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死にたがりの聖女は、冷徹公爵に死ぬほど愛される 〜自爆特攻で現代に帰るつもりだったのに、なぜか救国の英雄として執着されています〜  作者: 九十九 文


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第1話 誤解の始まり



死に場所というものは、探せば意外とあるものだ。


 エリカ・水無月、二十二歳は、血の匂いが漂う草原の真ん中で、うっとりとした目をして魔物の大群を眺めていた。


(これは……来た。完璧な死に場所が来ましたよ)


 視界の限り、地平線を埋め尽くすほどの魔物の群れ。先頭の個体は牛ほどの大きさのある凶暴種で、その背後には羽根の生えた中型種が幾重にも重なって空を曇らせている。普通の人間が見たなら卒倒するような光景だった。


 しかしエリカは、手を組んで胸に当て、じっとりとした感動を覚えていた。


(三ヶ月ですよ。この世界に召喚されてから三ヶ月、ずっと探してたんです。こういうのを)


 神様から告げられた言葉は明確だった。「その身が滅びるとき、汝は元の世界へ還る」。


 つまり死ねば帰れる。


 現代日本の、あの穏やかで文明的で牛丼が食べられる世界へ。


 エリカはその言葉を聞いた瞬間から、ひたすら「いい感じの死に方」を模索し続けていた。しかし聖女という職業は、想像以上に死ににくかった。


 傷を癒す治癒魔法。魔物を退ける結界魔法。穢れを消し去る浄化魔法。この三つのチート能力が、ことごとく「死」への道を阻んでくるのだ。


 先月、王都近郊の魔物討伐に志願した。最前線で戦えば死ねると思って。


 結果:気づいたら周囲の兵士が全員回復していて、魔物は結界で押し返され、エリカは傷一つなく「聖女様の御加護で大勝利!」という状況になっていた。


 先々月は毒沼地帯に迷い込んだ(迷い込んだふりをした)。


 結果:体内に入った毒素を浄化魔法が勝手に無害化し、沼地の周辺一帯まで清浄化されて「聖女様が汚れた土地を救ってくださった!」と農民に泣いて感謝された。


(もう嫌だ。日本帰りたい。カレーうどん食べたい)


 そんなエリカの願いが、今日こそ叶うかもしれない。


 この魔物の大群には、「死の魔力」を持つ個体が混じっている。聖女の治癒魔法も、死の魔力には効かないと軍の魔法士が言っていた。つまり、うまく死の魔力を食らえば——


「聖女殿! 下がれ!」


 背後から鋭い声が飛んできた。


 振り返れば、黒い軍服を纏った男が馬を駆りながらこちらへ向かってくる。整った顔立ちをしているが、目の奥が深い海の底のように静かで冷たい。「冷徹公爵」の異名を持つ、キリアス・ヴァン・ドラクロワ。北の守護者にして、今回の討伐軍総指揮官だ。


(あっ、公爵が来た。ちょうどいい。公爵を庇う形で死ねば完璧じゃないですか? 英雄的な最期、しかも大義名分あり。悪くない)


 エリカの頭の中で、高速で算盤が弾かれた。


「危険です、聖女殿! 今すぐ後方へ——」


「大丈夫ですよ」


 エリカはにっこりと微笑んで、公爵の前に躍り出た。


(さあ来い魔物ども。このエリカ・水無月が、公爵様の盾となって散るその瞬間——)


 そのとき。


 エリカの胸の中心から、白い光が溢れ出た。


(…………あれ?)


