ただそこにある輝き
僕は宮下このは。名前は弱々しいし体つきもきゃしゃだけど、れっきとした中学二年の男だ。
僕には妹や親友だっている。
妹はどうでもいいとして、親友。幼稚園からずっと一緒のあいつ、クロ。島村。
僕たちには少しだけ、人とちょっとだけ違うところがある。それは……
僕らには本物の翼があることだ。
ただそこにある輝き
「おーいクロぉ」
ある朝だった。
いつもの時間、いつものルート。僕の家の前を通って学校に向かうクロに、二階の自室から呼びかけた。
するとあいつは、いきなりきびすを返してダッシュしていった。
わざわざ学校とは逆方向に。
「……あいつはー」
半ばいつものことだけど、ちょっと不機嫌になった僕は、ベランダに立って母さんが買ってくれた翼止めの太いブレスレットをひょいと外し、翼を空いっぱいに広げて飛び上がった。
「くぉらクロぉー! あいさつ無視すんな!」
飛びながら(落ちながら?)拳を固めてクロに突っ込んでいく。
けど、あっさりかわされて、命中したのは後ろの電柱にだった。
「うがげ……」
くすくす笑う声が背中に聞こえる。あいつだ。クロこと島村黒翼。名前の通り黒い翼を持っている。
あいつは今、僕の渾身の拳をサラリとかわして笑っているんだ。でも僕だって負けない、くすくす笑うのが真後ろなのをハッキリと確認した僕は、自慢の白い翼を、思いっきり後ろにぶん回して奴をはさんだ。
「うおっ、マジか」クロが言ったが、
「あいさつブッちぎるお前が悪い、くらえ」 さっきブラッシングまでして整えたきらきらと輝きを放つ真っ白な翼で、クロをすりつぶした。つぶれないけど。
「うわ……か、かゆい……」
へへー、と笑いながら、広がりきった羽根をぎゅっと縮めて、リングで止める。
「知ってるはずだろ? 僕の羽根、細かい繊維の集まりだから、刺さるとなかなか抜けないって」
一転今度はクロが不機嫌そうな顔をしている。服にも体にも相当刺さってるようだし、不機嫌なのも当然か。
「シロ……せめて夕方なら良い。だが朝はやめろ、いやもう、頼むからやめてくれ、全授業を羽根取りに使わないとならなくなる」
怒りか何かをを抑えるようにクロが言う。
クロの翼は僕のとはまた違って、滑空や飛行などにちょうど良い構造らしい。
背中の肩甲骨辺りから、がっしりした翼が姿を現している。漆黒の翼、伸ばすと最大14メートル幅のそれをあやつる人間は、一体どう見られているんだろう。
でも構造は繊細なんだ、僕のと違って。
内側の、細かく鋭利な羽根は、ヨウリョクとかなんとか言うのの調整に良いらしい。
一転外側の羽根は一枚一枚が大きく、全部血管と筋肉が繋がっていて、神経も通ってるんだとか。
幼稚園の時、いじめられてた僕を助けてくれたクロに、何だかお礼を言うのが照れくさくって、あとをついて歩いて外羽根を何枚も抜いたりしたもんだ、はは……今考えると余計恥ずかしい。
あと、横幅や大きさも、飛ぶのに最適らしい。研究員さんが教えてくれた。
対して僕の翼は、きらめきのある白。クロと同じく背中の肩甲骨辺りから生えてる。
ただ僕の翼は、リングでもって腰の下辺りで止めておかないと、勝手に八メートル幅までびょんと広がってしまう。いつもがぎゅうっと翼の軸を強く曲げてる状態だ。
でも、痛くない。痛みの神経が無いそうだ。
それで、飛べなくもないんだけど、クロみたいに簡単には飛べない。ニワトリみたいにバタバタ羽ばたいて、もう本当に汗だくになって、ようやく飛べる。浮くだけのニワトリより飛べるだけマシだけど。
今朝みたいに、ハンググライダーみたく風に乗りながら落ちるのは楽なんだけど、飛ぶのは一苦労だ。
あと同じなのは、二人とも翼を服の外に出してることかな。学ランだけじゃなく、私服全部、Tシャツの一枚に至るまで、背中に翼が出せる切り込みを入れてある。だって、翼を押さえ込んでると苦しいからね。
飛ぶことに関しては、クロとの体力差もあると思う。あいつ、結構体育会っぽいところあるし。
でも絶対、翼の性能差もあるぞきっと。
「シロ、時間もないし風も欲しい。飛ぶぞ」 え、今何を?
「だから飛ぶぞ」
……苦手だって思ってると的中するんだろうか。
飛ぶ時には安全確認が大事だ。以前クロがうかつに飛ぼうとして、興味本位の観客を内羽根で傷つけてしまったことがある。
*
公園の裏。
家の近くでクロが翼を目一杯に広げられるのはここくらい。僕らの発着基地だ。
「俺は先に行く、かなり細かいのがついてるからなぁぁ」
はいはいといなして、再び僕もリングを外す。バサァッと広がる八メートルの、純白の翼。一方あいつの翼は、振り出し竿とかなんとかいう釣り竿みたく、何段階かに渡ってにょきにょき横に伸びる。アレはアレで見てるとちょっと不気味だ。
もっとも僕の翼の軸も、以前あいつに一本釣りの釣り竿のようによくしなるなとか言われた。
世の中には色んな釣り竿があるらしい。
「いくぞシロ」
なんだかんだ言いつつ待っててくれたみたいだ。僕は一言、おう、と答えて、揃って羽ばたいた。僕は必死に、奴は悠々と。
程なく風をとらえたクロは飛んで行ってしまい、あいつより翼の短い僕は更にばたばたさせて、ようやく浮上して風に乗れた。
この瞬間が気持ちいいんだ。
体の重さがふわぁっと無くなって、目に見えていたものが上昇につれどんどん小さくなる。車の音や街の音、そんな雑音は一切消えて、ただ風がヒューヒューと耳元で鳴る。もっとも自分の羽音はばさばさとうるさいが。
そして、うっかりしてると失速して落ちる。クロとの大きな違いだよなぁ……。
第一章の一 翼ある友と共に
僕なりにばさばさ羽ばたいて、学校に着いたのは五分後。歩いていくと二十分近くかかるから早いのは確かだ
けど、大抵HRはぜーぜーいってバテバテで、まるでダメだ。で、今日も例に漏れなくバテバテだ。
「おはよー、今日はタンデムじゃないのー?」
二人で飛んで来ると、いつも僕は女子にからかわれる。もう二年生にもなるのに一年の時の話を引きずるなんて……はぁ。
以前一度、僕が学校へ飛行中に、失速して地面に叩き付けられたことがあった。あいつは僕のことを抱えて学校まで飛んでくれたらしい。僕が覚えているのは、気がついたら保健室のベッドだったってことだけ。
「もういい加減、旬のネタでもないだろ」
クロが低い声で遠くからぼそっと、きゃあきゃあくすくす言っている女子らに言った。
「あ、え、あ、クロくんも、おはよう……」
ああ、とだけクロは答えていた。女子は何だか怖がっているのか引き気味だ。
ちょっと一言いってやるか。
「おいクロ、あんな態度じゃモテないぞ?」
「お前は去年のバレンタインデー、俺の靴箱を見なかった訳じゃないだろう?」
ぐぅの音が出た。僕の総数が五十四個、こいつは百二十八個……どうやって入れたのかも分からないけど、あの時には負けを確信したもんだ。
あいつを慕う女子は多い。どこが良いんだ?
僕は義理チョコというか、とりあえずあげとこチョコみたいなのが多かった。面と向かって、はいチョコって……男として見られてないのかな。
「あの後が大変だったんだぞ、手紙付きのには全部断りを入れてだな……」
「いい! チョコの話はもういい! 授業に専念しよう同輩!」
「一限目はバレンタインデーの過ごし方だが」
「あるかそんな授業!!」
僕たちの日常はいつも騒々しい。
そんな連続する日の中の、とある日だった。
「おーい、担任が来るぞー」
まだ早いのに、と僕は思った。
でも言われて振り返ると確かに、ピカピカとまばゆいハゲ頭と手入れの行き届いたふっさふさのヒゲ、我らが担任、楠光船英語教師がずんずんとこちらに向かってきていた。
名前と頭の光り加減から『ハゲ光線』がどうだのとおちゃらけたことを言う奴もいるけど、僕は違う。僕もいつか、大人になったらあんな風に、男らしい口ひげを生やしたいと思っている。思っているのだが……
「お兄ちゃんがひげ親父になるのなんか絶対ヤだかんね! 絶対!」
実は内側に敵がいる。それは僕の妹、宮下あずさである。まだ小学生で、僕の通う三ツ村学園附属中学校には入れない。
それにそもそも、あずさは三ツ村学園グループとは関係がないんだ。
僕とクロは、この翼の医学的その他もろもろの『調査研究』の目的で、三ツ村学園グループと幾つかの約束をしている。勿論大部分は親がした約束だけど、このエスカレーター式の附属中学に入れて欲しいと頼んだのは、僕とクロ共同だった。一番仲の良い友達とは、やっぱり一緒にいたいもんね。
そうしたら
「クロ先輩と?! お兄ちゃんばっかり!」
ってまたもあずさは猛抗議してきたけど、実力で入ればいいじゃんって親の一言で決着がつ
「お前は何を廊下で考え事してんだ、入れ入れ」
光線に背中の翼を押された、ちぃ。
*
「今日は避難訓練の日だ、お前らわすれてないか?」
あー、という間の抜けた声が上がる。僕も含めて皆忘れていたらしい。
「やっぱりか、お前らは手が掛かる。で、だ」
で?
「今日の避難訓練だが、防空ずきんの大切さを分かってもらうために、ちょっとこのきらめく頭をひねってみたんだが」
自分で頭のことは認めてるのがなんとも。
「シロ、クロ」
……はい?
「お前らちょっと上空から、当たっても怪我しない程度のがれきを降らせてくれ、もう用意はしておいたから」
……はぁ?!
「また変な役目ですね、俺の避難訓練はどうなるんですか先生」
クロがとげのある口調で言う。
「まぁ、避難訓練なんてのは意識が一番大事なようなもんだ、協力してくれるな?」
ふとクロを見ると、クロの視線が僕を捉えて離さない。おいおい僕次第って事かよ〜。
「あーもう、分かりましたよっ、汗だくになって飛ぶんですから、なんかご褒美くださいよっ」
僕が言うとさすがに一枚上手と言うか、
「あぁ、ご褒美ならとっておき涼しいのがあるぞぉ。三ツ村学園本校で今日の午後、風洞試験を実施したいそうだ、必ず行くように」
……嬉しくないっ!
