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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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9/22

第8話 波は、静かに重なる

 湾岸再開発プロジェクトは、表向きは順調だった。

 新聞の経済面には「外資との大型提携」と小さく載り、社内では武田部長の評価が上がった。

 営業部の空気は明らかに変わっていた。

 電話は増え、接待の席も増え、会議室には常に甘い煙草の匂いが漂っていた。


 1988年の東京は、上へ上へと伸びる都市だった。

 赤坂の再開発、六本木のディスコ、銀座のブランド店。

 タクシーは捕まらず、深夜でもネオンは昼のように明るい。銀行は競うように融資を出し、「土地は絶対に下がらない」という言葉はもはや空気のように共有されていた。

 だが、恒一の胸の奥には、説明できない重さがあった。

 未来を知っているという事実は、時に祝福ではなく、呪いになる。


 ある朝、社内会議で神谷が資料を机に叩きつけた。

「坂本の提案は理想論だ」

 静まり返る会議室。

「未来を売る? 結構だ。だが我々は商社だ。利益を最大化するのが使命だろう」

 恒一は黙って聞いていた。

 神谷は続ける。

「物流だの企業誘致だの、時間がかかりすぎる。今は転売益を確保するタイミングだ」

 部屋の空気は神谷に傾きかける。

 彼は営業トップ。数字がすべてを証明している男だ。

 恒一はゆっくりと立ち上がった。

「神谷さんの案なら、短期利益は出ます」

「なら問題ないだろう」

「ただし」

 恒一は資料をめくった。

「地価上昇はすでに実需を超えています。ここで投機を加速させれば、崩れた時の損失は指数関数的に広がる」

「崩れる?」

 神谷の目が細くなる。

「いつだ」

 恒一は言葉を飲み込んだ。

(言えない。言えるはずがない)

「……市場は永遠ではありません」

 武田部長が低く言う。

「坂本。お前は、怖いのか?」

 その問いは核心だった。

 怖い。

 崩壊を知っているから。

 だが恒一は首を振った。

「違います。守りたいんです」

「何をだ」

「会社の信用と——」

 一瞬、麻美の顔が浮かぶ。

「関わる人の未来を」

 沈黙。

 神谷はふっと笑った。

「青いな」

 だがその目は、わずかに揺れていた。

 会議は持ち越しになった。


 その夜、麻美から電話が来た。

 声が、少し硬い。

「ねえ、今日会える?」

 銀座の喫茶店。

 いつもの明るい麻美ではなかった。

 カップの縁を指でなぞりながら、ゆっくり言う。

「お見合いの話が来たの」

 恒一の胸が、強く鳴った。

「相手は?」

「銀行の人。三つ年上。安定してるって」

 バブルの時代、銀行員は一種のブランドだった。

 融資を握る側の人間。親世代から見れば理想的な縁談だ。

「どう思ってる?」

 問いかけながら、恒一は自分の立場を思い知る。

 自分は未来の人間だ。

 この時代の人間ではない。

「分からない」

 麻美は正直に言った。

「安心はすると思う。でも」

 視線が合う。

「ときめかない」

 言葉は小さいのに、重かった。

 店の外では、ブランドの紙袋を持った若者たちが笑いながら通り過ぎていく。

 豊かさが当たり前の顔をして歩いている。

「坂本くんは?」

「俺は——」

 言いかけて、止まる。

(俺がここにいていいのか)

 未来では、麻美は祖母になる。

 宗一郎と出会い、家庭を築き、あの写真の笑顔になる。

 それを知っている自分が、今ここで、何を言える?

「俺は」

 ようやく出た言葉は、驚くほど静かだった。

「未来を一緒に考えられる人がいいと思う」

 麻美は目を瞬かせた。

「未来?」

「安心も大事。でも、その先を話せる人」

 麻美はしばらく黙り、そして小さく笑った。

「それ、プロポーズみたい」

 恒一の心臓が跳ねる。

「違う、そういう意味じゃ」

 慌てる姿に、麻美はくすっと笑った。

 その笑顔が、胸に刺さる。

(この笑顔が、未来に続く)

 だがその未来は、自分とではないかもしれない。


 帰り道、銀座のネオンが揺れていた。

 バブルの光は強い。

 だが海の向こうでは、すでにアメリカ市場が不安定だというニュースが流れている。

 小さな波は、まだ誰も気づかない速度で近づいている。


 会社では、神谷が水面下で動いていた。

 短期転売の提案書を外資に直接持ち込み、別ルートの契約を狙っているという噂が流れる。

 波は、重なり始めていた。

 仕事の対立。

 恋の揺らぎ。

 そして、まだ姿を見せない“伝説の商人”。

 恒一は夜の東京湾を見つめる。

 高層ビルの灯りが水面に揺れる。

(未来は、変えられるのか)

 それとも——

(すべては、決まっているのか)


 遠くで船の汽笛が鳴った。

 その音は、どこか懐かしく、そして不安を含んでいた。

 波は、まだ穏やかだ。

 だが確実に、深くなっている。

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