 光はどんどん広がる。溢れる。噴き出す。


 エリカの意志とは完全に無関係に、「聖女の魔力」が膨張し始めた。


(ちょっと待ってください、わたし何もしてないんですけど⁉)


 光は波紋のように広がり、魔物の群れを飲み込んでいった。先頭の巨大個体から、空を覆っていた飛行種まで、光に触れた瞬間に黒い霧となって蒸発していく。


 それはものの三十秒の出来事だった。


 地平線まで埋め尽くしていた魔物の大群が、跡形もなく消え去った。


 しかし問題があった。


 魔物が消える直前、最前線の兵士数十名に飛沫が飛んだ。魔物の血だ。深紅の血が、エリカの顔にも、返り血として降りかかった。


 静寂が戻った草原で、エリカはぽかんとした顔のまま立ち尽くしていた。


(…………帰れなかった)


 心の底からの脱力感。絶望と言っても過言ではない。


 しかしそのエリカの表情を、公爵の目にはまったく異なるものとして映っていた。


 血に濡れた頬。ほの白く光を帯びた金の髪。そして——戦果を確認するように静かに前を見据えながら、微かに、穏やかに微笑んでいる横顔。


 キリアスは馬の上で、言葉を失った。


(この人は……今、何をしたのだ?)


 我が身を盾にして魔物の前に躍り出た。武器もなく、防具もなく、ただ自分の身一つで。自分を守るために。


 軍の将が戦場で部下に庇われることはある。しかし、こうして無防備に身を投じてくる者を、キリアスはこれまで見たことがなかった。


 血まみれで微笑む彼女の横顔が、焼き付いて離れない。


「……聖女殿」


 声がかすれていた。自分でも気づかなかった。


「なんですか?」


 振り返ったエリカの目は、あきらかに「あーあ、また死ねなかった」という色をしていたのだが、キリアスには「成すべきことを成した者の静けさ」に見えた。


「今の……あなたが、やったのか」


「やったというか、勝手に出てしまったというか……」


(正直に言うと引かれるかなあ。「あなたを庇って死のうとしたら間違えて魔物を全滅させてしまいました」なんて)


「私を庇うために、あの数を前にして前に出たのか」


「……まあ、そういう感じですね」


 エリカとしては曖昧に誤魔化したつもりだったが、公爵の金色の目が、はっきりと揺れた。


(なぜこの人は、こんな顔をするんだろう)


 冷徹公爵と名高いその男が、まるで初めて太陽を見た子供のような、戸惑いと驚嘆が混じり合った表情を浮かべていた。


「……名を、聞いてもいいか」


「エリカです。エリカ・水無月」


 キリアスは静かに馬から降り、エリカの前に膝をついた。


「キリアス・ヴァン・ドラクロワだ。この命、今日より聖女殿に捧げる」


(え、いきなりすぎませんか?)


 エリカは内心ひっくり返りながら、愛想笑いで「ありがとうございます」と答えた。


 後になって思えば、この誤解が、すべての始まりだった。


 公爵の屋敷に向かう馬車の中、エリカはひざを抱えてぶつぶつと呟いた。


(魔物は全滅させてしまうわ、公爵には変な誓いを立てられるわ。何なんだこの体は。本当に帰らせてくれないんですか神様)


 馬車の窓から見える北の空は、鉄灰色に曇っていた。


 エリカはそっとため息をついた。


(……でもまあ、次があります。諦めたら終わりですよ。わたしはかならず帰る。カレーうどんのために)


 その小さな闘志を、エリカは大事に胸に仕舞い込んだ。


 一方でキリアスは、先頭の馬の上で、戦場でも決して動じたことのない心臓が、奇妙な速さで鼓動していることに気づいていた。


 血に濡れて微笑む、あの横顔が、頭から離れなかった。


 (あの人は、私のために死を厭わなかった)


 北の守護者として二十年近くを戦場で過ごしてきた。部下は何人も失った。「誰かのために死ぬ」などという行為が、感情論の産物だと思っていた。


 それが今日、一人の少女によって完全に覆された。


 キリアスは唇を真一文字に引き結び、北の空を見つめた。


(守らなければならない人間が、また一人増えた)


 その決意は、公爵として騎士としてのそれではなく、もっと原始的で、もっと深いところから来るものだった。

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