そうして僕らは屋上から飛び立って、クラスメイトの逃げまどう列を上空から追いかけて、バラバラと小石程度のがれきを落としてまわった。
結構楽しかったってのは、クロと僕だけの秘密だ。
第一章の二 シャッター
翌朝、僕たちは珍しく早起きして、ゆっくりゆっくり歩いて登校していた。実のところ昨日の実験でとんでもない強風を受けて、僕たち二人とも全身筋肉痛でうなっているからだ。
……にしてもクロの様子がちょっと変だ。聞き出してみるかな。
「なぁ、構造試験ってやった?」
「構造……あぁ、あれか。何のことはない、単に翼の採寸とエコー前の調査だろ」
「うん、そうなんだけど、また翼成長したらしいんだ、僕」
「俺もだ。今、展開して14メートルオーバー……生えてる場所はお前と大して変わらないらしいな。背筋で飛べるらしいから背筋鍛えないとな、シロ」
ニヤリと笑って、続けた。
「そろそろあの公園で展開出来る限界に来てる感じだ……」
クロのため息につられて僕もため息。
「にしてもクロ、風洞実験ってあんな風強いんだなー」
「俺たちが何もしなくても宙に浮くだけの風だ、あれくらいだろう」
「でさ、次々と実験やったよなー、風洞実験だろ? X線、衝撃実験にエコーだったかな僕は。でサンプルだとか言って羽根少し切られた」
「シロ。順番がバラバラだ、風洞、衝撃、X線、エコーの順番だろう。お前、テストでも並べ替え弱かったよな、今度特訓するか?」
うぐぅとしか声が出ない。何せこいつは常に学年一位か二位、僕は半ばから下くらい。
「まぁ特訓はともかく……」
ともかく? よかったぁ。
「昨日の、別々にやった試験なんだが……」
「え? エコーは背中の接合部っていうのかな、背中の肩甲骨の辺りをいじってたけど……あー、羽根少し切られたな、ハサミの刃の方がギザギザになってて笑えたよ。衝撃試験は翼一枚で一tくらいまでは耐えるんだって。正直折れるかと思った」
「そう、か……」
「んー? ……何かあったの、クロ?」
面白がって試験を受けて帰ってきた僕とは裏腹に、何だろう、クロには黒雲が掛かっている。
「……」
クロはしばらく黙り込んで、押し切るように声を出した。
「あのなシロっ……誰にも言うなよ。実はあの後、俺ももう一つあったんだ……」
いつか、あるだろうなとは思ってはいたんだ。
クロの翼の、外羽根。抜いて投げると刺さる。上向きにパキッと折り込んで投げると、より深く刺さる。僕らの通称「血抜きのダーツ」。その鋭さやスピードは並じゃないし、ほとんど材質を選ばない。
聞くと、用意された材料は四つ。でかい豚肉、コンクリート片、金属のかたまり、そして、生きた犬。最後のが、クロの気持ちを揺さぶってるのだと思う。
こいつは外見に似合わず、とてもナイーブな心を持っているから。
「投げたくなんか無かったんだ、何で俺が、何も罪のない無垢の犬に、一番危ない血抜きのダーツを投げなきゃならないんだ……」
「血抜きのダーツ、犬だけだったんだ」
「いや……全部、抜いただけの羽根と、折って血抜きにしたダーツ羽根を投げた……」
「命中率はどうだったの?」
「聞くなよ、俺が外すかよ……」
いきなり涙声になるクロにちょっと僕も当惑した。
でも、真の意味で支えられるのは僕しかしない。
「犬、死んじゃうまで投げさせられたの?」
「いや……二本投げて……俺を別の部屋へ……きっと出血量とか計ってたんだ」
「じゃ犬もきっと大丈夫だよ」
「大丈夫なんかじゃない!」
クロが大声で否定したのを久しぶりに聞いた。腕をガクガクと振るわせて、顔色も悪い。「ご、ごめん……」
「お前は悪くないんだ、お前は……全部この外羽根の、俺のせいなんだ!」
クロは背に腕を回すと、うっ、とうめいて、
「これだ、俺があの純朴な犬を殺した羽根だ、全部血管が通ってる? 知るか! もういい、帰ったら全部切ってやる」
「クロー、僕に投げてよ。全力で。」
わざととぼけた振りして言った。
「え……なんで……」
「昔よく遊んだじゃん、翼とか羽根で」
「いやそういう問題じゃ……」
「クロ、思いっきり僕に投げてすっきりしろよ。それで終わりにしようぜ、考え込むのは」
「だがもし貫通したら今度はお前が……」
「全力で来いよ。手加減したらまたすり潰すぞ」
クロは困惑の表情を浮かべたが、すぐ冷静なクロに戻った。
「いいんだな、本当に」
「しつこい、どこにでも投げてこい」
僕の翼はクロのと違って痛みを感じない。いざとなればこの繊維の壁が、僕をいかなる凶器からも守る。学園の研究員さんの話だと、鉄砲の弾からでさえある程度は大丈夫。
「いくぞ、シロ。お前にこんな役回りを……」
「いいから来い!」
僕がリングを落としたか落とさないかのタイミングで、クロは体で投げるような全力投げでその危険物を投げてきた。僕の任務はこれを翼で受けること。それであいつが楽になるなら……
一枚……ダメだっ二枚っ!
ズ、ズ、と2回音がした。
「ク、クロ、投げ、る力上がったなぁ」
左右の翼をクロスしたところに、見事にクロのダーツが入っている。上ずった声でクロの一投に答えた。
ダーツの先は、二枚の翼を正面でクロスしたところを見事に突き破って止まっている。目の前に太い注射針のような切っ先がある。……一歩間違えたらそれこそホントに死んでたなこりゃ。でも、今のクロにそれを伝えるのは酷だ。
「く、クロー、翼が閉じれないからさ、そっちから、ぬ、抜いてくれるー?」
まだ僕の声も震えがちだ。
「シロ!」
駆け寄ってくるのが足音で分かる。
「ケガは無かったか、本当に大丈夫だったか」
翼で見えないが、クロだ。声に少しハリが戻ったような気がする。よかった。
目の前からひゅっと注射針が無くなり、翼が自然と広がる。横の壁に引っかかって間抜けだ、すぐにリングを拾って翼を意識しぎゅっと縮め閉じようとするが、
「シロ、大丈夫だったか、翼も大丈夫か」
……閉じさせてくれない。うーん。
「僕の防御力は知ってるだろ? 大丈夫」
壁に当たりつつ何度か羽ばたいて、リングで止めて、
「完全に楽になったかは知らないけど、僕はいつでもお前のそばにいる。何かあったら抱え込む前に言うんだぞ」
クロが言うようなことを珍しく僕が言っている。何だか何歳かお兄さんになった気分だ。
*
いつもの学校、いつものクラス。でも担任が来ると何だか物々しくなった。
「シロ、クロ。お前たち三ツ村学園の理事長名で呼び出しが来てるぞ、なにやったんだ一体」
担任がうろたえた様子で言う。
「放課後ですか?」僕が聞くや否や
「今すぐだ、授業なんてどうでもいいから」 こうして僕らは、昨日に引き続いて三ツ村学園本校を訪れることになった。
*
「あっ、君たちか、すぐに理事長室に行ってくれ、四階に行けば場所は分かるから」
いつもの研究室に顔を出したらそう言われた。何だかすごく急ぎの用事のように聞こえる。
本校四階。今まで来たことがなかったけど……理事長室と会議室しかない。プレートが貼ってあるから確かに場所は分かる。
重厚な扉をノック。こんこん、と。
「失礼しまーす……来るように言われたんですけど……」
首だけ入ると、もう顔なじみになったヒゲの理事長が、ゴルフのパターを振っていた。
「ん? 入りたまえ、君たちは……ああなんだ、君たちだったか」
きっと翼が見えたんだろう、部屋に入るなり、威厳というより明るくて馴染みやすい理事長になった。
「さあまずとにかく、座りなさい」
うながされるままにソファーに腰掛ける。「君たちを呼んだのは他でもない、三流ゴシップ誌が君たちの飛行シーンを撮影して三ツ村グループを恐喝してきたんだよ」
またか、と僕は思った。クロを見ると、クロも似たように片手で頭を抱えていた。
僕たちの翼を取材しようとする輩は殊更に多い。でも三ツ村学園グループの圧力のおかげで、大半は記事になる前にひねり潰される。クロのお母さんが仕事をしている県議会とも併せて、僕たちの平穏な日常は守られている。
「ただ問題なのは、どうもこれら一連の写真が一流ゴシップ誌に渡ったようなんだ」
えっ? と、僕もクロも身を乗りだした。
「三流の雑誌なら、口止めなり印刷所に圧力をかけるなりなんとでもなるんだが……写真はこれらだ、だが……名の通ったゴシップ誌となると、雑誌のポリシーとして退かない。印刷所に圧力をかける手段もまず通用しない」
机に並べられた五枚の写真。昨日の朝の飛行、避難訓練の時、クロの一撃を受けるシーンが三枚。いずれもクロにピントを合わせた写真だった。
「このシナリオが分かるかね?」
僕は首を振った。クロは……落ち着いている?
「黒翼君のその翼を、何に見立てるかね。言いづらい話だが……悪魔かなにかだろうな」
「そんなっ!」
僕は思わず割って入った。
「こんないい奴他にはいないし、一人で悩んで苦しむような性格だし、悪魔だなんて事絶対にないですよ!」
「私もそうだと思うよシロ君。研究員から聞く話だと、性格は柔和かつ冷静で、昨日の実験でも、生体に攻撃するのを激しく拒否したと聞く」
だが、と理事長は続けた。
「この写真を見てくれ」
何かの台の上に乗って縛られた犬らしい生き物に、クロがVの字の、血抜きのダガーを投げた瞬間がおさめられていた。
……何故?
