風花
その朝、京は薄曇りだった。
白梅がほころび始めていたが春と言うにはまだ肌寒くちらちらと風花が舞っていた。
菅原道真は、几帳の奥で内裏への出仕の支度を整えていた。
牛車の用意を命じようとしたその時、門前に人のざわめきが立ち起きた。何事かと訝しんでいると家人が白い顔をして飛び込んできた。
「勅使でございます」
道真は几帳を払い、正装のまま庭に出た。
勅使は一礼し、勅書を広げる。
「右大臣、菅原道真、謀反の疑いにより、官を罷免す。
これより、ただちに内裏への出仕を禁ず」
やや甲高い硬く乾いた声は何者をも拒絶するような意志の力を感じさせた。道真は頭を垂れ、「しかと承りました」とだけ答えた。
ただ、それだけであった。
一方家人たちはざわめいた。
「謀反…?」
「なぜ…殿が…」
女房たちは顔を見合わせ、家司は庭を右往左往する。
だが、道真は動じなかった。
「筆を。法皇へ使いを。」
声は静かだった。
その目は、何かを見通しているようだった。
「このような挙にでるとは……
法皇に事の次第をお伝えせねば」
火急の文をしたため使者を送ろうとしたその矢先、再び門前にてざわめきが立ち起こった。
先ほどとは異なる勅使が、再び宣命を携えて現れたのだ。
道真は再び庭に出、平伏する。
勅使は、今度も一歩も譲らぬ態度で勅書を開き、朗々と宣命を下した。
「右大臣、菅原道真。筑紫・大宰府へ左遷す
官位を剥奪し、大宰員外帥を命ず
速やかに準備せよ」
その言葉が邸の空気を更に凍らせた。
道真は法皇への使者の足を止めさせ、大宰府出立の準備を命じた。
ちらついていた風花はいつの間にか止み、途切れた雲間から柔らかな陽の光が差し始めていたが、ここだけは差し込まないかのように屋敷はひっそりと静まり返っていた。
道真は庭の白梅を見上げる。
香はしない。ようやくほころんだ花が微かではあったが香りを漂わせ始めていたはずなのに、今は少しもしなかった。
「梅もまた口を閉ざすか。
梅よ 梅よ
春巡りや
花ほころばせ
香をはなて
理とはそれだけのこと。
愚直に守り、正しくある、ただそれだけなのに、なぜ人はそれができぬのか」
道真は少し寂しそうに呟いた。
2025/11/22 初稿




