プロローグ タイムスリップ
「営業は気合だ! 気合が足りないから売れないんだ!」
フロア中に怒鳴り声が響いた。
視線が一斉にこちらに集まる。
俺――坂本恒一は、黙って頭を下げた。
営業成績、最下位。
三か月連続。
机の上には返品された見積書の山。
パソコン画面の営業管理システムには、赤い数字が並んでいる。
「坂本、お前なぁ……」
上司は深いため息をついた。
「この会社、営業で食ってるんだぞ? 分かってるのか?」
分かっている。
痛いほど分かっている。
だけど――売れない。
俺は営業が向いていないのかもしれない。
「とにかくだ!」
上司はデスクを叩いた。
「今夜は取引先と飲み会だ! お前も来い!」
俺は思わず顔をしかめた。
また飲み会だ。
酒は弱いし、接待トークもめちゃ苦手だ。
だが断る権利なんてない。
「……はい」
小さく答えた。
周りの同僚たちは忙しそうにキーボードを叩いている。
誰も俺を見ていない。
いや、正確には――興味がない。
会社にとって、営業最下位の人間は空気と同じだ。
深夜。
飲み会が終わり、俺は駅前をトボトボと歩いていた。
ネオンがにじむ。
スマホを見る。
メッセージはゼロ。
恋人もいない。
友達もほとんどいない。
SNSには、同級生の幸せそうな写真が並んでいる。
結婚。
マイホーム。
海外旅行。
スマホをポケットに戻した。
「……はあ」
情けないため息が出た。
コンビニで缶コーヒーを買う。
自動ドアが開いた瞬間、冷たい夜風が吹き込んできた。
そのとき、ふと目に入った。
コンビニの片隅。
小さな棚。
そこに、古い雑誌が並んでいた。
昭和の雑誌特集らしい。
表紙には派手な文字が踊っている。
「バブル絶頂! 日本は世界一の経済大国へ!」
笑ってしまった。
「いいよなぁ……この時代」
バブル期。
テレビで何度も見た。
人々は派手なスーツを着て、高級車に乗り、毎晩のように飲み歩いていた。
給料もボーナスも右肩上がり。
努力すれば成功できる時代。
今とはまるで違う。
俺はページをめくった。
そこには、笑顔のサラリーマンたち。
肩パッドの入ったスーツ。
ポケベル。
ゴルフ接待。
夜の六本木。
まるで別の国みたいだ。
「もし、あの時代に生まれてたらなぁ……」
俺は苦笑した。
そのときだった。
雑誌のページから、何かが滑り落ちた。
古い――名刺だった。
黄ばんだ紙。
そこにはこう書かれていた。
東都物産株式会社
営業部
武田 進
名刺の裏には、手書きの文字。
「1988年 最高の時代」
次の瞬間。
店内の蛍光灯が一瞬だけ――チカッと明滅した。
頭がぐらりと揺れる。
耳鳴りがした。
「……?」
店員の声が遠くなる。
視界が歪む。
雑誌のページが風にめくれた。
そこに写っていたのは、夜の東京。
ネオンに包まれた街。
派手な服の若者たち。
タクシーの行列。
そして大きな見出し。
「日本経済、史上最高へ」
世界が回転した。
足元が崩れる。
俺の意識は、闇に沈んだ。
目を開けると。
俺は――ネオンがまぶしい街の真ん中に立っていた。
通りを歩く人々の服装が、妙に派手だ。
男はダブルのスーツ。
女はボディコン。
肩パッド。
そして、やたら大きな携帯電話。
遠くからタクシーの運転手の声が聞こえる。
「お客さん! 六本木ですか!?」
目の前の電光掲示板を見た。
そこに表示されていた日付。
1988年10月12日
俺は、呆然とつぶやいた。
「……嘘だろ」
そして、この時代が――
日本が世界で一番浮かれていた、バブルの真っ只中だということをまだ知らなかった。




