第6話 土地は絶対に下がらない
翌週の月曜。
東都物産の会議室は、朝から異様な熱気に包まれていた。
灰皿はすでに山。
コーヒーのカップが並ぶ。
武田部長が机を叩いた。
「でかい案件が来た」
ざわつく営業部。
ホワイトボードに書かれた文字。
湾岸再開発プロジェクト
恒一の背筋が冷えた。
(湾岸……)
バブル末期の象徴。
土地転がし。
投機。
「うちが仲介に入る」
武田部長は言った。
「外資と組む」
さらにざわつく。
「総額、二百億」
誰かが口笛を吹いた。
山本が小声で言う。
「すげえな……」
武田部長は続けた。
「土地はこれからも上がる」
拳を握る。
「日本は世界一だ」
会議室に拍手が起きた。
恒一だけが、拍手できなかった。
(……違う)
(あと数年で、崩れる)
未来を知っている自分だけが、この熱狂の終わりを知っている。
武田部長が指差した。
「坂本」
「はい」
「お前も入れ」
「え?」
「新しい風がいる」
山本がニヤリとする。
「出世街道だぞ新人」
恒一はゆっくり頷いた。
だが胸の奥は、ざわついていた。
その夜。
恒一は再びあのバーに足を向けた。
BAR SAKURAI
ドアを開けると、マスターが微笑んだ。
「また来たね」
「少し聞きたいことがあって」
マスターは黙ってグラスを置いた。
「坂本宗一郎のことかい?」
恒一はうなずいた。
「祖父です」
マスターは小さく息を吐いた。
「なるほど」
少し間を置いて言う。
「戦後すぐだ」
「闇市の時代」
恒一は黙って聞いた。
「物がない時代」
「みんなが食べ物を探していた」
「その中で、坂本宗一郎は商売を始めた」
「何を?」
「なんでもだ」
マスターは笑う。
「だがな」
グラスを磨く手が止まる。
「一つだけ有名な話がある」
恒一は身を乗り出した。
「戦後、土地が二束三文だった頃」
「誰も欲しがらなかった土地を、買い続けた」
「理由は?」
「こう言ったらしい」
マスターは低く言った。
「“土地は値段じゃない。未来だ”」
恒一の心臓が鳴った。
「未来……」
マスターは続ける。
「だがな」
「晩年、こうも言っていた」
「土地は、欲を映す鏡だ」
静かな店内。
ジャズが流れる。
「欲が膨らみすぎると、必ず割れる」
恒一は、言葉を失った。
まるで——バブルのことを言っているみたいだった。
外に出ると、麻美が立っていた。
「やっぱりここにいた」
「どうして」
「なんとなく」
麻美は笑った。
少し真剣な顔になる。
「今日の会議、すごかったね」
「聞いてたのか」
「受付、情報早いんです」
「湾岸のやつ?」
「うん」
少しだけ不安そうな目。
「坂本くん、どう思う?」
恒一は夜空を見上げた。
ネオンが滲んでいる。
「……分からない」
嘘だった。
分かっている。
だが言えない。
麻美が小さく言った。
「ねえ」
「うん?」
「もしさ」
「何?」
「全部なくなったら、どうする?」
恒一は麻美を見た。
その目は、ほんの少しだけ、
この時代の浮かれた空気から離れていた。
恒一は答えた。
「なくならない」
「え?」
「なくなるのは、金だけだ」
「?」
「人は残る」
麻美は少しだけ笑った。
「それ、誰の言葉?」
恒一は言った。
「じいさん」
麻美は静かにうなずいた。
「いい人だね」
恒一は夜の東京を見つめた。
ネオン。
笑い声。
タクシーの列。
誰もが信じている。
土地は下がらない。
日本は世界一。
だが——欲は、いつか割れる。
そしてそのとき。
自分は、何を守るのか。
麻美の横顔を見ながら、恒一は初めて思った。
(この時代に、俺は何を残す?)
遠くでサイレンが鳴った。
バブルの夜は、まだ終わらない。




