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藤梅合戦  作者: 風風風虱
11/15

黄落

 宇治川のほとりに、いつの間にか秋の風が吹いていた。

 (すすき)が揺れ、川面はちらちらと陽の光を反射していた。

 その岸辺に、二人の男が立っていた。

 1人は右大臣、菅原道真。

 もう1人は左大臣、藤原時平。

 それはほんの偶然であった。御所を退出し屋敷に戻ろうとしていた時平が牛車から外を見た時、宇治川のほとりに一人佇む姿を見かけたのだ。そのいでたちから道真と一目で分かった。

 牛車を止めると時平は1人道真の傍らに立った。

 道真は見返すことなくただじっと水面を見つめていた。 

 

 かつて、この場所で出会ったことがあった、と時平はかの日のことを思い出していた。

 貞観の末の春の日、若き学徒として、論語を語り合ったあの日。


 道真は川の流れから目をそらさずにぽつりと呟いた。


「川は理に似ています。曲がらず、ただ進む。

たとえ、どこへ流されようとも」


 時平もまた川面に目を落とし、静かに言葉を返した。


「理はしょせん、身を任せるだけのもの。

私は流れを作る者になったのです」


 その言葉には、勝者の余韻があった。

 参議たちへの発言力、帝の信任、そして今では官位もすべては時平が道真を上回っていた。時平は、今や政の流れを操る立場にあった。

 道真は黙し、しばらく川を見つめていた。だが、ゆっくりと口を開いた。


「流れを作る、とは。

水をせき止め、形を変え、己の都合に合わせることですか」


 時平は目を細めた。

 道真は続ける。


「それは理ではありません。

それは、策です。

策は人を動かすが、心を動かすことはありません」


 その声は静かだった。

 だが、どこか遠く、冷ややかで、時平の言葉を正面から受け止めていない。

 むしろ、その勝利宣言を、幼いものとして見下しているような響きがあった。


「かつて、私はここである若者と話したことがありました」


 時平の胸がカチリと音を立てた。

 

 この男も憶えていたか

  

 時平は傍らの道真へと顔を向けた。

 胸の内に熱いものが込み上がるのを感じる。あの頃の情熱が蘇る思いがした。


「若者は学問の門を叩き、学びたいと申しておりました。が、未だに門の辺りで戸惑っているようで……

かの者が学問の真髄を知ることはないかもしれません」


 時平の顔色がみるみる白くなった。


「学問の真髄を知る者。君子ですか?

君子などにどれほどの力があると言うのですか?

『君子は和して同ぜず』と誇ってみても、ただ1人であれば和すことも同することもできないでしょう。それはただの孤立というものです。たった1人では何もできはしない。今のあなたにはそれがわかるはずです。あなたがその頑なさを捨て、同するというならば、共に歩くこともできると思いますが?」


 道真は返さなかった。

 風が吹き、芒が揺れ、川面は相変わらずきらめいていた。

 道真は、時平に一礼し、何も言わずに背を向けた。

 その歩みは静かで、揺るぎなかった。

川の流れのように、ただ前へ進んでいく。

 時平は、その背を見送った。

 そして、誰にも見られぬように、歯を噛みしめた。

 勝ったのは自分のはずだった。

 地位も、言葉も、政の流れも、すべて掌にある。


 なのに、なぜ……

 この胸に残る敗北感は何故なのか?

 道真の沈黙は敗者のものではなかった

 何故認めようとしない?

 何故ここに歩み寄ろうとしない?

 

 時平は、拳を握った。

 秋の風が、一際大きく芒を揺らした。


 目にものを見せてやる

 あの沈黙を、あの超然を、打ち砕いてやる

 今、政の、いや世の流れを作っているのが誰であるのか思い知らせてやる

 必ず……


 宇治川のほとり。そこは今も昔も変わらない。しかし、離れゆく二人の間には、言葉では埋まらぬ溝ができていた。


2025/11/22 初稿

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