悪夢と一時の再会
先程の様子が気になって、けれど、やはり恐ろしい気もして――アリスは少しだけマニュアと距離を置く。
マニュアもこのままではいけないと、考え込む。
ほかの仲間達も、薄らと二人の様子がおかしい事に気付いてはいたが、聞いていいものかどうかもわからず……あまり気にしないようにしていた。
ゆっくりと日が落ちる空を見て、マニュアの心は馳せていた。
(……今日は満月……。なんだか嫌な予感がするなぁ……何も悪い事が起きなければいいけど……。そしてたぶん、次の満月は……)
―-そして。
夜が訪れた。心が騒ぐ。
力強く輝く満月に、眠れない夜を過ごしている――かと思いきや、マニュアはしっかりと眠っていた。
「くぉー……」
そして、夢を見た。
――それは、遠い、昔の記憶だった……。
***
(……ここは、どこ? 私は誰? ……っていうのは冗談で)
夢の中でもボケている余裕のあるマニュア。この方がいつものマニュアらしいというかなんというか……しかし、前回のアルトの事は言えない気がする。
マニュアはある空間に佇んでいた。そして、見た。もう1人のマニュアを。
(あれは、私……? ……あれは、昔の私だ!)
そのマニュアは、耳が尖っていて肌は浅黒く、牙も見えている。――そう。コープスの町外れで出会ったあの一家のように、彼女の姿は魔族そのものをしていた。
更に今のマニュアよりも……僅かだが、背が高いように見える。つまり、今よりも成長しているという事であろう。それなのに『昔の』マニュアとはどういう事だろうか?
そのマニュアは手に青い玉のようなものを持っていた。
立っている世界の空は、黒い雲に覆われていた――いや、真っ黒だった。まるで闇の世界のような……。
(覚えてる……。この後、私は、この玉の色が黒く変わるのを見るんだ……)
マニュアの思った通り、玉の色は黒に変わっていった。
(……そして辺りを見回すんだ。そこでティルちゃんとアルトちゃんを見つける……)
その後もすべて思った通りだった。
もう1人のマニュアは辺りを見回し、ティルとアルトを見つけると2人の元へと駆け寄っていった。
「ティルちゃん……世界が…………」
魔物の頭を撫でていたティルは、そう呼び掛けたマニュアの言葉を遮るように言った。
「人間界が。……滅んで、魔界になっちゃったよ……。そう。ここなら、ずっと魔物と一緒……」
そう言うティルを見ていられないのか、アルトの方を向く。
「アルトちゃん……!」
「おめでとう。……明日は、結婚式なんだってね。……の魔王と一緒に――」
(――『魔界となった人間界を支配し、そして、君は1人前の魔女になれるんだ……』)
マニュアはその先の言葉を頭の中で呟いていた。もう、わかっていたからだ。
アルトの言葉に、もう1人のマニュアは目蓋を閉じてゆっくりと頷いた。
2人の目は虚ろで、声にも感情などなく、もうどこか壊れてしまったのだと感じさせる。
(…………これは、未来。この先の未来。……未来を、変えなきゃ……!)
マニュアは思い出していた。これは『未来』の記憶だと。
真っ暗な世界を見つめた。空だけじゃない。この世界の何もかも全てが闇に覆われていた。
(……人々が滅んでしまうくらいなら……私が滅んでやる。命に代えても、護らなきゃ……)
その時、空から聞き覚えのある声が響いた。
「……ミリア……」
「……お母……さん……っ!?」
もう1人のマニュアが、それに反応して叫んだ。
母と呼ばれたその声は続けた。
「過去に戻るのです……。そして、人間界を救うのです。この道からなら、今から13年程前――あなたが産まれた頃にまで戻れます……。この星を護る為にも……さぁ、早く!」
母がマニュアの隣に光に包まれた空間を作る。
母と短く会話を交わすと、もう1人のマニュアは躊躇することなく、それに飛び込んだ。
マニュアの姿は消え、そこには黒ずんだ玉が1つ転がっているだけだった……。
「……ミリア……。……いえ、マニュア……」
いつの間にか。マニュアの隣にはその母が立っていた。懐かしい、とても懐かしい姿……。
今、母はここにいるマニュアに向かって話し掛けていた。
「お、お母さん……わ、私……私に言ったの? 私が、見えるの……?」
母親は微笑んで頷いた。
「お母……さん……!」
マニュアは幼い頃に母を失っていた。
いなくなった筈のその母が、そこで微笑んでいた。
その気持ちは言葉にならず、唯々涙を零す事しかできなかった。
そんなマニュアの姿を見ながら母は少し寂しそうに微笑んで、今度は強い口調で言った。
「マニュア……聞きなさい。この夢は、あなたの昔の記憶。それは、わかっていますね……」
「うん……」
「この夢は、私が見せたものです」
「え?」
涙を拭って母の方に向き直った。母の足元には、ピュウが立っているというのか座っているというのか――いた。
「え、ピュウ……どうして……」
「マニュア、聞きなさい」
母が続けた。
「あなたは、この空間を抜けて、小さな体の過去に戻り、もう1度人生をやり直しました。……しかし、今のところまだ未来が変わっている様子はありません。このままでは、また同じこの未来が繰り返されてしまいます……」
母の言葉に、マニュアは視線を落とした。
「わかってる……」
「……あなたの睨む通り、この次の満月は特殊な満月。今度はきっと、その夜が決戦となることでしょう」
「……それまで、生き延びられれば、ね……」
「……あなたは、まだ……我が家の秘宝だったあの水晶を持っていますね?」
「うん。持ってる……」
マニュアは腰に提げたシザーバッグから1つの玉を取り出した。それは、先程青から黒に変色したその玉と同じ物だった。
しかし、彼女の手に持っているそれは、青かった。
「過去に戻った時――その水晶は青く輝いていましたね?」
母の問いに頷く。
「うん。青く戻ってた。真っ青で綺麗だった」
「そうですね……。でも、その水晶は、もう、黒く濁り始めています」
「えっ……!?」
マニュアは青いその玉を覗き込んだ。
ボールの奥のほうに、黒く淀んだ闇が見える。
「……! ……もう、時間がありません」
母が空を見上げて言った。
マニュアは驚いて顔を上げた。
「えっ!? どっか……行っちゃうの!?」
母は寂しそうに言う。
「……えぇ。もう、戻らなくては……。マニュア、どうか未来を頼みます……」
そうして、姿は少しずつ薄れていった……。
「あっ……! 待って! お母さ――――――――――――ん!!」
叫び声は空しく。もう母の声は聞こえず、姿も消えてしまった。
マニュアが乾いた大地を見つめた時――……辺りが真っ白になり……そして、目が覚めた。
一粒の雫が顔を伝っていく。
「――お母さん…………」