「恥ずかしいことだが、研究員の誰かが買収されたらしい。それ以外には……考えられん」「俺はこれからどうしたらいいんですか」
一番の当事者、クロが口を開いた。理事長が答える。
「難しいことだと思うが、何も意識せずに過ごして欲しい。マスコミなどに負けずに」 雑誌は恐らく三日後に出版される、という理事長の言葉を聞いて、僕たちの平和な日々も三日で終わるのかなと思った。
そしてそのぼんやりした思いは的中する。
第一章の三 心に、シャッターを。
その日が来た。
「お兄ちゃん……」
不安そうな声で僕の背中を見送るあずさ。
「分かってる、あずさも負けるなよ!」
笑えないけど笑顔で答えた。
マスコミがもう家の前に大挙しているのは、ざわざわしてるから扉越しでも分かった。多分クロの家の前は、もっとすごい事になってるんだろうな……
「あっ、お兄ちゃんこれ着けて、クロ先輩にも」
「えっ。……マントか?」
背中も前も覆う、真っ白な布二枚と、ピンが二本。この大きさなら背中の翼も覆える。
「ありがと、あずさ。それじゃ行ってくるよ」
僕が扉を開けた瞬間、激しいフラッシュで目の前が真っ白になった。いつもならこの時間にもなると、クロが僕の家の前に来ている。でも今日は来ていない。三日前から今日を迎えるまで、あいつ少し不安定だったから、僕が迎えに行った方がいいだろう。
フラッシュは続く。テレビカメラも行く手を遮ってうざったい。レポーターのマイクがこんなにむかつくものだと知ったのも今日が初めてだ。
普段なら玄関さえ勝手に開けてしまう。でも今日は、門に付いてるインターホンを押した。
ピンポーン……カッとノイズが乗る。
「シロか」
「うん、入っていいか」
「今日は……学校に行きたくない」
「そんなこと言うなよ! 入るぞ」
一緒になだれ込もうとするレポーターを門の扉で防いで、僕はクロの家に入った。
「おじゃましまーす……おいクロ大丈夫か?」
クロの家に入るのはもちろん初めてじゃない。僕はインターホンのあるキッチンに直行した。
「クロ、学校行くぞ」
「……朝四時くらいからマスコミが」
「マスコミなんて気にすんなよ、ほら、マントになる布持ってきたし」
「気にしないでいられるかよ……」
がっくりとうつむいたクロが差し出したのは、一冊の雑誌だった。見出しには、現代の悪魔か、平然と犬を殺す、翼を持つ少年……とある。
「うーん……クロのお母さん動いてるんだろ?」
こいつのお母さんは、県議会議員の中でも辣腕だと評判だ。青少年保護条例とか色々な規則を駆使して、僕たちに平和な地域生活をもたらしてくれた。
「俺の母親も動いてる……だがこんな」
ピンポーンと、会話に割り込むようにベルが鳴る。反射的に僕が受話器を取った。
「はい」機嫌最悪な声で応対。
「あ、君はもう一人の子かな? 君の友達が記事みたいな事やってたのは知って」
ガチャッ。僕は怒りをこめてインターホンを叩き付け、その手でインターホンに繋がるプラグを抜いた。
県外の人間には、僕たちの存在は今までほとんど知られていなかったはずだ。だが今回の報道でどうなるか……
「ほらクロ、マントも用意してきたからさ」
「俺が学校なんかに行ったら、他の奴らに迷惑が掛かるから行けない」
空気が重い。
「うーん、それじゃ、今日は仕方ない。でも明日には条例と警察が動くだろうから、明日は絶対一緒に行こうな」
「あぁ……そうしたいな」
「したいじゃないなくてするんだよ!」
あーあ寂しいなぁ、と聞こえるように言いながらクロの家を出た。シャッターの砲列は相変わらずだったが、今までずっと一緒に通ってた友達が僕の左にいないことは
本当に寂しかった。
*
学校まではマントを付け歩いていった。その間ずーっとレポーターがついて回ったりテレビカメラがぶつかってきたりとか、嫌な気分にさせることが散々あったけど、僕はマントの下の翼を決して広げなかった。三ツ村の理事長の話からすると、僕の翼の写真は出回っていない。無駄に情報を与えちゃ損だ。
学校の手前。またここにもマスコミが大挙していた。でも門の近くにはいない。なんでかなとよく見ると、門には楠先生がいた。遠くからでも感じる威圧感を発しながら。
「おぉ、宮下!」
みやしたぁ? 呼ばれ慣れない呼び方に、何とも言えない違和感を感じる。
一方先生は、ジロッ、ジロッと左右のカメラたちをにらみつけながら僕の方に向かって来て、小声で言った。
「お前が白い翼を出したら、報道が過熱しかねん。教室までは名前で呼ぶからな」
僕たちが何か悪いことをしたのだろうか。
教室に入ると、クラスメイトの反応はまちまちだった。マスコミ報道を鵜呑みにしてか、遠巻きにする奴ら。クロに伝えてと、マスコミなんかに負けずに頑張ってと涙目で訴える女の子。多分クロのシンパだな。
色々と反応が違って、他人事なら面白いのかもしれないけど、自分たちの身に降りかかってることだから笑顔一つ作れない。僕の様子にか、僕を茶化す奴も、クロにと何かを託そうとする奴も、次第に少なくなった。
「今日はこの単語だけしかやらん」
最終の、英語の授業だ。担任である楠先生の授業である。黒板に書かれたのはbe proud of 〜、名詞形pride だけだった。
プライド?
鬱々として集中できないでいる僕をよそに授業は進行していく。これは「〜」を誇りに思うという単語で、名詞形だと誇り、プライドの意で云々。聞こえてはいるが頭に入っていかない。
"You should be proud of your uniqe wings."
ガラッと扉を開ける音がしたかと思うと、何だか聞き慣れた声がした。最後の単語に、僕は振り向いた。
「おおクロ。待っていたぞ、さぁ座れ」
静かだった教室が一転ざわめく。僕の心もざわめいた。どうやって抜け出した、どう心変わりしたんだろう、何故、どうして?
クロが歩み寄ってくる。
「シロ、心配させたな」
「あ、あぁ」
通りすがりに僕の翼をポンと叩いて、あいつは席に座った。落ち着いた様子のクロに、むしろ僕の方が戸惑ってしまう。朝のうろたえは何だったんだ?
「皆に言っておくぞ、いいか? 自分が信じた友情ならば、共に怒られようが穴に落ちようが空から落ちようが信じ抜け。特にシロ、よく聞けよ。クロが来た目的は何だ? 授業を受けるつもりなど、六限目の今となっては毛頭ないはずだ。友達であるお前を安心させたくて来たに違いあるまい」
僕がクロの方を向くと、あいつはサッと顔をあっちに向けた。
……恥ずかしがりなんだよな、あいつって。
「二人の関係におかしな傷を残してもいかんし、出来れば二人の問題は二人で処理すべきだと思ったからあえて出さなかったが……」
と、取り出したのは一冊の雑誌。
見たくもない、あの雑誌だ。
「理事長から二人へとメッセージを預かっている、読み上げるぞ?『肖像権でカタを付けたから、もう心配いらないよ。来週には謝罪文が載るから見ておきなさい 桃太郎侍』」 ぼ、僕は分かったが、他の周りの誰もが「桃太郎侍」が分からないようでぽかんとしている。クロを見ると、さすがに僕の家によく来てるだけあって、遙か昔の時代劇にも通じている。クスクスっと笑っていた。
帰り道。
僕たちだけの帰り道。空の上。
「おいシロ、羽ばたくたびに繊維が散ってるぞ? 大丈夫か?」
「今日のストレスかなぁ? 後ろ振り返れないからよく分かんない……とかいうクロもそうじゃん、内羽根が」
「えっ、おっ、本当だ、ぱらぱら抜けてる」
翼って意外とストレスに弱いんだなーって、二人で笑った。
あいつは言った。
「滑空しながら後ろ向いてみろよシロ」
「えっ……あ!」
僕たちが飛んだ跡が、夕陽を受けてきらきらと輝いている。
昨日今日の嫌なことが全部吹き飛んでしまうくらいきれいだった。
「翼……あってもいいよなクロ!」
「あぁ、俺たちの特権だ」
あははと声に出して笑いながら、いつもの公園に降り立って、僕らは家路についた。
第二章の一 新三年生シロクロ
始業式から一週間が経った。
僕らもついに最上級生である三年生になったって意識が、じわりと沸く。
ただ、ついにこの季節がやってきたとも言える。
恐怖の受験シーズン。
と、言っても……
「おいシロ、特訓中に何をよそ事考えてる」 恐怖なのはクロだったりするかも。
「ねぇねぇクロ、ちょっと休憩入れよ?」
「そんな上目遣いで見たってダメだ、ともかくこの一問は解いてからだ」
えーと、アかな。丸を付ける。
「はずれだ。それはイ」
長々とした解説が終わると、ようやく解放された。トイレ休憩だったらえらいことになってるところだ。
僕たちが通う三ツ村学園は、大学まであるエスカレーター式の学校だ。よほど内申点が悪いとかでなければ、試験は形式的なものでエスカレーター枠で入学できるらしい。
だから僕も本当は勉強する必要がないんだ。
「何を考えているシロ、おおかた『勉強しなくても入れるのになぁ』とか考えてたんだろう。それで今は乗り越えられるかもしれんが高校から入ってくる連中に確実に負けるしそれどころか授業に追いついていけるかどうかも」
はいはいといなしたつもりが、クロが僕の翼の軸を掴んで引っ張った。
「特訓再開だ、観念して勉強しろ」
引きずられて、また席に着く。なんでまだ一学期の冒頭なのに勉強しなくちゃなんないんだー。
「黒翼先輩ー!」
んあ? あー、あずさだ。
「先輩、今日はクッキーを焼いてきたんです、良かったら食べてください! 失礼します!」
……風のように去っていった。
「で黒翼先輩〜、うちの妹はどうよ?」
「どうとか言う話以前に甘いものは苦手だ、あずさには何度も言ったんだが」
「恋する乙女はどーしても発想が単調になるんじゃないかなぁ? で、どうよ」
「どうもこうもない、長い間家族ぐるみで付き合って、今更男女の仲は想像もつかん。あと甘いものはやめてくれと念押しをしてくれ、これで明日プリンでも届いたら、俺は発狂するぞ」
へへ。クロ様明日はプリンをご所望、と。
「あと『黒翼先輩』と呼ぶのもな」
「へ? なんか嫌か?」
「嫌というか……重いんだ、響きが」
「両親が渾身の思いを込めてつけた名だろ?」
「……多分母親が、俺を産んで黒い翼を見た瞬間に名付けた名前だと俺は思う」
こいつの出生にはちょいと騒動があったと聞く。
分娩前のエコー診断から、何かが胎児の体に貼り付いているような所見があったそうだ。それが何かは出生を迎えて初めてわかるんだが……
クロが医師の手によって取り上げられた時、分娩室がどよめいたそうだ。赤い肌に、黒い羽根のようなもの。母親に見せるかどうか明らかに戸惑っている医師に、
「どんな子でも私の子! 早く見せて!」
と一喝したそうだ、クロのお母さん。
産院にいる間に羽根を切った方が云々と勧めがあったそうだが、頑として受け入れず、息子の名前を『黒翼』と名付けた。これが僕の知ってるクロ誕生秘話のすべて。
その後クロのお母さんは、クロを守るべく盛んに活動をし、ついには県議会議員の地位を手に入れた。今では条例などを巧みに駆使して僕たちをまとめて守ってくれる。昨年起きた騒動でも、翌日にはマスコミ関係者は誰もいなくなっていた。
「じゃ帰ったら、あずさにはそう伝えとくよ」
プリンとクロ先輩って。へへへ。
そして翌日、プリンが届いたのは言うまでもない。言うまでもないんだが……
「シロ、お前も責任もって食えよコレ」
「あずさの奴……なにもボールで作らなくても」
僕らは料理用大振りのボールいっぱいのプリンを眺めながら、唖然というか呆然としていた。僕は甘いものが苦手じゃないが、この量は……。
あっ、そうだ!
「楠先生に持って行こう」
「担任に? あぁ、なるほど。極度の甘党だったな。それで体重がコントロール出来ずに太ってると噂が立つほどに」
英語準備室。ボールプリンを持って行くと、当初怪訝な顔つきで見ていた他の英語の先生たちも、楠先生への献上品だと言うと何の珍しさもないといったそぶりで散っていった。
「楠先生ー、贈り物の贈り物です」
「なんだぁ、またあずさか」
差し出す。
「うおっ、これは……三人で食べないと間に合わんな、好意は受け取ってやらねばならんしなぁクロ」
楠先生は笑いながら、マイスプーン三つ、と他の先生に言うと、れんげが三つ出てきた。……いつもどういう菓子を食べてるんだろうこの担任は。
食べる。
食べる。
食べる。さすがに先生のペースは早い。
ひたすら食べる。クロは苦悩の表情だ。
食べる……と、ここでチャイムが鳴った。
「冷蔵庫に預かっておくから次の時間も食べに来いよ、俺も少し減らしておくから」
と、三者三様の顔色で教室に戻りHRとなった。
*
「さてお前らも三年生になって一週間が経つ。何か自覚したことはあるか?」
ぱらぱらと意見が出るが、やはり受験関連が圧倒的だ。
「基本的にはだな、俺がこんな事を言ってもいかんのだが、三ツ村学園高校に行く限りでは、受験は一切心配せんでもいい。遅刻だけはしないようにすればな」
と、クロが不意に手を挙げた。
「先生、体育祭や文化祭に参加したいのですが」
何っ、という顔の担任。同じ顔の同輩。
「目立つぞ、それでもいいのか?」
「俺は昨年の一件で、俺の翼に誇りを持ちました。これが俺の自覚です。今まで翼を隠して参加してきた諸行事……自覚を持った以上、俺自身の行動がしたい」
「……分かった、何とかしよう。だがそうなれば、他の生徒とは一線を画する参加内容になるかもしれんが、承知か」
「それでも構いません」
「覚悟の上、か……シロはどうする? お前も参加したいか?」
僕らはこれまで、表舞台に立つことを極力避けてきた。でも、いつまでもそんな位置に甘んじてる訳にもいかない!
