第2話 昭和営業の洗礼
「坂本!」
武田部長の声がフロアに響いた。
恒一はビクッとした。
「は、はい!」
「さっきのワインの件だ」
武田部長はタバコを灰皿に押し付けた。
「口だけじゃなくて、売れるんだろうな?」
恒一は一瞬だけ黙った。
……しまった。
思わずマーケティング理論を語ったが、ここは1988年だ。
逃げ道はない。
「……やってみます」
武田部長はニヤリと笑った。
「よし」
そして怒鳴った。
「山本!」
奥のデスクから、派手なネクタイの男が振り向いた。
さっき笑っていた男だ。
「はいはい部長〜」
軽い口調で近づいてくる。
髪は七三分け。
ブランドっぽいスーツ。
妙に陽気な男だ。
「坂本の教育係だ」
「え、俺?」
「新人だろ」
山本は恒一を見て、にやっと笑った。
「よろしくな新人」
その笑顔が妙に人懐っこかった。
恒一は思った。
……この人、なんか憎めないな。
「とりあえず」
山本は腕時計を見た。
「営業行くぞ」
「今からですか?」
「当たり前だろ」
山本は言った。
「営業は足だ」
そして、肩を叩いた。
「昭和営業を教えてやるよ」
外に出た瞬間、東京の熱気が押し寄せてきた。
人、人、人。
タクシーがクラクションを鳴らしながら走る。
恒一は思った。
これがバブルか……
山本はポケットから何かを取り出した。
小さな機械。
数字が表示されている。
「……ポケベル?」
山本は得意げに言った。
「最先端だろ?」
恒一は苦笑した。
(いや、それ1990年代の高校生でも持ってたやつ…)
そのときポケベルが鳴った。
ピーピー。
山本が数字を見た。
「お、麻美ちゃんだ」
「え?」
山本はニヤニヤした。
「受付の高橋麻美」
そして数字を指差した。
「114106」
恒一は首をかしげた。
「?」
山本は得意そうに言った。
「知らないのか?」
「?」
「アイシテルだよ」
恒一は吹き出しそうになった。
(ポケベル暗号きた……!)
最初の営業先は、小さなレストランだった。
店長が出てくる。
山本は笑顔で言った。
「どうもどうも!」
握手。
他愛のない雑談。
そして天気の話。
さらにゴルフの話。
おまけに野球の話。
十分後。
山本は帰った。
店を出たあと恒一は言った。
「……あの」
「ん?」
「営業は?」
山本は言った。
「今のが営業だよ」
「え?」
「人間関係作り」
恒一は頭を抱えた。
(昭和営業すぎる……)
しかし山本は笑った。
「まあ焦るな」
そして言った。
「夜が本番だから」
「夜?」
山本はニヤッと笑った。
「接待だよ」
夜。
銀座。
ネオンが輝く街。
山本が指差した。
「ここだ」
看板には書いてある。
高級寿司
恒一は震えた。
「ここ……高そうですね」
山本は笑った。
「会社払い」
(バブルだ……)
店に入ると、スーツ姿の男が立ち上がった。
「山本さん!」
「おお!」
握手。
「こちら新人の坂本です」
恒一は頭を下げた。
そのとき。
男が言った。
「そういえば山本さん」
「ん?」
「この前買った土地、また値上がりしましたよ」
山本は笑った。
「だろ?」
男は言った。
「日本はこれからも上がり続けます」
「土地は絶対下がりませんから」
恒一は箸を持つ手が止まった。
心の中でつぶやく。
(いや……)
(あと3年で崩壊する……)
未来を知っているのは自分だけ。
その事実が、急に重く感じた。
そのとき。
山本が言った。
「坂本」
「はい?」
「さっきのワインの話」
ニヤリと笑う。
「明日、100本売ってみろ」
「……え?」
「できるんだろ?」
恒一は固まった。
山本は笑った。
「期待してるぞ、新人」
その笑顔を見た瞬間――
なぜか胸がざわついた。
恒一はまだ知らない。
この男が。
いつか――
自分の家族の物語に深く関わる人物だということを。




