第九話【鈴木と佐倉】
20XX年、4月ーー。
とあるサラリーマンは足を止めると、いつものように臼杵屋へと向かっていた。
そして券売機で牛丼を頼むと、発券されたそれを店員に渡した。
彼が座るのは窓際の席だ。
ハンカチで汗を拭いながら、ジャケットを脱いで、流れるように席の背もたれにかける。
運び込まれた牛丼に紅生姜とネギ、天かすを山盛りに載せる。
この日常を彼は5年、続けていることとなる。
そうして玄関から新たに客が入ると、
風に乗って人々の会話がラジオのように流れてくる。
「今日そこで撮影あるんだって!」
「あらそうなの!どこかしら、ちょっと見に行ってみる?」
彼はふと、向かいの建物の三階を見上げる。
そこには誰もいなかった。
これも彼の日常だった。時折マダムだとか学生だとか、家族らが談笑している姿が垣間見えることもあったが、そこに彼女らの姿はもうない。
きっと彼女たちは卒業をして、それぞれの道を歩んでいるのだろう。
しかしその後の人生は、彼にとっては知る由もない。
ただ彼は、あの日の不可解で。しかし、ビルの花壇に咲くたんぽぽのような、色褪せない憧憬が、今もどこかで続いていることを願っている。
「今日はあいつの結婚式かぁ…そうだ、銀行から下ろさないと」
スマホの通知を見ると、後輩からこの後の結婚式場の住所が送られてきていた。
仕事終わりにそのまま向かうため、ある程度身なりはきちんとしてきた…つもりだと、彼は改めてネクタイを締める。
髪型も美容師の勧めるがままにお願いしたら、やたら広告で流れてくるナントカ流、みたいなビジネスラインギリギリを攻めるヘアスタイルになってしまった。
(…ん?そういえば今日は人が多いか…?)
人の流れの速さに、彼は牛肉を咀嚼しながら顎をさする。
そこまで人に関与しないし、己の人生が平穏であることを望む彼は、こういう些細な変化に気づきやすい。
平日の昼間といえば、確かに主婦や老人で賑わう時間帯でもあるのだが。
(……ああ)
再び客が来店し、天井のスピーカーからアナウンスが流れる。
『続いてはこの曲!ここ数年で海外でも人気を博している彼女がリリースするのはーー』
歌が流れる。
彼女の歌にただ一人、彼ーー佐倉は立ち上がった。
その佐倉の視線の先には、3階のカフェ。
大きなカメラを持つスタッフが何度か往復し、いつもの場所に彼女が座る。
『ミュージックビデオは只今絶賛撮影中!とのことです。ぜひお楽しみに~』
ほかほかと柔らかい湯気が、光差す昼の微睡みに揺られている。




