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死にたがりの聖女は、冷徹公爵に死ぬほど愛される 〜自爆特攻で現代に帰るつもりだったのに、なぜか救国の英雄として執着されています〜  作者: 九十九 文


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第5話 死ぬのを諦めた聖女



結婚式当日の朝、エリカは鏡の前に座って、しみじみと思った。


(なんで結婚してるんだろう、わたし)


 白いドレスは豪奢で、頭には花冠が乗っており、使用人が三人がかりで髪を整えてくれている。窓の外には大聖堂の白い尖塔が見え、遠くから音楽が聞こえてくる。


 完全に結婚式の朝だった。


(おかしいな。帰るつもりだったんですが)


 振り返れば、あの廃城での一件から二ヶ月、何かがじわじわと変わっていった。


 キリアスが積極的になった、というか、もはや「積極的」という言葉では足りないレベルになった。


 朝食を一緒に取ることが当然になり、散歩もほぼ毎日になり、エリカが外出しようとすると自然にキリアスがそこにいるようになった。


(護衛が増えたんじゃなくて、本人が来るようになったの、どういうことですか)


 そして一ヶ月前、突然求婚された。


 食堂で普通に朝食を食べていたら、「エリカ殿、私と結婚してくれるか」と言われた。スープを持ったままの状態で。


 エリカの頭の中では様々なことが一瞬で処理された。


 まず「断るべき」という正論。次に「でも断ったらこの人どうなるの」という懸念。そして「死に場所、もう一年近く見つかってない」という現実。さらに「そもそもわたし、最近あまり帰りたいと思ってなかったな」という発見。


(……あれ?)


 その発見が、じわりとエリカの胸に広がった。


 カレーうどんを、最後に夢で見たのはいつだっただろう。日本のことを「帰りたい場所」として切実に思ったのは、いつが最後だっただろう。


(わたし……いつから、ここが「いる場所」になってたんだろう)


「エリカ殿?」


「……はい」


「返事を、聞いてもいいか」


 エリカはキリアスの金色の目を見た。その目に、緊張と、隠しきれない熱と、そしてほんの少し不安の色があった。


 この人は、本当に自分を好きなのだろう。


 最初からずっと勘違いし続けてきたとはいえ、その感情は本物だった。


(わたしのことを、ずっと守ろうとしてくれてた。わたしが死のうとするたびに、ちゃんと全部ここに留めてくれてた。……もしかして神様の思し召しって、死んで帰ることじゃなくて、ここに居続けることだったんですかね)


「……一つだけ聞いていいですか」


「なんでも」


「わたし、これから先も変なことをするかもしれないし、公爵家の令夫人らしいことが全然できないと思いますよ」


「構わない」


「公爵様の威厳を損なうかもしれません」


「それも構わない」


「……本当に?」


「あなたがそこにいれば、それで十分だ」


 キリアスは微笑んだ。あの夜から少しずつ増えていた、その柔らかい笑みで。


 エリカは、ため息をついた。


「……もう。諦めました」


「何を?」


「色々と。はい、喜んで」


 というわけで、結婚式当日の朝を迎えている。


 鏡の中の自分は、見知らぬくらい綺麗だった。


(エリカ・水無月、日本産、元帰宅志願者、享年……まだ生きてます。異世界に定住します)


 扉がノックされ、使用人が「準備が整いました」と告げた。


 廊下に出ると、キリアスが待っていた。


 軍服ではなく、白と金の礼装。騎士の装いに近いが、飾りがひときわ豪奢だ。しかし何より目を引くのは、その表情だった。


 冷徹公爵の顔ではない。ただ、エリカを見て、静かに、深く、揺れている顔。


「綺麗だ」


 短く言った。


「……ありがとうございます」


「緊張しているか?」


「してます。すごく」


(死への特攻は全然平気だったのに、なぜ結婚式はこんなに緊張するんですか)


「私もだ」


「えっ、公爵が?」


「公爵だろうと人間だ」


 その言い方がおかしくて、エリカは少し笑った。キリアスも笑った。


 式は盛大だった。


 大聖堂の天井は高く、ステンドグラスが七色の光を落とした。北方の将たちが最前列に並び、王都からも来賓が訪れた。エリカを慕う民衆が城門の外まで溢れているという報告もあった。


