遠く聞こえる
イグニスという町に辿り着いた。早速宿を取り、部屋に入る。
昼食を取る前に、マニュアは1人、部屋に篭っていた。
『ミリアよ。人間界の様子はどうなんだ?』
手の上に乗せられたペンダントの向こうから声がする。
「はい。今のところ、これといった動きはありません」
(なんで――……)
意識に靄が掛かったように朦朧としている。ペンダントに答える声すら、遠く聞こえる気がした。
それは確かに、マニュア――自分自身の声だというのに。
(なんでだっけ……? なんで、私は、こんな事を――)
自分が今まで何をしていたのか、そして、今何をしているのか。はっきりとわからない。
確か、この間も、こんな事が――そして、誰かを傷付けたような気がする。
(私は――)
『では、引き続き頼むぞ。おまえが戻ってくる日を楽しみにしている』
そんな言葉を残して、ペンダントの声が途切れた。
途端、マニュアは、はっ! と目を覚ましたような感覚に襲われた。意識もはっきりとしてくる。
(あ、あれ? 今……)
今何が起こっていたのか思い出そうとする。
(……なんだろう。私、なんだかおかしい……。――そうだ。あの時。私が魔王を倒さなきゃいけないと思い出したあの時。あの時から――)
マニュアは1人記憶を辿る。
魔王を倒す旅に出ようと決めたあの時――それは、今彼女の手の上にあるペンダントを初めて手にした時の事であった。
(そう決めたのは、確かにあの時だった。けれど同時に、あの時から何かおかしい。どうして――?)
手にしたペンダントを見つめる。
まさか――?
カチャ。
そんな事を考えていると、部屋の扉が開いた。その向こうにはアリスが立っている。
「ホワさん、遅い! 皆待ってるよ!」
そう言いながら部屋へと入ってきた。
アリスはマニュアの事を『ホワさん』と呼んでいるようだ。
マニュアは慌てて、
「あ、あぁ、昼ご飯ね……ちょっと待って。今行く」
ペンダントを机に置き、アリスと一緒に部屋を出ようかとした。その時。
ドクン……。
マニュアの中の、何か、がまた目を覚まそうとしていた。
思わずその場にしゃがみ込む。
「ホワ……さん……?」
様子がおかしい事に気付いたアリスは、マニュアの顔をゆっくりと覗きこもうとした。
「ア……リ…………逃げ……て…………っ!!」
マニュアは搾り出すように声を漏らした、次の瞬間!
ガシッ!!
「ぁ……っ!?」
マニュアが思い切りアリスの首を鷲掴みにした。
アリスは驚いて目を白黒させる。
「ホ、ホ……ワ……さん…………っ!?」
「人間は邪魔だ。魔族の世界にするためには、人間は不要だ……!」
そう言いながら、ギリギリとアリスの首を締め上げていくマニュア。
そして、続けた。
「おまえもこれで終わりだ……。ペイン アゴニー……」
(やめてっ!!)
「!? なんだっ!?」
マニュアの中の誰かがそれを止めた。……いや、そもそもこいつ自身が本当に『マニュア』なのかもわからない。
(お願い! 人間を殺すのはやめてっ!)
「うるさいっ! マニュア!!」
心の中から訴えかける声に、マニュアは怒鳴った。
いや、訴えているのが『マニュア』なのであろう。
では、マニュアの姿をしたこいつは一体誰だというのか――?
(お願い! やめて! やめてよ!)
マニュアは尚も訴え掛ける。
「おまえは……っ!」
(やめろ――――――――――――っっ!!)
「うわああぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫び声を上げ、アリスの首からマニュアの手が離れた。
アリスはその場に崩れ、咳き込む。
「がはっ……! げほ、ごほ……っ!」
「…………!! マニュア……! ミリア……!!」
「ホ、ホワさん……?」
アリスは辛そうな表情のまま、マニュアの方を向いた。
暫くの間、沈黙が続いた。そして……。
「……ごめん…………」
一言、そう謝罪の言葉をマニュアが告げた。
「……ホワさん……」
アリスは名前を呼ぶ事以上、何も言えず。ただマニュアを見つめていた。
マニュアは立ち尽くし、自分の拳を見つめた。
(……時が、近付いている……。どうにかしなきゃ……! このままじゃ、世界が……。……歴史は繰り返される。私は、未来を……! もしも、また、あれが現実に……!!)
拳を見つめたまま、小さく震えていた。




