を感じた。
「莢徒有志。」
凛の前にしゃがんで彼が呟く。
「え?」
「さっき誰やって言うたやろ。」
凛は言われるがままにソファーに腰掛けていた。ペンションの中は温かいが、いかにも男の一人暮らしらしい生活感に溢れていた。今の季節は使っていないが暖炉が設えられたリビングは雑然としていて、凛は掃除をしたくなるのを我慢する。
「ただのかすり傷やな。」
雨のおかげで土などの汚れは傷口から流されていたようだった。
「じっとしとき。」
有志は傷口に手をかざし、切れ長な目を瞑った。
何をしているんだろう、ときょとんとして凛は有志の顔を見つめた。長めの金髪の前髪がかかった顔は至近距離で見ると意外にも端正で、凛は束の間見とれていた。
「はい、終わり。」
ものの数秒だった。凛が膝に目を落とすと、そこにあったはずの傷が、すっかりなくなっている。
「え!?」
「はよ帰りや。」
有志は立ち上がってリビングに繋がっているダイニングのテーブルにもたれかかる。
「ちょっと待って、何をしたの!?」
凛は驚きながら自分の膝に触れる。本当に何ともない。
「やっぱり、魔法使いだったのね!」
「だから違うって言うとるやろ。」
うんざりしたように有志は言い返す。
「これは継承者の、“棺”の力や!」
「棺?」
口が滑った、というようにバツの悪い表情を浮かべ、有志は長いため息をつきながら頭をぐしゃぐしゃと乱した。
「“魔法使い”やない。俺は継承者。」
継承者…つまり、超能力を持つ血筋を持った人間であり、“棺”というのは彼らが使うその超能力のことである。それくらいは凛も知っていた。
「でも、継承者は、みんな軍隊に入るはずよ。何であなたはこんな所にいるの?」
凛の言い分は正しい。この国では、継承者は全員軍隊に入ることが義務付けられている。
「それに、“棺”って、こんなことができるものなの…?」
真っ直ぐに見つめる凛の視線に、有志はすぐに目を逸らした。
「俺はちょっと特殊なんや。」
「特殊ってどういうこと?」
「俺のことや。関係ないやろ!」
強い口調に凛は一瞬口をつぐむ。
「…ええ、そうね。じゃぁ聞かないわ。」
しかし、凛は有志の方を真っ直ぐに見たまま続ける。
目を逸らすのは、そこに嘘が潜んでいるからだと、知っているから。
「でも、その“特殊”な力なら、お母さんを助けられるわ。」
自分から“関係ない”と突き放したくせに、傷ついたような顔をしている哀れな人。
この人を助けたい。
「せやから、なんで俺が…」
人と繋がりたいという心の叫びが聞こえているのだ。
「何でって、助けなかったら、あなたが後悔するからよ!」
凛は確信を持ってはっきりと言ってのける。有志は驚いた顔で返答に窮し、凛の方を見た。
「だって、あなたは優しい人だもの。関係ないというのなら、私の傷だって放っておけばいいのに、あなたは見捨てられないんだもの!」
そう言って凛は有志の前に手を差し出した。救いの手を。差し伸べた。
「乗りかかった船でしょう?なら、後悔しない道を行かなきゃ!」
唖然とした表情で聞いていた有志は、数度瞬きをしてから、渋い顔で言った。
「なんか、都合のええ解釈のような気がすんねんけど。」
そう言いながらも、凛がにっこりと笑って手を取っても、有志は抵抗しなかった。




