10 首だけバックドロップ
門扉を抜けてしばらく行くと、道の中心に何やら大きなモノが見えた。
どこかのお家の馬車だろうか。
来客となると、応対する必要がありそうだけど……
なんて呑気に考えていたら、馬車の陰から一人の男性が姿を表す。
落ち着いた色合いの身なりを見るに、この馬車の御者さんだろうか?
「お待ちしておりました。フェリクス様、エルカ様」
「……え?」
驚いた。どうやらこの馬車はフェリクス様が手配したものだったようだ。
私はとても様付けされるような身分ではないけれど……
なんて考えてすぐに思い当たる。
そういえば今のフェリクス様は、十年の時を経て(おそらくは)かなりの地位に付かれているんだった。
多分、屋敷から街に繰り出すだけでも馬車を使えるくらいになったんだろう。
「出世しましたね……フェリクス様」
私は小声で呟いてみるけれど、フェリクス様は返事をしてくれない。
それどころか、私のことを手で制して、御者さんに耳打ちを始めている。
むむ……いや、多分しょうがないことなんだろうとは思うけど、いろいろなことを隠されているような気がして、やっぱり良い気分はしないな……
「承知いたしました。では、そのように」
なんて、私が考え込んでいるうちに、話し合いは終わっていたらしい。
御者さんが馬車の方へ戻る間に、フェリクス様はこちらへ振り返って、おもむろに手を差し出した。
付け加えるならそれはもう、すっかり貴族らしい気品溢れる仕草で。
「行こう、エルカ」
「え、えーっと」
馬車に乗り込むにあたって、気を遣ってくれているのはわかるのだけど、なんだろう。
率直に申し上げてらしくないというか……目覚めた直後に心臓を貫いておいて、今更そんな気の使われ方をしても気味が悪いというか。
「ひょっとして昨晩何か、悪いものでも食べました?」
「……は?」
「いや、黒魔術師に呪われた食べ物でも食べたのなら納得できるんですけど……」
一体何がどうなったら、ここまで扱いが変わるんだろうか。
考え抜いた末に出た結論は、反応を見るに的外れであったらしい。
あ、でももし、本当に呪われているのなら、本人に自覚できるはずないか。
「もしよければ、今から私が診てみましょうか?」
「……本気で言ってるのか?」
「えーっと……並大抵の呪いなら、大抵解呪できるはずなので」
本気です。と続けそうになって、フェリクス様に肩を掴まれた。
そのまま強く押し込まれて、瞳をまっすぐに覗き込まれる。
「もう一度聞く、ほ……本気で言ってるのか?」
「あ、はい」
答えてから気付いた。フェリクス様のネイビーの瞳が、酷く震えている。
それはもう、眼前の信じられないものを見据えるような仕草で、私の目玉を覗き込んできている。
そして、なんというか、近い。
近すぎて気味が悪い。
「エルカ! 頼むから正気に戻れ!」
「うわうわっなんですか!」
突然フェリクス様が腕を押し込んできた!
私の肩をガッっと掴んで、激しく前後に揺さぶってきた!
「本当に一体どうしてしまったんですか!?」
「どうかしてるのはお前だ! 少しは冷静に考えてみろ!」
「冷静になるのはあなたです!」
いくら親しい仲とは言え、年頃の女の子に掴みかかるなんてどうかしている!
正直当てずっぽうだったけど、きっと間違いない。
フェリクス様は誰かに呪われているんだ!
そうでなければ、私の首が折れ曲がりそうなほど揺さぶってくるわけが……
あ、ていうか、まずいかも。
上手く説明できるわけじゃないけど、首元にまずい感覚が訪れている!
何かが……いや今朝方処置したばかりのソレが、ほつれる感覚が伝わってきている!
「あの、まずいです! このままだと……!」
「まずいのはお前の察しの悪さだよ!!」
「そうじゃなくって……!」
このままだと、とても午前中にお届けできない光景が――あっ。
「あっ」
――首元にかかっていた負荷が、一気に解放される感覚。
――――真正面に空を捉える視界。
同時に、私の脳内に今朝方の記憶が溢れ出す。
マルレーンの言っていたことは、覚えている。
『太めの糸だと目立つので、ひとまず細めの糸で仮止めしておきますね!』
彼女は私に気を遣って、外見に影響が出ないよう、それはもう見事な手腕で私の首を縫ってくれたわけだが……
それ故に一つ、とんでもない条件を残していたのだ。
『あんまり無茶するとほどけちゃうので、お気を付けて!』
走馬灯のように蘇る声と共に、背後の光景が真っ逆さまに映って。
直後、視界が自由落下を始める。
首だけでは、どうすることもできずに思う。
(後遺症とか、残りませんように……)
直後、視界の中心に星が散って、そのまま意識が暗転した。