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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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第35話 ひとときの追い風

 その日は、朝から空気が軽かった。

 曇り空のはずなのに、どこか明るい。

 会社の中も、いつもよりざわついている。


「通ったらしいぞ」

 誰かの声が廊下を走る。

「例の件、承認出たって」

 その言葉が、波のように広がっていく。


 湾岸プロジェクトの一部区画。

 最大の山場とされていた資金調達が、通った。

 銀行の最終承認。

 外資の出資も確定。

 関係者のサインも揃った。


「やりましたね、坂本さん」

 部下が興奮気味に言う。

 恒一は一瞬、言葉を失った。

 そして、ゆっくり頷く。

「……ああ」

 それは確かに、“結果”だった。

 ここまで積み上げてきたものが、形になった瞬間。


 会議室では拍手が起きた。

 大きなものではない。だが確かに、祝福の音だった。

「これで一気に進みますね」

「さすが神谷さんだ」

「坂本もよくやった」

 言葉が次々と飛ぶ。

 恒一はその中心に立っていた。

 少し前まで想像していた光景。

 それが、今ここにある。


 神谷は、いつもの席に座っていた。

 腕を組み、静かにその様子を見ている。

 誰かが声をかけた。

「神谷さん、ひとまず成功ですね」

 神谷は小さく笑った。

「まだ途中だ」

 その言葉は冷静だった。

 だがその目には、わずかな熱があった。


 その夜。

 ささやかな祝杯が開かれた。

 居酒屋の座敷。

 ビール瓶。

 枝豆。

 煙草の煙。

 昭和のまま止まったような空間。

「坂本、今日は飲め!」

 グラスが次々に満たされる。

 笑い声が絶えない。

 誰かが肩を叩き、誰かが冗談を言う。

 恒一も笑っていた。

 自然に。

 久しぶりに、心から。


「すごいじゃないですか」

 隣に座った麻美が言う。

「ええ、まあ」

 照れたように返す。

「でも、本当に大きな一歩ですね」

 その言葉には、素直な敬意があった。

 恒一は少しだけ視線を落とす。

「……そうですね」

 一歩。確かに、大きな一歩だ。


 店の奥では、テレビが流れていた。

 音は小さい。

 だが、ふと耳に入る。

『金融機関の一部で、融資姿勢の見直しが――』

 誰も気にしない。

 笑い声にかき消される。

 グラスが鳴る。

 その音の中に、ニュースは溶けていった。


 店を出たあと。

 夜風が、少しだけ冷たかった。

 酔いを覚ますように吹き抜ける。

「お疲れさまでした」

 麻美が軽く頭を下げる。

「ええ」

 少し間が空く。

「……本当に、よかったですね」

 その言葉は優しかった。

 だがどこか、慎重でもあった。

 恒一は頷く。

「ありがとうございます」

 そして、ふと聞く。

「どう思いますか」

 麻美は一瞬だけ驚いた顔をする。

「何がですか?」

「この流れ」

 短い沈黙。

 街のネオンが揺れる。

 麻美は少し考えてから言った。

「……うまくいっている時ほど」

 言葉を選ぶように。

「見えなくなるものもあると思います」

 それ以上は言わなかった。

 だが、それで十分だった。


 翌日。

 オフィスの空気は、昨日の余韻に包まれていた。

 誰もが少しだけ前向きで、少しだけ大胆になっている。

「次もいけるな」

「この流れなら問題ない」

 言葉が軽くなる。

 スピードが上がる。


 恒一は、自分の席で資料を開いた。

 昨日の承認。

 確かな成果。

 だが――

 ページをめくる手が、ふと止まる。

 あのズレ。

 あの違和感。

 消えていない。

 むしろ、少しだけはっきりしている。

「……」

 ペンで数字をなぞる。

 計算は合っている。

 構造も問題ない。

 それでも。


「坂本」

 顔を上げると、神谷が立っていた。

「次に行くぞ」

 迷いのない声。

「この流れを止めるな」

 恒一は一瞬だけ躊躇した。

 だが、すぐに頷く。

「……はい」


 その日の午後。

 一本の電話が入る。

「坂本さん、銀行ですが」

 またあの担当者だった。

 だが今回は、声がはっきりと違っていた。

 硬い。

 そして――

 距離がある。

「先日の件ですが」

 一拍。

「追加の確認事項が出まして」

 恒一の手が止まる。

「どのような?」

「一部の融資実行を、段階的に行いたいと考えています」

 その言葉の意味を、理解するのに時間はかからなかった。

 ――止めにきている。

 完全ではない。

 だが、確実にブレーキを踏み始めている。


 受話器を置く。

 オフィスのざわめきは変わらない。

 誰もまだ知らない。

 昨日の“成功”の余韻の中にいる。

 だがその足元で、確実に何かがずれている。


 窓の外。

 空は少し曇っていた。

 昨日と同じはずなのに、光が弱い。

 遠くで、またサイレンの音がした。

 今度は少し長く、耳に残る。


 恒一はゆっくりと椅子にもたれた。

 胸の奥で、あの感覚がはっきりする。

 これは、ただの違和感じゃない。

 昨日の成功。

 それは確かに本物だ。

 だが同時に――何かを見えなくさせる“光”でもあった。


 その頃。

 神谷は次の資料に目を通していた。

 口元には、わずかな笑み。

 流れはまだある。

 むしろ、加速している。

 そう信じている。

 いや――信じると決めている。


 光は、まだ消えていない。

 だからこそ――影は、より濃くなり始めていた。

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