知らない名、聞き慣れない声
ティルが部屋の前まで来た時だ。
『――リ……ミリ……! い…………げ……に…………』
(……誰の声……?)
中から聞き慣れない声がした。
「……もう……わ…………」
『…………と……に…………!』
だが、はっきりと聞き取れない。
今度は、ドアに耳を付けてみた。神経を集中させる。
『……ミリア! おまえ! まだ逆らう気なのか!』
「そんな事はありません!」
『嘘を吐け!』
マニュアと――どこから発せられているのだろうか、知らない声。
一体この会話は何なのか。
(マーと……誰?『ミリア』って……?)
ティルは更に全神経を耳へと集中させた。
『わかっているのか!』
「……はい。わかっています……。私が、魔族だということは。わかっています……お父さん」
(――え?)
そう言ったのは、確実にマニュアの声だった。
思わぬマニュアの言葉に、一瞬ティルの思考は停止した。
(魔族……お父さん……!? どういう事……?)
すぐさま我に戻り、次の会話を待つ。
『そうだ。おまえは魔族なんだ。人間ではないのだ。忘れるな。おまえは魔界の住人なのだから……魔王を裏切るな』
「はい……」
(マーが……魔族!?)
驚きに身動きが取れないまま、マニュアと何者かの会話を聞き続けるティル。
「お父さん、報告があります」
『なんだ?』
「魔族の血が流れている者を見つけました。魔族と人間の……両方の血が流れています」
淡々と喋り続けるマニュア。
その言葉に、もう1つの声が尋ねる。
『ほう? 興味深いな。誰だ、そいつは?』
(魔族と人間の血が流れている者……? マーは、一体何の話をしているの?)
中の様子を窺いたいところだが、扉を開けて気付かれるわけにもいかず、ティルはただ立ち尽くすばかりだった。
何者かの声に、マニュアがゆっくりと返事をするのが聞こえた。
「それは――……名前は『ティル・オレンジ』です」
(えっ……!?)
ガチャ……!
さすがに、もう立って聞いているだけにはいかなかった。思わず扉を開けていた。
マニュアは、はっとして扉の方を見た。
「あ……マー……」
何が何だかわからないまま、ティルはそこに立っていた。
「ティ、ティルちゃん……」
マニュアはペンダントらしき物を持って、そこに座っていた。
ティルはなんて言ったらいいのかわからないまま……とりあえず、声を発する。
「あの……散歩の行かないって言うから……調子悪いのか、様子を見に……」
「あ、あぁ……大丈夫、だよ……」
気まずい空気が流れる。
ティルが再度口を開く。ゆっくりと……。
「ねぇ……マー……」
「え……?」
「私とマーが魔族なんて……嘘でしょっ!?」
「!! ティル……!」
ティルは涙目でマニュアを見つめた。
マニュアは耐えきれず、ふっと視線を逸らした。
「嘘だよね? 何……? お父さんって……? 魔族なんて……魔王を裏切らないって……??」
「……消して……!」
マニュアがぼそりと囁く。
ティルにはよく聞こえず、涙目のまま訊く。
「え……!?」
「こいつの記憶を……消して!!」
マニュアが叫んで立ち上がり、ティルに向けてペンダントを翳した!
「マー……っ!?」
ペンダントから、何か聞いたことのない言葉が聞こえてくる。
「記憶を消してぇ!!」
「マー!」
マニュアとティルの叫び声が響く。
ペンダントから響く声が益々大きくなる。そして――
「ティルちゃん……ごめん……!」
ゆっくりと、ティルがその場に崩れ落ちた。
マニュアは翳していた手をゆっくりと下ろすと、ぼーっとその場に立っていた。
それから少しして、
ガチャ!
勢い良く扉が開いた。
「遅いから見に来たんだけど……ティーちゃん、どーしたの?」
アリスが顔を覗かせる。
マニュアは苦笑いを浮かべて、
「あ……えーっと……なんかティルちゃんも疲れてるみたいだよ? 眠っちゃったの」
「まーったく。何しに来たんだか」
ストームが入ってきて、ティルを抱え上げた。
マニュアはその様子を見ながら、消え入るような声で呟いた。
「……ティルちゃん……。本当に、ごめん……」




