流転
京の空は晴れたり、春の光に照らされていた。しかし、その陽は弱々しく、身を凍えさす寒さがあった。
白梅は頑なにほころびるのを拒み続け、その香が風に乗って流れることはなかった。
その日、菅原道真を筆頭に菅家一族郎党は徒歩で屋敷を出た。
官人の威儀を剥がされ、牛車の使用を禁じられた身。
一行は静かに粛々と進み行く。
周囲の家並みの門戸は固く閉ざされ。人々は息を潜め、菅家一族の運命をある者は嘆き、ある者は薄ら笑いを浮かべ、眺めていた。
辻に達する度に、一行は短くも悲しい挨拶を交わしつつ、それぞれの任地へと別れ行き、一行の列は次第、次第に小さく寂しいものになっていった。
その列の一つ、道真の率いる大宰府へ向かう一行が京の都の外れ、京の内と外とを分ける境界、までやって来た。
その一行をひとつの唐車が遠くから見つめていた。
黒漆の車体、檳榔子の屋根。
左大臣、藤原時平が、車の奥に身を沈めていた。
遠くの為に道真の姿は、はっきりとは見えない。
だが、あの一行の誰かが道真であることを時平は知っていた。
「勝ったのは私だ」
時平はそう思おうとしていた。
政の流れは我が掌にある。
帝の御心も、公卿の信任も、民衆の生活も、すべてが自らの手中にある。
で、あるのだが……
なぜ、胸の奥に残るのは言いようのない敗北感なのか?
あの沈黙
あの超然
宇治の河原で去っていくあの背中、理の背が脳裏から離れずにいた。
時平は唇を噛み締める。
それを見せられた時、目にものを見せてやる。と誓ったのだ
あの静けさを、あの理を、打ち砕いてやる
この政の流れの中で、と
その誓いは果たされた。
だがその誓いの果てに、時平は気づいた。理を打ち砕くつもりだったが、それはできぬ相談だということを。
道真が目指した理とは人が作り出したものではないからだ。それは声を上げずとも、いやたとえ人が絶えても残るものだからだ。
一行はゆっくりと峠を登り、やがて見えなくなった。
あるはずもない白梅の香りが何故か時平の鼻をついた。
菅原道真は、大宰府へ到着して二年ほどしてこの世を去った。
延喜三年、春の盛り。梅が咲き、香る季節だった。
都を離れる道中、播磨国・明石の駅に宿泊した折、道真は駅長の嘆きに応えて一篇の漢詩を残したと伝えられている。
驛長無驚時變改
一榮一落是春秋
駅長よ、時の移り変わりに驚くことはない
人の栄枯盛衰は、春と秋が巡るように、世の理なのだ
それは、栄光と失脚を静かに受け入れた者の言葉だった。
一方、藤原時平もまた、道真の死から六年後の延喜九年に病に倒れ、この世を去った。
その後、藤原氏の主導権は弟の忠平へと移った。
政の流れは無常に変わっていった。
時は移ろう。栄える者も、落ちる者も、やがては塵と化す。
理を唱え身を捧げた者も、力を頼りに謀略に血を注いだ者も、時の流れの中では等しく空しく消えていく。
ただ、残るのは悠久に繰り返される時の流れのみ
春に梅の匂いが香り
夏に蝉が鳴き
秋に落葉し
冬に山が雪を纏う
そして 春に再び白梅が静かに咲き誇る
それだけだった
2025/11/22 初稿