「ぼ、僕も参加します、どんな形でも!」
教室がどよめく。そのどよめきが、次第に拍手に変わり、教室は拍手でいっぱいになった。
僕はそんな優しい拍手に包まれて、なんだか涙が止まらなくなってしまった。
そして終わりのHR、一番近い行事は……と考えると、コーラスコンクールだ。
とか思っていると、大体誰かが言うもんだ。
「コラコンなんですが、今回の目玉、シロ君に指揮者をやってもらいたいんです」
「ほぉ演劇部、その理由は」
「ちょっと派手な演出ですけど、曲のクライマックスで翼を開いてもらって、コーラスだけじゃない照明込みの演出が出来れば、と」
うちのクラス唯一の演劇部員、部で演出を担当してるそいつが言った。
担任の目が僕に向く。
「クロとセットではない、お前だけの仕事の依頼が来てるぞ、シロ。お前はどうしたい?」
翼をクライマックスにタイミングを併せて開くだけなら、きっと大がかりになる体育祭や文化祭の何かより、よっぽど簡単に違いない。
「やります」
僕は一言で答えた。
プリンボールを抱えながらの帰り道、僕はクロに聞いてみた。
「あの一件で自覚を得たって、一体どう得たの?」
「あの時な……」
少し長い話が始まった。
僕がクロを連れ出せなかったのを見てか、僕が行ってしまった後、間髪入れずにあずさがクロの家に乗り込んできたんだそうな。クロがあずさに、学校の時間だぞ、と言っても、あずさはクロの横を動こうとせず、マントをぎゅっと握りしめて「黒翼先輩が学校に行かないなら私も行かない」と、頑固に座り込んでいたそうな。中学校の一限目、二限目……二人の間は割と穏やかな沈黙のうちに過ぎていったそうなのだが、昼辺りにあずさが、一言言ったのだそうだ。
「黒翼先輩、あたし、まだこんな年だけど、トラウマ持ちなんですよ? 発作も起きるし」
カラ元気のような明るいトーンでそう言い放つあずさに、むしろ面食らったのはクロの方だったと言う。僕からも他の誰からもそんな話は聞いてなかったのも一因のようだ。
「お兄ちゃんが自由気ままに飛んだりしてるのを、あたしのクラスの男子がうらやんで、それでいじめられて……ほら」
そう言ってあずさは、クロに背中をはだけた。そこには、タバコのようなやけど痕がいくつかあったのだそうな。
「お兄ちゃんのことも黒翼先輩のことも大好きだし、二人が自由に空を飛んでるのを見ると、憧れだって持っちゃいます」
あずさは服を整えて、続けた。
「だから二人には、本当にありのままでいて欲しいんです」
そう言うあずさだったが、クロも目の当たりにした傷跡がショックだったらしく、
「俺は何かあずさに悪いことをしたか、それとも俺自体が悪い存在なのか」と、言った。
あずさは首をぶんぶんと横に振って、
「もう過去のことです。むしろ、あたしのことで二人が飛べなくなるなんてことの方が……あたしは嫌です」
あずさは続けた。
「今日の人たち、物珍しさで来てるマスコミです。好奇心は怖いですからね」と言ったとか。
クロは、
「あずさ、何だかお前の方がよっぽど大人に思える」と言ったんだそうだが、
「お昼、何か作りますね、パワーのつきそうなもの」と、かわされたそうだ。
食事も終えて、時計を見ると、飛べば六限目に間に合うギリギリだった。長々と付き合わせたあずさにクロはぼそっと、すまなかったな、ありがとうと言い、学校へ行ってくる、と最後に続けた。
クロが二階の窓を開けベランダに出、翼をいっぱいに広げると、一斉にフラッシュが光ったそうだ。その報道陣をかすめるようにして、クロは飛び立ったとか。
写真もずいぶん撮られたそうだが、結局クロママの活躍で一枚たりとも公に出ることはなかった。
「ほー……で結局、どんな自覚よ」
「俺はまだまだ子供だったってことだ」
それよりも、とクロが続ける。
「コラコンだがお前、音楽の成績そんなに良くないのに、指揮者なんか受けて大丈夫なのか」
「多分大丈夫だよ、うん、大丈夫!」
「怪しげだな」
クロは咳払いをすると、
「いいか、指揮者はただ手かタクトを振ってりゃいいってもんじゃない。歌う側に合図を出したり、ピアノにタイミングを伝えたり、それなりに技術がいるもんだぞ? それをあんなに簡単に受けて……」
「心配性だなぁクロも。大丈夫だって」
「シロ、今回は演劇部とのコラボレーションみたいなもんだ。指揮だけじゃない、演出の知恵も必要だ。基礎となる音楽力に加えて翼を完全に自力で制御できる力がないと」
「もう、しつこいなぁクロは」
僕はひょいとリングを外して翼を開いた。下り坂で加速してジャンプ。ふわりと風に乗って、家へと飛んだ。
その晩、一通りあずさにプリンの文句も言い、実はクロが甘い物本当に苦手だとも伝えあずさからギャーギャーと叫ばれたりもし、まぁいつものことさと階段を登っていった時だった。
翼からリングが勝手に抜け落ちて、狭い階段で広がって動けなくなってしまった。時折あるんだ、飛んだ日は。翼が強く広がろうとしちゃうんだよなぁ……って、えっ。それって。
第二章の二 コラコン─翼との格闘
僕はクロが言っていたことを初めて痛感した。翼の制御……よく考えると僕の翼は、開いたままの状態が自然だ。一本芯の通った、骨みたいな軸があり、そこに人工のリングをかけ留めてようやく、翼が閉じる。繊維の羽根は、この骨から下に、層状に伸びている。
このとき、翼を閉じるために、一時的だが翼をぎゅっと縮めることは出来る。かなり力はいるけど。
開くときはその逆で、リングを外した瞬間に八メートルとちょっとの幅に、大きく一気に広がってしまう。
クロはどうだろう。
あいつの翼は僕のと違って、横に「伸びる」。伸びて初めて重なってた部分が表に出て、一枚の大きな大きな翼になる。引っ込めるのも広げるのも自力で出来て、制御の問題はクリアしている。ただ僕と比べるとゆっくりしか広がらないのが弱点か。
僕は、翼を自力でほとんど制御が出来ない上に、飛んだ日にはこんな風に広がる力が強くなってしまう。コラコンの練習で何度も広げたりしたら、きっと飛んだときと同じように広がってしまうような気がする。
コラコンまで一ヶ月以上もあるのに、なんだか気が滅入ってきた。
「考え事しながら歩くと怪我するぞシロ」
「あ、あぁ……クロはいいよなぁ」
「何が」ぶっきらぼうに言う。
「翼だよ翼。考えたんだけどさ、クロの方が翼の制御、出来るじゃん。僕のは閉じるのに少し引っ張っていられるだけで、すぐ開いちゃうし……」
「だから言ったんだ、怪しげだなって」
だが、とクロが続けた。
「俺たちにとっての転機だ、当然やり遂げるつもりなんだろうな?」
クロの少しとげのある言葉とは裏腹に、やっぱりやめる、と言い出してもいい雰囲気だった。
やめる?
せっかく前に出られるチャンスなのに、どうする? どうする……?
「僕は……やる。やり遂げてみせる」
今は少しの間だけだけど、翼自体は構造上引っ張れるんだ。それを鍛えて、時間を伸ばしていけば、一曲分の時間、リングなしで翼を保っていることが出来る……はずだ。
「シロ、お前が考えてる方策は分からない。だが友として、出来ることは何でもする。遠慮せずに何でも言ってくれ」
おぅありがとよっ、と答えた。
内心は不安でいっぱいだったが。
*
「シロ、翼開くのまだ早いって!」
「分かってるんだけど〜!」
五月。コラコンまであと二週間を切っているのに、僕はまだ曲の最後まで翼を閉じていられない。
曲の最初、リングを外して指揮台におくのがピアノへの合図だ。そのときから翼を力で押さえつける持久戦が始まる。
「シロー!」
「あ、う……ゴメン、気が抜けてた……」
もとい。
本気で翼を縮めてないと、今みたいに即開いてしまう。
この状態でタクトを振って、曲をつないでいく。二週間僕のリズム音痴に付き合ってくれたみんなは僕のタクトをほとんど見ていない。
そうしてたどり着くサビの部分が見物だ。「そうだシロ、ゆ〜っくり、ゆっくり」
僕が翼を広げる場面。音を遮らないよう軽く体を反らして、翼を広げる。とともにコーラスの音量も上がり、クライマックスを迎える。そして最後の優しい旋律で翼を徐々に閉じ、リングを付ける。同時にピアノが終わる。
「よっしゃ! 後は二十分の一の成功率を何とかするだけだ!」
クラスメイトの視線が痛い。ため息と何とも嫌な視線が僕に注がれる。うーん、僕だってがんばってるんだけどなぁ……。
「おい演劇部、今日は散会でいいか? シロを連れて行きたい所があるんだが」クロが言う。
「あー、いいよ、コーラスの方もちょっと限界に来てるしな」演出担当が答えた。
「シロ、学園の研究所まで飛ぶぞ」
「えーそれマジぃ?」
「マジだ」
さんざん翼の辺りの筋肉を駆使した後だというのに飛ぶとは。大丈夫かな僕の体。
屋上。いつもは清々した気分で立つ離陸ポイントだが、今日は気が重い。というより、まともに飛べるかどうか怪しい。もし落ちても羽ばたけば少しはマシになるけど。
「行くぞシロ」
「分かったって、もー」
僕は半ばやけになって羽ばたいた。と、あることに気がついたんだ。翼を、何の支障もなく動かせるということに。
「なークロ、翼、普通に動くぞ、何でだ」
「俺に聞かれてもな」飛びながら苦笑している。
「だから聞く相手の所に行くんだ」
と言ってる間に研究室上空に到着した。羽ばたいて垂直下降……着地。我ながらきれいに決まった。
「クラスの連中が今のを見たら、単純にお前がサボってたとしか受け取らないだろうな」
クスクスとクロは笑うんだが、いまいち僕にはその意図が掴めなかった。
*
「あれ君たち、今日は呼んでもないのにどうしたの?」
「実は……」
なんだか耳打ちしてるクロ。
「はーんなるほど、じゃシロ君にしっかり教えてあげればいいんだね。君の例も挙げることになるけど、いいかい?」
コクリ、とクロはうなづいた。
内緒話のあげくになんだか大事のようだ。
「クロ、僕は何したらいいんだよ?」
「とりあえず、研究員さんの説明を聞け」
座学、と分かったとたんに気合いが抜けた。は〜いと生ぬるい返事をして研究員さんについて行く。と、僕の後ろにはクロがついてきた。
*
「……もう一回復習しようね。君が翼を広げたり閉じたりするときの筋肉と、飛ぼうとして使う筋肉は別なんだ。三番のプリントのように……」
言われてもう一度、三番のプリントを見る。
「君の翼の軸、僕たちが親骨って言ってる部分は、筋肉が軟骨を巻いてる構造だ。でも筋肉の力としてはわずかなものでもある。構造比率でいけば、親骨の大部分は軟骨で出来ていて、それがしなやかさを生んでいるんだよ。君が飛ぶときには、二番のプリントにある背中の関節、ちょうど股関節とか肩の関節と同じように、自由に回転するそれを、背筋がコントロールして、親骨をしならせるようにして羽ばたいて飛んでいるんだ」
一息つくと、
「対してクロ君の場合は、でかい板を背負っているような感じなんだ。内側の羽根も外側の羽根も、全部に血管と筋肉があって、傷つければ痛む。それで」
また一息、
「今回のテーマ、翼の縮め方なんだけども、クロ君はかなりしっかりした独立した筋肉が親骨に沿って成長している。だからむしろ翼を縮めている方が自然。逆に……」
二人の視線が僕に向く。
「シロ君はというと、親骨が既に伸びることを前提にした構造なんだ。別に曲げててもそう簡単に折れたりヒビが入ったりするほど弱くないのは、この間の試験で明らかだよね」
僕は口を挟んだ。
「でもコラコンで……じゃなかった、コーラスコンクールで」
「コラコンで分かるからいいよ、僕もエスカレーター組だから」
クスッと研究員さんがほほえんだ。
「じゃ、えーっと……コラコンで、演出込みの翼展開をしなきゃならないんです。どうしても翼の制御力を上げたいんです!」
「だったら、そうだねぇ……地道だけど鍛えるしかないね。トレーニングと割り切って、翼で腕立て伏せをして鍛えるとか。クロ君に聞く限りだと結構手こずってるみたいだし時間もないし」
翼で腕立て伏せ?
