6.牙をむく袁術
初平4年(193年)5月 揚州 九江郡 寿春
「おい、そいつを捕らえろ」
馬日磾との会談中、節を渡すのを拒んだら、袁術が俺の捕縛を指示した。
それまでは朝廷に従うふりをしていた男が、体裁をかなぐり捨てた瞬間だ。
指示を受けた袁術配下が、俺を捕まえようと動きだす。
しかし決裂は既定事項だったので、俺たちは慌てずに武器を取って向かい合った。
「なんだ、抵抗する気か?」
「そちらこそ太傅閣下に向かって、不敬であろう!」
「ふんっ、こんな揚州の地まで、朝廷の威光が届くと思うのが間違いよ。今の朝廷に、地方を統制する力など無いのだ」
こちらが不敬をそしろうとも、袁術はそれを鼻で笑い飛ばす。
いよいよもって、朝廷への敬意を取り繕う必要すら感じなくなったようだ。
その後押しを受けて、屈強な男が俺に剣を向けてきた。
「その節を渡せ」
「お断りだ。呂範、合図を出せ」
「ガッテンだ、兄貴」
――ピ~~~~~!
従者に化けていた呂範が、窓から顔を出して笛を吹いた。
これは事前に決めてあった合図で、屋外に控える護衛に非常事態の発生を伝えるものである。
敵もそれが分かったのか、目の前の男が俺に斬りつけてきた。
「おのれっ!」
「ふんっ」
「ぐあっ」
俺は冷静に相手の剣筋を見極めて、それをかわして斬りつけた。
斬られた男が血しぶきを上げながら、その場に崩れ落ちる。
それを見た袁術の配下がいきり立つが、こちらも負けてはいない。
「遅いっ!」
「ぐはっ」
「この無礼者!」
「ぐうっ」
同じく従者に化けていた孫河と周瑜が、剣を抜いて斬りかかる。
さすがに一撃で死にはしないが、袁術の護衛は押されっぱなしで守りに入った。
そこに呂範も加わって圧力を掛けると、首魁の袁術が悲鳴を上げる。
「ひえっ、馬日磾の護衛がこんなに強いなど、聞いておらんぞ! 援軍を呼んでくるまで、奴らを抑えておけ」
「……はっ」
そう言って袁術が外へ逃れると、俺たちも脱出に掛かる。
「馬日磾さま。このままでは殺されかねませんので、外へ避難します。私についてきてください」
「う、うむ。よろしく頼む」
周瑜にうながされた馬日磾を伴い、俺たちは部屋を脱出する。
そのまま屋外に出ると、待機していた護衛隊と合流した。
「ご無事でしたか、若」
「ああ、袁術の野郎が牙を剥いた。急いで脱出するぞ」
「了解です。ついてきてください」
そのまま護衛隊と脱出に掛かったが、その頃になると袁術の手勢も追いすがってきた。
俺はそれらを蹴ちらしながら、また呂範に指示を出す。
「呂範!」
「へい、兄貴」
――ピ~~~! ピ~~~!
再び呂範が笛を吹き鳴らすと、少し遠くから同じような笛の音が聞こえてきた。
「あっちだ。味方が待ってるぞ」
「「「おうっ」」」
俺たちは全力で、笛が鳴る方向へ駆ける。
背後には袁術の追手が迫っているので、気が気じゃない。
しかしなんとか逃げおおせていると、前方から軍勢が現れた。
「太傅閣下をお守りしろ。掛かれ~っ!」
「「「おお~~~~っ!」」」
先頭に立つ孫賁の号令で、数百人の兵士が俺たちの救援に動く。
おかげでもうちょっとで捕まりそうだったのが、一気に優勢となった。
味方が袁術の手勢を撃退するのを横目に、俺たちは孫賁と合流する。
「助かったよ、従兄さん」
「ああ、間に合ってよかった。馬日磾さまは無事か?」
「なんとかね」
「そうか。しかし一体、何があったんだ?」
「袁術が馬日磾さまの節を奪おうとしたんだ。完璧に朝廷とは対立したね」
「……そうか。これから袁術は、敵になるのだな」
孫賁の部隊は非常時のために呼んでいたのだが、その過程で袁術に味方するふりをしていた。
元々、同じ陣営に属していたのもあり、再び一緒にやれないかと交渉していたわけだ。
袁術が素直に従っていれば、それもあったのだろうが、ヤツは予想どおりに敵対を選んだ。
これからは明確な敵となることに、孫賁は戸惑いを感じているのだろう。
その気持ちは分からないでもないが、今はそんな場合ではない。
「いずれにしろ、まずは馬日磾さまを逃がそう。後のことはそれから考えればいいさ」
「ああ、そうだな」
その後、俺たちは袁術の追手を振り切って、準備していた船で逃亡に成功した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
初平4年(193年)5月 揚州 廬江郡 舒
まんまと袁術の追撃を振り切った俺たちは、本拠地の舒へ舞い戻った。
そこでさらに援軍を得るため、廬江太守の陸康に接触する。
「太傅の馬日磾である。本日は時間を取ってもらい、感謝する」
「廬江太守 陸康 季寧にございます。急なご訪問に驚きましたが、何か問題でもありましたでしょうか?」
陸康は江東でも有数の名門、陸家を代表する名士である。
讒言で処刑されかかったこともある男だが、基本的に優秀で真面目な官吏だ。
ちなみに前生で俺は、袁術の命令で彼と戦い、病死に追いこんだおかげで、江東の名家から嫌われたという因縁がある。
おかげで人材の登用が進まず、苦労するはめになったものだ。
今生ではそんなことにならないよう、仲良くしたいと思っている。
「私は今、勅命で中原の混乱を収めるべく、動いておる。そのために袁術に協力を求めたのだが、ヤツは反逆を試み、危うく節を奪われるところであった。よって私は、袁術を朝敵として討つべきだと考えている。貴殿にはそのための協力を願いたい」
「なんと、そのようなことがございましたか」
それから陸康の質問に応える形で会話が進むと、彼が難しい顔をする。
「う~む、袁術については、私もよからぬ噂を聞いておりますので、なんとかしたいとは思います。しかし残念ながら、彼奴めを倒すほどの兵力が集まるかというと、少々むずかしいでしょう」
「ふむ、やはり豪族どもが兵を出さんか?」
「はい、情勢が不安定なため、どうしても渋られるかと」
そんな陸康に、周瑜が言葉を掛ける。
「その件ですが、我が周家が全面的に協力いたしましょう」