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営業成績最下位の俺がバブル時代の商社にタイムスリップしたら、昭和の気合営業に現代マーケティングを持ち込んだら出世してしまった  作者: かーすけ


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第15話 波の音が変わる

 三月の終わり、東京の空はやけに澄んでいた。

 霞がかかるはずの湾岸が、妙にくっきり見える。

 それが逆に、不穏だった。


 朝刊の一面ではない。だが経済欄の片隅に、確かな違和感があった。

 ――某都市銀行、不動産向け新規融資を一部凍結。

 小さな記事。

 だが、金融の世界では小さな波が一番怖い。

 東都物産の営業フロアは、いつものざわめきを保っている。

 電話は鳴り、ファクスは唸り、灰皿には吸い殻が増えていく。

 だが、空気が違う。


「坂本、例の銀行、追加枠どうなった?」

 神谷の声はいつも通り鋭い。だが、その目の奥に焦点の合わない瞬間がある。

「本日回答予定です」

「予定は予定だ。確約を取れ」

 言い切る声が、わずかに強すぎる。

 恒一は気づく。

(神谷さん、分かってるな)

 市場が変わったことを。


 午後三時。

 電話が鳴る。

 恒一が受話器を取る。

「……はい」

 短い会話。

 受話器を置く手が、わずかに重い。

「どうだった」

 神谷がすぐに聞く。

「枠は……半分です」

 沈黙。

 フロアの雑音が遠くなる。

「半分?」

「本部判断だそうです。不動産エクスポージャー抑制の方針と」

 神谷が立ち上がる。

 椅子が大きな音を立てる。

「ふざけるな」

 その声は怒りというより、拒絶だ。

 現実を拒んでいる。

「他行を当たれ。今すぐだ」

「すでに打診しています」

「足りない」

 神谷は窓の外を見る。

 湾岸のクレーン群。

 夕陽に染まる鉄骨。

「今が天井だと思ってるのか?」

 その問いは、恒一ではなく、自分に向けられている。

 恒一は静かに答える。

「天井は、あとからしか分かりません」

 神谷の目が鋭く光る。

「弱気だな、坂本」

「違います」

 恒一ははっきり言う。

「揺れています」

 その瞬間、フロアのテレビからニュース速報が流れる。

 ――地価公示、上昇率鈍化。

 誰かが舌打ちをする。

 誰かが「一時的だ」と言う。

 だが、その言葉は軽い。


 夜。

 神谷は一人、赤坂のクラブにいた。

 シャンパンの泡がグラスの縁を滑る。

 ボディコン姿の女性が笑い、店内にはプリンセス プリンセスの曲が流れている。

 だが神谷は笑っていない。

 隣の不動産会社の部長が言う。

「うちも銀行が急に慎重でね」

「一時的だ」

 神谷は即答する。

「バブルは終わらん」

 言い切ったあと、ほんの一瞬だけ目が泳ぐ。

(終わらないはずだ)

 だが、数字は嘘をつかない。

 融資は絞られ始めている。

 転売の動きも鈍い。

 神谷はグラスを一気に空ける。

 欲望の熱が、少し冷えている。

 それが何より怖い。


 翌朝。

 宗一地所。

 宗一郎は新聞を静かに畳む。

「始まったな」

 秘書が尋ねる。

「売りますか?」

 宗一郎は首を振る。

「まだだ」

 窓の外には、曇った湾岸。

「恐怖は、まだ浅い」

 その目は冷静だ。

 揺れを、待っている。


 東都物産では、会議が緊急招集された。

 役員も出席。

 空気は重い。

 武田部長が言う。

「追加取得は一時凍結する」

 神谷が即座に反論する。

「今止めたら損失が確定します!」

「止めなければ、拡大する可能性がある」

 理屈と理屈がぶつかる。

 だがその裏で、感情が揺れている。

 神谷は気づく。

 自分の声が、いつもより大きいことに。

「坂本、お前はどう思う」

 突然振られる。

 全員の視線が集まる。

 恒一はゆっくり立ち上がる。

「共同開発案を正式に提案します」

 宗一地所との。

「長期保有前提で再設計を」

 神谷が吐き捨てる。

「腰抜けの策だ」

「違います」

 恒一は神谷を見る。

 真正面から。

「守るための攻めです」

 その言葉が、会議室を静める。

 守るための攻め。

 武田部長が目を細める。

「具体案を出せ」

 流れが、わずかに変わる。

 神谷の拳が震える。

 自分の手から、舵が離れつつある。

(まだだ)

 心の中で叫ぶ。

(まだ終わらない)

 だが、市場は待ってくれない。


 その夜、麻美はテレビのニュースを見つめていた。

 キャスターが言う。

「不動産株に売りが広がっています」

 画面の中の数字が赤く点滅する。

 胸がざわつく。

(恒一、大丈夫かな)

 電話をかけようとして、やめる。

 彼は今、戦っている。

 自分は、信じるしかない。

 窓の外では、昭和の街がまだ賑やかだ。

 カラオケボックスの前に若者が並び、コンビニの灯りが眩しい。

 だが、その光の奥で、静かに波は崩れ始めている。


 翌日。

 湾岸の現場で、鉄骨が一時的に止まった。

 資材搬入の遅れ。

 小さなトラブル。

 だがそれは象徴だった。

 神谷は現場を見つめる。

 風が強い。

 海が荒れている。

 その音が、以前とは違う。

 ざわめきではない。

 きしみだ。

 後ろから声がする。

「焦ると、足をすくわれる」

 振り向く。

 宗一郎が立っていた。

 偶然か、必然か。

 灰色の空の下、二人の坂本が対峙する。

 神谷ではなく、恒一の物語が、ここでさらに大きく揺れようとしている。

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