「えーと、よく分からないだろうから説明するけど、初めは壁に翼の先端、いいかい先端だよ? 先端を壁に付けて、体重をかける。しなると思うけど、それでいいから。簡単に出来るようになったら、今度は腹筋運動の起きあがる動作を、腹筋を使わず翼で持ち上げて行う。それも出来たら、かかとと閉じた翼の軸全体を床につけて、全体重を翼にかける。裏向きの腕立て伏せをするんだ。そうすれば、コントロール力は短期間で飛躍的に強まるはずだ。シロ君まだ若いから、一生懸命鍛えれば、きっとコラコンに間に合うよ」
なんだかすごくハードなメニューのような気がするんだが……。
「嫌でもやるんだぞクロ」
「やらなきゃダメかぁ?」
「ダメだ。指揮者はお前なんだ」
この日から、毎食後は必ずトレーニングをするようにした。昼なんかクラスの連中が全員見てるから、わざと格好付けて『翼腕立て伏せ』をやってみて失敗したりと色々あったけど……
*
「シロっ、やれば出来るじゃないかー」
「まーなー」二階照明に回ってる演出家に答える。
今日であとコラコンまで残すところ三日。研究員さんの言うとおり、若いからなのか、程なく翼腕立ても出来るようになった。
「あと三日だけど、もう少しハードル上げて良いかー」
「なにぃ?! まだなんか追加すんのかよー」
「いや追加じゃなくて、こっちで紙吹雪とか降らせるタイミングを見計らいつつ、曲ともタイミング併せて翼を広げてほしいんだ。今のお前、いつもの『テンポ無視広がり』になっちゃってるから」
ぐさり。胸に何か刺さった気がする。
「指揮のテンポはだいぶ良くなったから、次は演出とあわせてくれ、頼んだぞー」
頼まれてもなぁ。うぅ。
それからはメトロノームと格闘する三日間だった。
そして、コーラスコンクール当日。
*
「プログラム十四番、三年C組、曲目は『ひかり』。指揮 宮下このは 演出担当……」
舞台の袖で僕は汗をかいていた。初めて自分だけの企画が遂行されていて、その結果が初めて出る、こんな日に緊張しないではいられない。
「シロ君、しっかりね」
「細かいこと気にすんなよ」
先に出て行くコーラス部隊が、次々僕に声をかけてくれる。正直あまり耳に入らなかったが、励ましてくれているのが空気で分かる。
さて……コーラス隊が全員出た。演出兼スポットライトのあいつがゴーサインを出した。
いざ!
僕は震える足を気にしつつも舞台に歩み出た。指揮台の横に立ち、観衆に一礼。
ここで僕は大きなミスをする。礼をしている間にリングを外す段取りだったのに、それを忘れたのだ。
ミスに気づいたのは指揮台に登ってからだった。リングが手元にないっ……気づいて焦って取ったものだから、手が汗で濡れていたのもあって、リングを落っことしてしまった。リングはころころと転がって、客席へ。カツーン……と高い金属音が、静寂の中に響く。
気にしない!!
僕はとっさに翼を大きく大きく広げ、後ろから見えないようにピアノを指さした。一応通じたようで、ピアノの伴奏が始まる。すぐに翼を縮めて、曲の指揮に入った。あとは演出家の指示通り……
「やるじゃん、なんとかしたねぇー」
「発想の転換ってほどじゃないけど」
「頑張ったねシロっ」
ただ一人を除いて、好意的なコメントだった。一人とは……
「あそこで翼を広げちゃったら翼の持ち味が全っ然生かせないじゃないか!」
くだんの演出家である。ギャーギャー叫ぶのをクラスメイトがなだめてくれて、まぁそれなりの形にはなった。
担任の公式コメント。
「君たちが一丸となって作り上げたものは、どこまで行っても君たちの青春の傑作だ」
非公式。
「シロが輪っかを落っことした時にゃ心臓が止まるかと思ったぞ」
各方面にご迷惑を。反省。
こうして、僕の初仕事は終わった。
その帰り。僕はクロに、今日の仕事を自慢した。
「へへー、ああいう演出だとクロの出番はないよなー」
「確かにな。黒い翼に光を当てても変化がない。それに重々しい」
そう言って、クロは拳を握る。
「俺が目標としているのは、あくまで体育祭一本だ。文化祭もお前の領域だからな」
「そうか? 今は浮かばないけど、文化祭で活躍する場面もある気が……ま、でもクロには体育祭の方が合ってるかもしれないな」
コラコンを何とか無事に終えた僕は、気楽にそんなことを言っていた。
第二章の三 体育祭、そして。
無事コラコンを終えると、季節は早くも夏だ。
夏の行事といえば体育祭。
クロが先日出馬表明した、アレだ。
まあ結構体育会系のクロにはお似合いかも知れない。
「クロぉ、体育祭何やんの?」
「団体競技で何かやりたいが、悩みどころだな。俺がやりたいと言ってもな……」
チャイムが鳴って、HRの時間となる。と、担任が息を切らして駆け込んでくる。
「シロ、クロ。お前達喜べ、セットで参加できるよう体育祭の種目、少しいじってきたぞ」
「へっ? えっ? ぼ、僕もですか?」
コラコンと文化祭を考えていた僕には、意外と言うよりはむしろ想定外の話だった。
「えっ、あ……何で?」担任に聞く。
「だってそうだろう、棒倒しとか騎馬戦とか、団体競技に一人だけ飛べる人間がいたら不公平だろ。チーム分かれて一人ずつでないと」
「あー……」
頭では分かったんだが、いまいち気が乗らない。
「でも体育祭で飛んだりしたいとはあんまり思えないんですけど……」
「だそうだクロ、体育祭参加は諦めだな」
「うわぁ! そ、そうじゃなくて」
「やる気満々の友達、用意された競技、それを全部なしにしてしまうとは、シロもなかなか」
「分かりましたよっ、やりますって!」
もう半ばやけだ。
「よく言ったシロ、それじゃあ新競技の詳細を教えるぞ」
えーと……白組と赤組に、それぞれ僕とクロが入る。クロは敵陣営・赤組の助っ人か。
あとは……騎馬戦?
「先生、それ単なる騎馬戦と変わりないんじゃないですか?」
「超・騎馬戦だ。よく考えてみろ」
担任が黒板に二本の水平線を引く。
「一般の騎馬はこの下のラインだ。お前達は上のライン。戦いの次元が違う」
「まだよく分かんないんですけど……」
「シロらしいな、いいか、要するに……」
黒板に線が加えられていく。
「お前達は、お前達同士で帽子を取り合うことも可能だし、下のラインをもっぱら攻めることだってOKだ。若干白組が不利かもしれんが、まぁ作戦で埋めるところだ、そこは。」
あーなるほど……
「というわけで、行事に参加すると宣言した以上、学校側もそれなりに協力する。お前達も積極性を持って参加するように、以上」
体育祭とは、全く予定外だったが……と、HR明けの小休止に、クロが寄ってきた。
しかも何だか神妙に。
「お前、A組の佳奈のことが好きなのか?」
ぼそっと爆弾発言。
「はっ?! あ、え、何で……?」
「視線見てれば丸分かりだぞ。近頃特に用もなさげなのにA組に入りびたりだしな。で、どうなんだシロ?」
「ちょっと待てクロ、何でお前が視線がどーのって分かるんだよ」
「赤組の作戦参謀が佳奈なんだ。だから俺は俺でA組に出入りしている。それにさえ気づかない辺り、全く佳奈しか見てないらしいな。どうやら聞くまでもなさそうだが、どうなんだ?」
「うー……好きで悪いか、コノヤロー……」
「だったら体育祭、佳奈だって参加するんだから、活躍を見せつける良いチャンスじゃないか。相手は作戦参謀だ、見事作戦勝ちでもして、目立つのも良いと思うが」
「あ、そっか」
「そうだ」
つくづく僕は単純なのかも知れない。
*
そして、ついにこの日がやってきた、体育祭の朝だ。皆一同に体操服に着替えて、学校内が見るからに様変わりする一日。
僕たちももちろん体操服なのだが、背中の羽根が出せるように切れ込みが入っているのが特徴なのは制服と同じで、このまま空を飛ぶことが出来る。イコール「超・騎馬戦」と名付けられた男子最終の団体競技に空中から仕掛けることが出来るわけだ。
午前の競技が淡々と終わっていく。砲丸投げとか百メートル走とか、個人競技が多いからあまり見るものもない。
一人を除いて、ね。えへへへ。佳奈ちゃんは高跳びに出てた。背面跳びで結構良いスコアを出してたけど、さすがに一位にはなれなかった。彼女には、背面跳びよりもピアノを弾く姿の方が断然似合うんだよなぁ。
そして午後。昼の応援合戦は両陣営譲らずで引き分け、玉入れは白の勝ち、大玉送りは赤の勝ち。残るは二競技、男子の超・騎馬戦と、女子の棒倒し。
「超・騎馬戦のルールを説明します……」
変更点などが細かく説明され、僕らのことを空中兵とか解説してたな。緊張であまり耳に入らなかったのはコラコンの時と同じだ。
「両軍入場!」
威勢の良い掛け声で入場する。僕は白組の作戦で中央に配置された。クロは……列の一番後ろか。
「開始!!」
合図と同時に応援団の猛烈な応援が始まる。そして作戦も開始となる。
僕は、まずは後ろに退く。騎馬たちが揉み合いを始めるころに翼を展開し、徹底的に大将騎の頭を狙う。はずが……
「うわっと!」
悠長に構えていたらクロに帽子を取られそうになった。まだ騎馬たちは距離を取ってる段階だが、急ぎ翼を開いて浮上する。
これでクロと同じ目線になる。クロは再び僕に攻め入るが、僕だって負けてはいない、急落下や翼でかわす。
……と、自軍から声が上がった。
ヘルプコール?
