第六話【佐倉の度胸】
その日、俺はいつ電話がかかってこないかと冷や冷やしていた。――警察から。
(結局仕事に身が入らなかった…)
深夜の残業。オフィス内は俺しか居らず、終わらなかった作業を進めながら、今日の出来事を逡巡する。
ただでさえ社内でも女性とかかわる際にはハラスメントに気を遣っている。
なのに素性も知らない女子高生が相手となったら、それはもう全集中だ。紳士の呼吸である。
会話の内容だって意味が良く分からなかったが、辻褄を合わせた。
しかし俺は今こうして悶絶している。なぜかと言えば、絶対意味合いが異なるからだ。
恐らくだがあの日、俺が「並の牛丼」ではなく「トマトチーズトッポギ」を頼んだことを指していたのだろう。
…まあ薄々、そうだろうと思っていた。
だが俺の恐怖心が、気づかないフリをさせてしまった。
(一歩を踏み出したら、二、三歩どころの話じゃなくなった)
俺はどうするべきだろうか。
深夜なこともあって、頭が回らない。しかしそんな状態でもとにかく手を進めなければ、片付かないこともある。
こんな時はどこでも寝れそうだった。しかし、何とか重い腰を上げて作業を片付ける。
ーー時間は22時を過ぎていた。
俺はパソコンをシャットダウンしてそっ閉じした。明日の俺に任せよう、今日だけは。
そしてオフィスを出ると、踏切をわたり、商店街を抜けて駅へと向かう。
駅までは十五分ほどの距離にある。そして駅の前にはビルが立ち並んでいたが、さすがにこの時間だと軒並みシャッターが閉まっていた。
「カフェは……もうやってないか」
実は一度、試しにどんなお店なのか入ろうとしたことがあった。
しかし、まずソファに座って楽しそうに談笑するキラキラした客層。
券売機ではなく口頭で「イチゴダブルチョコフラペチーノのトッピングナマクリームハチミツのグランデで!」という呪文。
さらには「俺一人で何すればいいんだ?」という疑問が湧き上がった瞬間、気づけば体は無意識のうちに引き返していた。いつかでいいか、と。
そんな俺の”いつか”のタイミングが到来したのは、そう遠くない未来だった。
***
踏切で別れたその日から、名前すら知らない、あの彼女を見かけることはなかった。しかし。
窓際の席に座っていつもの牛丼を頼む。食べながら見上げると、同じ学生服を着た女子高生ら3人組が座っているのが見えた。
そして彼女が座っていた窓際の席は、いつも、必ず毎日スペースが空けられていたのである。
ーー五日目の金曜日。ようやく俺は確信する。
きっと彼女が来ることは想定されている。しかしここ最近は何らかのイレギュラーできておらず、
いつもであれば3人組の友人は帰宅しているはずだが、まだこの時間でも待ち続けている。
(何かあったのか…?)
ただ一つ分かることとすれば、ここで幾ら待ち続けようとも、何も起こらないということだ。
そして俺は意を決して、いつかの彼女の勇気に応えるように、
その”いつか”を自分自身で迎える事とした。
「あの。すみませんが」
かつての俺であれば、こんな大股の一歩を踏み出すことは決してなかっただろう。
まずは彼女の友人らのもろむき出しな警戒心を解くために、職員証を、それはもう75度のお辞儀で頭を下げながら「怪しい者ではないんです。佐倉と言います」そう提示した。
すると、3人組の彼女らは暫くポカンとした様子で互いを見つめあっていたが、やがて目配せによって交わされた会話が通じたのだろう。
一人は一気にドッと笑い転げ落ち、もう一人はゲラゲラとスマホでカチカチ器用に何かを打ち、もう一人は席を立って「ねえ座って座って!!」と俺を促した。
ーー流れるような若者の活気ある迎合ぶりに、俺はまたすぐ引き返したくなったが、
このようなソファ席であるとそうもいかないのだった。