 ただ式の最中、エリカの頭の中では小さな声がずっとしていた。


(帰れなくなったなあ)


 悲しい意味ではなく、ただ、確認するように。


(帰れなくなった。この人の妻になって、この世界に根を張って、たぶんもう帰れない)


 キリアスの手が、エリカの手を握った。


 強くて、温かくて、確かな手だった。


 エリカは指を絡めた。


(……まあ、いいですかね)


 式が終わり、披露宴が始まり、夜が更けた。


 新居に戻ると、エリカはさっそく問題に気づいた。


「キリアス様」


「なんだ」


「この部屋……窓の外、完全に魔法の結界で覆われてますね」


「気づいていたか」


「いつからですか」


「一月ほど前から。改良を重ねた」


(改良……)


「扉にも同様の施錠魔法をかけてある。私以外が開けると警報が鳴る仕組みだ」


「……それ、監禁では?」


「守護だ」


 キリアスは表情一つ変えずに言った。しかし目の奥に、じわりとした熱がある。


「あなたが危険なことをしようとすると体が動いてしまう。ならば、物理的にも安全を確保した方が双方にとって平和だと判断した」


(論理的な言い方をしているが、完全に溺愛の末路ですよこれ)


「あの魔王残滓の一件以来、あなたを失う想像ができない」


「……キリアス様」


「何か不満があれば、遠慮なく言ってくれ。改善する」


「不満というか……少し、重いかなって」


「重い?」


「愛が。全体的に」


 キリアスは一拍置いて、言った。


「それは、これから軽くなることはないと思う」


(正直者め!)


「むしろ重くなる一方だと思っておいてくれ」


「覚悟しておきます」


 エリカはソファに腰を下ろし、天井を見上げた。


 豪奢な天蓋、金細工の燭台、分厚い絨毯。どこを見ても、日本の自分の部屋とはかけ離れた世界だった。


 でも。


「キリアス様」


「なんだ」


「ここは……ここも、いい場所ですね」


 キリアスは少し目を細めた。


「そう思ってくれるのか」


「思います。最近は、本当に」


 公爵は静かにエリカの隣に座り、肩を引き寄せた。


(やっぱり重い。この人の愛は重い。結界も鍵もある種の物理的監禁だし、愛の重量がキログラム単位どころかトン単位だし、帰れる気が全然しない)


(でも——)


 エリカはキリアスの肩に頭を乗せた。


(まあ、いいかな。帰るの、諦めます。少なくとも今夜は)


「エリカ」


「なんですか」


「幸せか?」


 少しの間、エリカは考えた。


 カレーうどんはない。牛丼もない。スマートフォンもない。コンビニもない。日本語のテレビも、自動ドアも、電車も、ない。


 でも。


「……幸せです」


 思いがけず、すんなり出た言葉だった。


 キリアスはエリカの頭を、柔らかく引き寄せた。


「私もだ」


 夜の北の空に、星が溢れていた。


 窓には結界が張ってあって、物理的に外には出られないのだが、エリカはもう逃げ出そうとは思わなかった。


(諦めたら案外、居心地がいいですね、ここ)


 いつかまた神様が「帰れるぞ」と言ってきたとしたら、そのときはそのとき考えよう。


 今は——この重すぎる愛の結界の中で、少しだけ、休んでいようと思った。


 エリカ・水無月、元帰宅志願の聖女は、こうして一つの決意を固めた。


 死ぬのを、諦めた。


 少なくとも、この人が隣にいる間は。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

                                 【 完 】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 あとがき


 エリカの「帰りたい」という感情は、最後まで消えませんでした。消えなかったけれど、薄れていった。


 キリアスの勘違いは、最後まで完全には解消されませんでした。でも彼が愛したのは、そのエリカのすべてでした。


 すれ違いながら寄り添って、誤解しながら分かり合って、それでもちゃんと幸せになれる、そんな話でした。


 またどこかで。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【 完 】

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あとがき


 エリカの「帰りたい」という感情は、最後まで消えませんでした。消えなかったけれど、薄れていった。


 キリアスの勘違いは、最後まで完全には解消されませんでした。でも彼が愛したのは、そのエリカのすべてでした。


 すれ違いながら寄り添って、誤解しながら分かり合って、それでもちゃんと幸せになれる、そんな話でした。


 またどこかで。

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