しまった、クロは陽動か!
既に自軍の大将騎は赤組に囲まれていた。僕は必死にその場に追いつこうとするが、大将騎の帽子が取られてあえなく決着。バーンと乾いた音が響いた。
退場して完敗の悔しさを胸にクラス席に帰ってくる僕に引き替え、クロはにやにやして帰ってきた。
「クロっ、何だよあの速攻」
「何だよと言われてもなぁ。一番後ろに配置されてたから、横向いてすぐ翼広げられたからな、まぁあれも佳奈の作戦だぞ」
「あっ、佳奈ちゃんの……」
「そうだ」
「あー……じゃ、負けてもいいや」
クロにはやれポリシーがないだのなんだのと言われたが、僕には恋の比重の方が大きい。
恋……どうしよう、負けちゃったけど、参謀が佳奈ちゃんなんだから、共通の話題がある。一気に告白とか……。
「何を一人で赤くなってるんだシロ、もうすぐ女子の棒倒しも終わるぞ、閉会式と荷物持っていく準備をしないと」
声掛けられた時には、ちょっとどころじゃなくびくっとしてしまった。恥ずかしい。
何もかも撤去されていき、徐々に形を無くしていく体育祭。残されたのは体に残る疲労感だけ……でも僕には一つ、今日しなければならないことがある。
佳奈ちゃんへの告白。
自信は無い。でも今日しかないと思う。
ちょうどいい具合に、待ち伏せしていた所を佳奈ちゃんが一人で通ろうとした。僕は僕なりの自然を装って佳奈ちゃんの行く手を遮って話しかけた。
「あ、やぁ佳奈ちゃん」
「あっ、体育祭お疲れ様、シロ君」
「あの、さ、赤組の作戦参謀、佳奈ちゃんがやってたんだって? クロから聞いたよ」
「あれ、聞いちゃった? こっちから言って驚かそうかと思ったのに」
あはは、と二人笑う。
「それでどうしたの? こんなところで。あ、今度こそ私が当てるね、えーっと、A組の女子の誰かにこ・く・は・く、かな?」
「え、あ……な、何でそう思うの?」
「だってこの通路、A組とB組しか使わないし、近頃シロ君よくA組に来てたから、誰かご執心な子でもいるのかなって、ふふ」
「そ、それ……」
「ん?」
「君だよ、僕は佳奈ちゃんのことが好きなんだよ」
「えっ……」
二人の間に沈黙が。そして佳奈ちゃんは何かつらそうな、ちょうど何か言いづらいときのような表情を見せる。
告白失敗か、あ〜あ……はぁ。
「ごめんなさい、シロ君のこと、そうは見られない……多分、ずっと」
「……そっか、そうなんだ、あはは……ずっと、って、何でか、最後に教えてくれないかな」
「シロ君自身が傷つくから止めておいた方が……」
「聞きたいんだ」
「……私は……シロ君もクロ君も、背中の翼が気持ち悪いって思う人間だから。ごめん」
僕の横を駆けていった佳奈ちゃん。
振り向くことも出来ずに呆然としている僕。
「翼が、気持ち悪い、か……」
「俺は言われ慣れてるセリフだがな」
「どっから降って沸いたクロぉ!!」
「そんなに怒鳴るな、俺も心配して来たんだ」
「はぁ……この翼のせいなのか……」
「翼にかこつけた『ごめんなさい』の可能性だってありうるが……俺のことまで言ってる辺り、どうだろうな」
「と言うことは……」
「翼理由の失恋確定か」
ため息しか出なかった。
チームは個人競技でスコアを伸ばして優勝を勝ち取り、みんながみんな盛り上がって、クラスでは写真なんか撮ってたり、わいわいがやがや楽しそうにしている。
それ見ると、正直つらかった。
笑顔が作れないんだ。
たとえ偽の笑顔でも作れれば良いのに、僕はそんなに器用じゃなかったみたいだ。
第三章の一 人の持つ、こころ
体育祭が終わった夕暮れ、僕は初めて自分で羽根を抜いたり切ったりしていた。ハサミで切ってもハサミの方が負けるのは知ってる。抜いても抜いてもたくさんあることも知ってる。
でも、この翼が嫌で仕方なかったんだ。
単にフラれたから嫌になったんじゃない。「気持ち悪い」……そんな印象を人に与えていたのを知って、それがとてもショックだった。
やっぱり、翼のある人間は気持ち悪い存在なんだ……そう言えばクロは言われ慣れてるって言ってた。もう夕飯時だけど、何で平然としていられるのか、一度聞きに行ってみよう。
「まぁシロちゃん、どうぞ入って」
クロママに案内されてキッチンに通される。そこにクロの姿があった。
「どうしたんだシロ、そんな暗い顔して」
「お前も知ってるだろ……」
「あぁ、あれか。まぁ八宝菜でも食べながら」
「遠慮しないでね、ちょっと沢山作っちゃったから」
「食欲無い……」
「はあ? お前がか? 本当か?」
疑うのも無理はない。僕が食事に惹かれないなんてことは、体調がよほど悪いとき以外あり得ないことだ。
「本当だ、食べる気がしないんだよ」
「重症だな」
クロは皿を二枚持ってくると、手際よく八宝菜を取り分けて言った。
「母さん、ちょっと二階で話しながら食べるから」
お皿洗っといてねー、と返答がある。クロは箸も二膳、箸立てから取ると、俺の部屋に行くぞとあごで示した。
僕はと言うと、しぼみかけた風船のように、ふらふらと足取りおぼつかずクロの後に付いていった。
「好きな奴に言われたからって、そう傷つくな。気持ちは分かるが」
クロがマイ冷蔵庫から、オレンジジュースを二人分汲み出した。コップにすぐ水滴がつくので、よく冷えてるのが分かる。
八宝菜は手を付ける気にならなかったが、かろうじてジュースを少し飲んだ。
よく冷えてておいしかったのに、涙が出てきた。
「お、おいおい、いきなり何故泣く」
「分かんない……」
止めれるものなら止めたかった。いくら親友の前だからって、泣いてるのを見せるのは恥ずかしかったのに。
「う……ん、よほど今日のが堪えたらしいな」
「堪えたなんてもんじゃないよ……」
また一層涙があふれる。何だか肩にも力が入らなくなって、がっくりとじゅうたんばかり見ているようになった。
「仕方ないな……俺の経験を少し話そう」
見ると、クロはひざを立てて翼をタンスにもたれさせている。長時間話す体勢だ。八宝菜も食べずに……そう思うと、ぼたぼたぼたぼたぼた。
「だから泣くな、せめて話の一つも聞いてから泣け」
クロの話は印象的だった。
三ツ村の幼稚園時代、ようやくクロが飛べるようになった時期だけど、その頃、クロが「気持ち悪い翼」っていじめに遭ってたって話。僕は当時女の子とよく遊んでたから、クロがいじめられてるなんてことに気がつかなかった。
唯一覚えているのは、クロ復讐の日。当時いじめっ子だった男子を、空高くまで抱え上げて泣き出したら降りてくる。それを繰り返していたことだけはよく覚えているのだが、その動機は聞いたことがなかった。
「じゃあ、アレって……」
「大人げなかったが、俺なりの報復だ」
小学校に上がってからは……
「どうだったんだよ?」
「幼稚園から小学校への持ち上がり組が、俺のことを怖い怖いと言って回ったらしい。周りの方が一線を画すようになってしまった。無茶なことはするもんじゃないと思ったな」
「だけど、高学年になったら明らかに違ったよな?」
「バレンタインデーとかのことか? 確かにチョコは集まりはしたが、『ゴキブリ、死ね』とかそう言った悪意のあるメッセージも結構あったぞ」
「そうだったんだ……」
話は突然戻る。
「幼稚園の頃から少し前まで、俺は自分の翼が嫌で仕方なかった。お前との都合上言えずにいたがな」
「えっ、そうなの」
「そうだ。去年のマスコミ騒ぎを待つまでもなく、俺は幼稚園入園の前から、自分の翼をハサミで切り落とそう、切り刻もうとして何度も失敗していた。外羽根は切れても痛いし、内羽根はそもそも堅いんだかなんだか、非常に切れにくかった」
「僕も……さっきまでやってた……」
「ある種の自傷行為だな。どのみちお前の羽根はそこいらのハサミでどうにかなる構造じゃないから安心だが」
「中学入ってからはどうなんだよクロ」
「幼稚園からの呪縛は解けて、急に女子と話す機会も増えた。まぁ一言言う程度だけども」
「じゃ何でバレンタインデーあんなにチョコもらえるんだよ、しかもメッセージ付きで」
「……俺に聞かれてもな」
クロが本当に困った顔をする。
「チョコをよこすのは女子の側だ。俺が欲しいと言ったものでもないし……」
と、逆にクロが僕に問いかける。
「お前はどうなんだ、確かに数では俺に及ばないが、普通の男子とは比較にならない数のチョコをもらってるだろう。その中にはメッセージ付きのとか、本気度の高いものも無かったか?」
「あった……」
「その対処はどうした」
「……ほったらかしだった」
「そこが俺とお前の差だ。好感度アップが狙いではないにしても、相手の誠意を無視してはしゃいでると受け取られても、全然おかしくないんだぞ」
「そっかぁ……ちょっと家に戻るわ」
「また来るのか?」
「うん、メッセージがためてあるから……」 僕はクロとの差をまざまざと知らされて、結構ショックを受けていた。クロにしても誰にしても、好意を持たれるにはそれなりの理由があるわけだ……。
「また来ましたー……」
二階の、クロの部屋へ入る。
「おっ、早かったな。牛乳でも飲むか?」
「……もらう」
牛乳を飲みながら、二年分のメッセージをさばき始めた。
「お前本当に読んでなかったんだな」
「だって面倒だったから」
