第3話 ワインは「物語」で売れ!
翌朝。
東都物産の営業フロアは、朝から煙で真っ白だった。
「坂本!」
武田部長の怒鳴り声が飛ぶ。
「ワイン100本だ!」
デスクを叩く。
「今日中に売れ!」
恒一は一瞬フリーズした。
100本。
普通の営業なら、まず無理だ。
だが――
恒一は静かに息を吐いた。
(落ち着け)
これは1988年。
つまり
バブル絶頂期。
人は金を使いたがっている。
問題は商品じゃない。
売り方だ。
「分かりました」
そう言って立ち上がった。
山本がニヤニヤしながら近づいてくる。
「おお、新人」
コーヒーを飲みながら言う。
「100本売るんだろ?」
「はい」
山本は笑った。
「面白い」
肩を叩く。
「じゃあ俺もついてくわ」
「え?」
「営業はチームワークだ」
軽い調子で言う。
「あとさ」
ポケットからポケベルを出した。
「麻美ちゃんが応援してるぞ」
恒一は振り向いた。
受付のカウンター。
高橋麻美がこちらを見ていた。
目が合う。
麻美は小さく笑った。
「頑張ってください、坂本さん」
その笑顔に、恒一の心臓が少し速くなった。
最初に向かったのは、六本木だった。
昼間なのに街は派手だ。
山本が聞いた。
「で?」
「どう売るんだ?」
恒一は言った。
「ターゲットを変えます」
「ターゲット?」
「普通の店には売れません」
ワインの箱を叩く。
「これは“バブル用の商品”です」
山本は笑った。
「意味分からん」
恒一は歩きながら言った。
「狙うのは高級店です」
そして指差した。
フレンチレストラン。
「バブルの客は“雰囲気”に金を払う」
山本は腕を組んだ。
「ほう」
店に入る。
オーナーが出てきた。
「うちはもうワインありますよ」
恒一は笑った。
「もちろんです」
そして箱を開けた。
一本取り出す。
「でも、これは違います」
ラベルを見せた。
「バブルの夜を飾る一本」
オーナーが眉を上げた。
「……なんだそれ」
恒一は言った。
「日本は今、世界一の経済大国です」
少しだけ声を落とす。
「お客さんは“特別な体験”を求めています」
ワインをテーブルに置く。
「これは味じゃない」
「物語です」
山本が横で小さく吹き出した。
恒一は続ける。
「“バブルの夜を祝うワイン”」
「そういう名前で出してください」
オーナーは黙った。
数秒。
そして言った。
「……面白い」
笑う。
「10本置こう」
山本が小声で言った。
「おい」
「売れたぞ」
それからは早かった。
2軒目。8本。
3軒目。12本。
レストラン、バー、ラウンジ。
「バブルの夜を飾る一本」
このコピーが刺さった。
夕方。
最後の店を出たとき。
山本が段ボールを見た。
「……ない」
恒一も確認した。
全部売れた。
100本。
沈黙。
そして山本が言った。
「新人」
「はい?」
「お前」
ニヤッと笑った。
「天才か?」
夜。
東都物産。
営業フロア。
恒一が報告すると、空気が止まった。
「……100本?」
武田部長が聞き返した。
「本当か?」
山本が笑った。
「マジです」
フロアがざわつく。
「嘘だろ」
「新人だぞ?」
武田部長はしばらく黙っていた。
そして――
笑った。
「面白い」
灰皿にタバコを押し付ける。
「坂本」
「はい!」
「営業はな」
指を立てる。
「気合だ」
恒一は苦笑した。
(いや、マーケティングです)
しかし次の言葉は予想外だった。
「だが」
武田部長は言った。
「お前の営業も嫌いじゃない」
フロアが静まり返る。
部長が新人を褒めるなんて珍しいのだろう。
そのとき。
受付から声がした。
「坂本さん」
振り向くと、麻美が立っていた。
「おめでとうございます」
笑顔だった。
「噂になってますよ」
恒一は少し照れた。
「たまたまです」
麻美は言った。
「でも」
少しだけ近づく。
「ちょっと見直しました」
恒一の心臓がまた速くなった。
そのとき。
山本が後ろから肩を組んだ。
「おい新人」
「はい?」
山本は笑った。
「今日は祝いだ」
「祝い?」
ニヤリとする。
「バブルを教えてやる」
そして言った。
「ディスコ行くぞ」
恒一は固まった。
(ディスコ……)
そのとき、麻美が言った。
「私も行きます」
山本が笑った。
「決まり!」
恒一はまだ知らない。
この夜が――
彼の人生で一番派手な夜になることを。