「モテるとか以前の問題だな」
一年当時のがあらかた終わったその時、僕の手が、目が、一つの手紙で止まった。
佳奈ちゃんの手紙。
「最悪のパターンだな、シロ」
「なんだよ最悪って」
「その手紙を心を込めて書いて、何の返事も何の反応もなかったから俺たちまとめて嫌われたんじゃないか?」
読むと、ずっと見てました、好きですとか書いてある。過去の佳奈ちゃんから。
「あ、う、これ、って……」
「あー? 的中じゃないのか?」
ぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼた。
「あーまた泣き出した。言いたくないが、過去の対応が違っていれば、今の状況も一変していたかも知れない」
「言いたくないなら言うなよ……」
僕は自分の失敗を悔いていた。悔いても何も始まらないと分かっていても、悔いるほかに選択肢は無かった。
「勝手に開くぞ」
クロががさがさと僕宛のメッセージを開いている。
僕はもうこれ以上見たくなかった。
クロの手によって集計されたのが、本気度の高いものが十四重複あり、希望的観測でメッセージを投げてるのが二一重複なし、悪意のあるメッセージが七重複あり、あとはハッピーバレンタインとかそう言ったメッセージカード。そんな配分だった。
*
「シロー、学校行くぞー」
翌朝、インターホンに出ない僕に、クロはでかい声で直接道路に面した僕の自室に呼びかけてきた。
でも学校には行きたくない、行かないと決めていた僕は、クロの呼びかけを無視した。
と、バタンと扉の閉まる音がしたと思っていたら、程なくクロとあずさが揃って僕の部屋に飛び込んできた。
また何か説教だろう……そう思っていた僕は、のそのそとベッドに入りタオルケットを頭からかぶって二人に背を向けた。
最初は二人がいる緊張感があったがそれもしばらくして消えて、僕は眠り込んでしまったらしい。
目が覚めたとき。二人はまだいた。
大して時間が経ってないのかと掛け時計に目をやると、午後二時過ぎ……
「クロ、あずさ……お前達ずっと……?」
「もちろんだ」
「お兄ちゃんの危機だもん」
僕はクロを睨みつけた。もしかして恋愛問題云々をあずさに話したのかと思って。
だがクロは平然と、顔の前で手を左右に振り、ノーを示す。何にノーなのか、僕らくらいになれば十分通じる。
「あずさ、お前皆勤賞目指してたんじゃなかったのか……?」
「兄妹の絆くらい、あたしだって意識するよ。お兄ちゃんが、どういう理由か知らないけれど、あの学校好きなお兄ちゃんが学校行きたくないなんて異常事態だもん。あずさはここにいるよ」
「良い妹を持ったなぁシロ」
「クロはちょっと黙っててくれ、あずさ、僕はあずさには学校に行ってて欲しいよ? この問題はあくまで僕の問題だから、あずさを巻き込みたくない」
「そんな他人行儀なこと言わないで!」
あずさは僕に背を向けると、セーラー服をまとめて脱いで、その下のシャツまで脱ぎ捨て背をあらわにした。
「お兄ちゃん、見える?! クロ先輩から聞いてるかも知れないけど、これが私のいじめられた痕、今ではあたしこれは兄妹の証だと思ってる。あたしには痕しか無いけれど、お兄ちゃんには格好良くてきれいで、誰にも誇れる翼があるじゃない!」
あずさは脱ぎ捨てた服を着直すと、
「だからあたしは……お兄ちゃんのそばにいるよ、ずっと」
あずさはそう言った。
僕の視線は、今や服の下となったあずさの背中から、女の子の背中に付けられた無惨な痕から、ずっと離せいでいた。クロから聞いていたが、実際にこんなむごいことを。
「シロ、こういった誠意にはどう対処すべきだったか? 昨日学んだはずだが」
「あ……ああ、そうだな、クロ」
僕はおぼつかない足取りで着替えを取りまとめると、
「着替えるから、外、出ていてくれるか」
二人に告げて、手早く制服に着替えた。
再び扉を開くと、あずさの姿はそこに無かった。
「あれ、あずさは」
「『お兄ちゃんたちと違って徒歩だから先に行く』と言って走っていったぞ」
「あぁ、そりゃそうか」
そして、僕はベランダから、あいつは道路で横向いて羽ばたき、僕たちは空路で学校に向かった。
*
「お前ら大遅刻だな」
「すいません」二人で答える。
「どうも新聞部の報道が正しかったと見えるが」
はぁっ? ……と、新聞部の新聞を担任から渡される。えー、シロ悲劇、体育祭の悪夢……完全に僕のネタじゃねーか!
「まぁ担任だから言うが、失恋に負けるな、な、シロ」
クラス全員が笑いをこらえているのが背中向けてても分かる。吹き出している奴もいる。僕はそんな空気がたまらなく嫌だったので、ベランダから飛び出してそのまま家に帰ってしまった。
*
翌朝。一時間近く早く、クロが僕の家に来た。僕はと言えばその時間、いつもだったら朝食を食べに降りてこようかという時間だが、昨日と同じで食欲はなかった。ので、起きてはいたが自室でぼんやりとしていた。
「シロ、起きてるんだろう。入るぞ」
問答無用で入ってくるクロ。それをどうこう言う気力も無く、ベッドの上で三角座りをしたままでいた。
「シロ……昨日の担任の対応は、担任自身不適切だったと詫びてたぞ」
「そんなの、もうどうだっていいよ……」
「何が原因なんだ、確かに佳奈とのことがショックだったのは分かるし、翼のことを言われたのが堪えたのも分かる。昨日の担任の事もだ。だがそんなことより厳しいことだって今まで幾らもあったじゃないか」
「自分の……」
「幾らでも聞く、時間は気にするな」
一言で言えば、自分が子供だったってことか。
言葉を増やせば、良い例がバレンタインだ。単にクロや他の友達ともらった数を競うことはあっても、くれた相手の心になって考えたことがなかった。コラコンにしてもそうだ、自分では窮地を脱した気になってたけども、演劇部のあいつにとって、あいつだって「演出担当」として名前を読み上げられる存在、それなのに僕はとんでもない演出上のミスをしたのに、悪びれもせずにへらへら笑ってたんだ。
自分のことしか考えない、最低の人間。翼がどうこうと言う以前に。僕は、そうクロに伝えた。
「目立つ、というのはそんなもんだろう」
クロは一言で答えた。いまいち意味が掴めない。僕が無反応でいるとクロは、
「つまりだ、俺たちはまず翼を持って生まれた。これだけで相当目立っているわけだ。学校やクラスという閉じた空間にあればなおさら、その目立つ度合いは上がる」
それで、と僕が聞くと、
「目立つ者にはそれなりの高いレベルの何かが要求されるものだ。別に俺たち自身が目立ちたいと言ったわけでもないのに、だ」
「じゃあ……僕は目立つための能力が無かったってこと……」
「でもない。そもそも、生まれ持った目立つ資質なんてのに後付けの能力なんてありはしない。ただありのままでしかあり得ないんだ」
ありのままでしかあり得ない……。
「ありのまま……」
「そう、ありのままだ。例えば俺の翼を考えてみろ。持ちたくもないのに背中にどれだけの殺人武器を背負ってるんだ。その一方、お前より早く遠くまで飛ぶことが出来る。清濁併せ持ってるのが俺たちの翼だ」
「僕のは……あまり飛べないけど、防御となったら相当だって……力士のつっぱりも平気で止める弾力と丈夫さがあるって……」
「だろ? 外見だってそれと同じだ、俺だってお前のようにきらきらして天使みたいな翼だったらいいのにと幾度思ったことか。俺は大抵ゴキブリ呼ばわりだぞ? それを考えればお前の白い翼はうらやましい限りだ。今日の今日までそれぞれに生まれ持ったものだからと言わないでいたが」
「へー……クロも僕のことうらやむなんてこと、あるんだ」
「ただ言わないだけでな……」
クロが少し照れくさそうに目線を外す。初めて見るクロのそんな様子に、なんでか知らないが元気が出てきた。優越感? とも違うな、新たに仲間が出来たような、心強い気持ちで胸がいっぱいになる。
「僕、ご飯食べてくるから。クロも一緒にどう?」
「あ? 元気に……はなったようだが、いいのか朝食一緒なんて」
「たぶん大丈夫だよ、今日はあずさが当番だから」
僕の前には普通の二たまご目玉焼き。
クロの前には四たまご目玉焼き。
はいどうぞっ、とクロの前に置かれたそれに、目を疑ってしまった。
もちろん優しいクロのこと、四つも目玉のある目玉焼きを懸命に平らげたのは言うまでもない。
*
新聞部は、ちょうどうちのクラスにいたのが部長だったのが良かった、僕の希望で子供っぽいことをすることにした。
地上三十メートルくらいまであがったかな、クロと二人で。目玉焼きパワーか、上昇は力強かったように感じた。
泣いてたな。
でもまぁ。
人の恋路をあざ笑った罰だからね、小さくてもマスコミ、僕嫌いだし。へへへ。
第三章の二 運命の風
夏と言えば休み。およそ四十日の大連休が僕の心を沸かせる、踊らせる……はずが
「何で僕ら勉強してんだクロ」
「三年の夏休みは勉強合宿だろシロ」
「そんな一般論はどーでもいいんだよ、ほら、受験心配いらないって担任も言ってたじゃん」
「高校に入ったときに困る。いきなり劣等生は嫌だろう」
「まぁ、そりゃそうだけど……」
そんなこんなで夏休みも終わってしまった。僕の夏を返せクロー!
*
早くも秋……休み明けの実力テストでガツンとスコアアップしていたのはうれしかったが、この勉強漬け生活の何が楽しいんだ……とクロにも言ってみた。
「もうすぐ文化祭があるじゃないか」
「あ」
文化祭である。勉強から逃げられるなら別に何でも良かった気もするが、文化祭である。大っぴらに勉強をサボれる。
それに、元々コラコンと文化祭に的を絞っていた僕だ。
何をやろう、今からタロットでも勉強して占いでもやろうか、それとも……
「二人揃ってC組のマスコットキャラクターになって欲しいです」
HRで出た僕たちへの依頼は、そんなのだった。その場で拒否することも出来たけども……詳細を聞いてみたら、ますます拒否したくなったんだが……。
だが担任が、
「お前ら、部活に所属してないんだから、文化祭で何かやるとなるとクラス企画で参加するしかないんだぞ」
この一言で、マスコットキャラクター確定となった。クロは僕が参加するから渋々、といった調子だったが。
*
「……俺はアドバルーンか」
第一回のクラス内の文化祭実行委員会は、そんな一言で始まった。クロは特に怒ってはいないようだが、自分に与えられた役が、考えていたものより気の抜けるものだったらしい。口をぽかんと開けている。
「悪意はないつもりだけど……もし嫌なら他でも」
「いい、断ったら火あぶりのモデルにでもされそうだから、アドバルーンでいい」
クラス企画は『中世の魔女狩り』がテーマだそうな。誰だそんな品のないテーマ掲げたのは。
「それでシロ君には、磔になってもらいたい」
「……ごめん、ちょっとよく聞こえなかったんだけど」
「は・り・つ・け」
「イ・ヤ・ダ」
「じゃあ……クロと一緒にアドバルーンやる?」
「体力的に無理」
「じゃやっぱり、はりつけしかない。実行委員として言うけど」
「はりつけぇ〜? マジかよ……」
でどんなはりつけかと聞くと、
「天使を生け捕りにして、飛んで逃げないようにその特徴的な翼にくいを打ったって設定だけど、どう?」
どうとか言われてもねぇ……どっちにしろ拒否権は無いわけだし。
「しょーがないからそれでいい」
「OK、二人の役柄は決まったね。二人とも人を寄せる広告塔だから、クロは動いてシロは固まって。頑張ってくれよ!」
そう言われてもねぇ。文化祭は生徒主催で先生が口出さないからって、ちょっとセンスが悪すぎる気がする……
文化祭の準備も徐々に進んでいき、いよいよ僕のはりつけ道具も揃った。
結構太く感じるくいが二本、木組みの十字架が一つ。やっぱりはりつけには十字架が定番なのかな。
「とりあえず一度はりつけてみよう、シロを」
僕を連れて、みんながわいわいと屋上に上る。鍵は開いている。僕らがここから登下校するのがしょっちゅうだからだ。
「……よしっ、これでいいね」
あっさりはりつけられてしまった。
細かく見れば、翼としてはかなり体寄りの部分にくいが入っている。十字架の縦棒が足下にあってかなり歩きにくい。
「これで予定位置、フェンスの外側にシロを出せば完成だなっ」
「おいおいおいおい、頼むから落とさないでくれよぉー」
僕を不安定に持ち上げる級友たち。
「命綱ついてるから大丈夫だよシロ」
確かに僕の胴回りには縄と言うには細い気もするが、命綱は回っている。
よいしょっ、とかけ声がかかり、僕は処刑地のはりつけ気分を味わうことになった。翼は先の方しか動かず
「あーシロだめじゃん翼動かしちゃ」
……もとい実行委員に翼を動かすことを禁止され、下を見るとちょっと怖くなってきた。いつもならこんな高さなんでもないのに。
そのときだった。
まだ生暖かい、運命の風が吹いた。
「うわっ、わっ、シロ」
視界が否応なく地面を写す。
「命綱!!」
「えっま……てな……!!」
「………! ……、…………!!」
級友の声は気配にしか聞こえず、聞こえるのはヒューという風切り音だけだった。命綱は落ち始めにシュルっと音を立てて抜けていった。
自由落下。何故翼を持つ僕が。
翼を、縮められる限り縮める。くいのせいで全部は無理だ。
自分がコンクリートの地面で弾んだのは分かった。それまでだった。
第三章の三 消え去るもの
視野が狭い。目が覚めた時、そう感じた。でも実際には、真っ白らしい壁に暗室のような明るさ、錯覚のようなものだったようだ。
体を起こそうとすると、背中が痛む。
背中が冷たい。
背中が冷たい。
そんなことありえない、羽根を背負っている僕が背中に冷たさを感じる事なんて生まれてこの方無かったそれなのに何故今日はそうじゃないんだろう何故
僕は、恐る恐る、背中に手を、回した。
あるはずのものがそこには無かった。
「…………………………!!」
*
視野が暗い。今日がこのICUから出る日だ。たぶん。でも今はいつなんだろう。日付感覚がなくなっている。
僕が最初に目を覚ましたその時は、結構暴れたらしい。あずさから聞いた。
はぁ……翼とももうお別れなのか……せめて記念にとっておきたかったけど、それも未練かな……これで僕も普通の人になったわけだ、はは、は、は……普通、か。僕の普通は違ったのにな……
そういえばクロはどうしてるんだろうか……文化祭は中止になったってこともあずさから聞いてる。そういえばあずさ、冬服着てたな。どのくらい寝てたんだろう僕は。
あいつ、超然として受験勉強に時間を割いてるのかな……
「宮下さん、宮下このはさん、起きてますか?」
「あ、はい」
「今から個室に移動しますので」
ICUの扉が開くと、そこには馴染みの顔が揃っていた。両親、あずさ、クロ、楠先生、クラスのみんな、まぶしい光……それに、佳奈ちゃん。頬が色づくのを止められない。
ベッドが個室に入り、看護婦さんたちもいなくなると、皆一斉に僕に話しかけてきた。多すぎてぼんやり聞いていたが、ふと思った。なんでこんなに多いの? 学校は?
「あずさ、学校はどうしたの」
僕が言うと、途端誰も話さなくなった。アレ?
あずさは僕に、カレンダーを手渡し、今日ここ、と指した。
二十八日……三月ぅ?!
「えっ、もう学校終わっちゃったの?! 卒業式は? 受験は?」
バレンタインは、と口から漏れそうになり口をつぐんだ。
「お兄ちゃんずっと眠ってたんだよ、先週まで」
「起こしてくれよ」
「命が危ないときもあったんだよ、起こすとかの話、はなしじゃ……」
あずさが床にしりもちをついたと思ったら、大きな声でわんわんと泣き出した。クラスメイトの中にも涙目になっているのがいる。
「……心配かけちゃったけど、僕はもう大丈夫だから」
そう言って、ベッドに手を置いて降りようと思ったが……体の自由が効かない。何故だ。
「シロ、六ヶ月も死線をさまよってたんだ、リハビリなしじゃ動けないぞ」
「クロ、そう知ってるんならちょっと手伝え」
「ダメだ。転んで怪我をするから」
「じゃ別のこと頼みたいから来て」
「あー……大体分かってきたが」
私服のクロが真横に来る。こそっと、佳奈のことか、と耳打ちする。
「そうだ、僕は動けないから手筈をしてくれ」
「殿様のようだな」
「いいから頼むクロ」
クロはこともあろうにあずさにも耳打ちして、クラスのみんなや担任、両親を部屋から追い出して、ごゆっくり、と抜かして扉を閉めた。丸分かりじゃねーかこのやろう〜
でも……丸分かりでも何でも、会いに来てくれただけでうれしい。心が和む気がする。佳奈ちゃん……
「今日、私、迷惑だったかな……」
「迷惑だったら、クロに言ってでも追い出してもらってるよ、佳奈ちゃん。僕こそ……何を言えばいいのかな」
困った。本当に話題がない。
「あ、これ、バレンタイン。もうホワイトデーだって過ぎちゃってるけど」
僕に手渡される、手のひら大の箱。
「あ、あの……開けてみて、いい?」
「すぐに開けて欲しいよ、一年の時みたいじゃなく」
「え」
「クロ君から聞いたもん、メッセージカードほったらかしだったって事。だから今回は……」
少し気持ちの動揺があるが、開けてみる。そこにあったハート型のチョコには、白い文字でこうあった。
『翼がどうであれ、君が好きです。 佳奈』
僕がそのメッセージに戸惑い固まっていると、佳奈ちゃんがこう付け加えた。
「シロ君にメッセージ伝えようと思ったらチョコの上に書くしかないかなって。新鮮な方が良いかと思って、作り直して三つ目だから、味も良いと思うよ?」
クスクスと笑う。
でも、引っかかりがある。
翼。僕の、僕たるゆえん。
「佳奈ちゃん、もう翼は無くなっちゃったみたいだけど、僕は一生翼のことを引きずると思う。もし佳奈ちゃんが、僕に翼が無くなったからこう書いてくれたなら……」
チュッ。
「難しく考えないでシロ君。あの時の言葉はその場しのぎ。傷ついてたなら、ほんとゴメン。一年の時のことがあったから……」
ぽー……とする。頬へのキスってこんな特効があったんだ。
「あれ、シロ君大丈夫?」
「あ、うん」
ガラッ。
「おめでとうシロ君復活で即彼女ゲットの大号外速報?」
くだんの新聞部部長。
「お前もなかなか、隅に置けんなぁ」
担任。
「そこはもう少し観客をぐっと寄せてからでないと」
演出。演劇部の、あいつ。
「おにいちゃんも、いっちょまえじゃない……」
あずさ。
そして……
「念願が叶って良かったな。これでお前達は俺たちが証人となった立派なカップルだ」
クロ。僕の大親友、島村黒翼!
僕は数々の人に囲まれて、佳奈ちゃんを横に、最高の時を迎えた気がした。
唯一、僕の背中から消えたものを除いて。
エピローグ
三月三十一日。
学校は僕のためだけに卒業式を開いてくれた。リハビリに取り組み始めたばかりで歩けない僕は、車イスでの出席となった。演台も下に下げられて、僕がこのままでも、卒業証書を受け取れるように工夫されていた。
「卒業証書授与、卒業生、三年C組宮下このは」
はいっ、と元気に答える。
クロが車イスを押してくれて、演台までたどり着く。目の前には、いつもの理事長がいる。
あ……僕にはもう翼がないんだから、理事長に会うのも、こういう行事の時だけになるんだ……。
「大変な事故だったね、シロ君。でも翼は君を守ってくれた。君の翼は研究室にあるから、いつでも昔を振り返りたくなったとき、来て良いからね」
もちろん理事長室にもね、と付け加えて、「三年C組宮下このは、右のもの中学の課程を全て修了したことを証する。加えて」
加えて? 普通そんな文だっけ?
「三ツ村学園高校の無試験推薦枠により同高校への入学資格を有することも、ともに証するものである 二千四十五年三月三十一日、三ツ村学園理事長三ツ村信成」
えっ、てことは……
「入るかい、三ツ村高校」
微笑む理事長、必死にうなづく僕。
「始業式、楽しみにしているから」
理事長は優しい微笑みのまま、体育館から去っていった。
*
「そう、そう……やったねー、今日のリハビリ、クリアできたじゃん」
「なん、と、かね……」
バテていた。
しかしバテてなどいられない、クロと佳奈ちゃんが仲良さげにしゃべっているのが何か違う気がするからだ。
「し、シロ、そう怨念のこもった目で見ないでくれ、俺は何もしていない」
「もーシロ君たらヤキモチやきなんだから……しょーがないなぁ」
チュッ。
何か、世界が明るくなったような、ごまかされたような、不思議な気持ちになる。
「私はシロ君のものなんだから。もっとリハビリして、早く私を抱きしめられるようになってね」
う、うん……頷いてもはずかしい。
でももっと、鍛えよう。
「クロ、ちょっといいか」
「よくない」
「よくなくても来てくれ、研究室に行きたいんだ。今の最速は杖、これじゃ日が暮れる。空のタクシー、一台頼む。な」
「お前一人だけしか連れて行けないぞ、研究室には機密もあるんだから」
「んー……佳奈ちゃん」
「ん?」
「今から研究室に行くんだけど、どうしてもここだけは君を連れて行けないからえーと」
「うん、分かるよ。機密漏洩はやばいもんね」
行ってらっしゃーい、と僕らを見送ってくれるその明るさが気になる、うぅむ。
「あんまり疑心暗鬼は薦められないぞ」
「だってー」
「気持ちは分からんでもない。ほら、着くぞ」
研究室には、僕の翼が標本になっていた。「おー……外から見ると、でけぇ」
「きれいに修復したつもりだけど」
「うんきれいきれい」
……でももう戻ってこないんだよね、コレ。
「あ、そうだ、今日は聞きに来たんだった」
「何でも?」
「リハビリの進み方が非常識に早いんだって。高校入学頃には自力歩行も可能だろうってさ。何で?」
「えっ、ホントに? うーん、ちょっとごめん」
研究員さんの一人が、僕の無くなった翼の辺りを服の上から、更に服をめくって、直接触っている。
「尋常じゃない回復力ってところか……」
「えっ、研究員さんそれどういう……」
「翼が生え始めてる」
*
「クロ、まだ骨格と筋肉少しだけで羽根がないけど、クロと一緒に、もう一度あの空を飛べる日を夢見ても良いみたいだぞ」
「何、ほんとか? 俺はもうその夢は捨てていたが……いつかまた、あの夕焼けの空を、白日の空を、シロと共に悠然と飛び回る事が出来るのか?!」
「悠然と言うより僕は必死だけどー」
リハビリと共に、日に日に背中の突起は大きくなっていく。初めての羽根は……
「取ぉった!」
あぁっ、あずさ! せっかく佳奈ちゃんにあげようと思ったのに……。
そんなこんなで
やっぱり僕らの日常は騒々しい。
(了)